二章エピローグ
二章エピローグ
影が走る。
静かな山間の谷にもようやく太陽の光が降り注ぐ。
その白い陽光の中、白金の色に輝く髪を靡かせ立つ少女の元へその影は飛びこんでゆく。
ゆっくりと開かれる瞳に写るものを認めて少女は大きく広げた腕の内へと抱き寄せた。
「エリス様!」
「ただいま、リーリカ」
「おかえりなさいませ、エリス様」
多くを語らない代わりに涙を流しながらもしっかりと互いの身を抱擁する。
遠巻きに二人を見守る者達の中から、すぐ傍らで二人を見つめるマリスの傍へとそっと歩み寄りるのはマイアだろう。恐らくは複雑な心境でエリスとリーリカを見守るマリスの寂しさに、唯一気が付いて、その寂しさを埋める一助となるために。
私はその様子に安堵していた。
エリスとリーリカの失われかけていた因果の鎖が再びこうして繋がっていなければ、エリスは人の身を持った状態でノワールノートへと降り立つことは出来なかっただろう。
ブラッドノートの残滓のほとんど全てを吸収したまでは良かったものの、最悪の事態に備えて私が用意した保険――エリスというハイエルフの核となっていた『真柊慧美』という存在をノワールノートへを切り離した上で、エリスの精神体を虚空へと召喚していたのだ。
仮にエリスがブラッドノートのエッセンスの吸収に失敗し、その存在を爆散させてしまう最悪の事態においても、最低限『真柊慧美』を生かすことができる筈だった。
しかし既にその存在とエリスという存在が強く交じり合い過ぎていたために、実際には目を覚ますはずの彼女は目覚めることは無く、虚空にて大きく変異してしまったエッセンスを再び真柊慧美へと戻す段にも問題は発生していた。
虚空で一度エッセンスへ分解され、世界樹を通してノワールノートへ最も適合する形態へと調整されたうえで統合される予定ではあったが、変質しすぎたエリスと真柊慧美の間に繋がれたラインが切れてしまっていた為に、戻るべきか身体へと戻れないという状況になったのだ。
戻るべき身体と、エリスの関連性を結ぶために必要になったものがラインを再接続するための鍵だった。
世界を隔てた縁を結んだ因子、それはエリスにより作られ、幼き日の真柊慧美へ託され、数年後時空断裂の波動によりリーリカの落ちた過去のブルーノートの船上でリーリカの手へと渡るまで幼い慧美があらゆる者と意思の疎通を可能にしていた自動翻訳の付与された公用紙。エリス自身がエンチャントしたそれは、それを持つ者とエリスの因果を関連付けするには充分な存在となったのだ。
更には僅かに真柊慧美とエリスのエッセンスの総和が存在限界を超えてしまっていた分についても、事前にマリスがたまたま鍵を手に触れていた事、彼女が神子であったことが幸いし、彼女の形成途上の器の補完という形で失われることなく世界の内に収まったのはほんとうに偶然の幸運だっただろう。
――もうじきすべてが終る。恐らく次にエリスと再会した時が、私が私でいられる最後の機会であり、神として最後の権能を振う時だと確信する。しかし彼女らの感覚でいえばそれはまだまだ先の話であり、エリスが限界突破を迎えるにはいくつもの条件を満たさなければならないが、私の主観で言えば最後の晩餐は既に済まされ、僅かばかりの余韻の中に、その時を待つだけである。
来るべき約束の日を迎える為に、私はその時までこの星に巡らされたネットワークの補修にその力の大半を費やすこととなるだろう。
◇ ◇ ◇
赤い奔流がようやく収まった時、私は真っ暗な空にあった。もっともそれが空であったか宙であったか、或いは別の何かなのかは分からなかったがただ暗い空間の中に、自己を識別できただけだった。
たとえそれが面の世界であろうと、点の世界だろうと大した違いはなかっただろう。ただ黒く塗りつぶされた世界の中にぽつりと一人漂う感覚に不安が募った。
「帰らなきゃ」
やや混濁する意識のなかでそんな想いが浮かび上がり口にする。止まりかけていた思考はゆっくりと動き出しているが自分が今なにをしたら良いのか、どんな状況にあるのかが全く分からない。
「早く帰らなきゃ」
まだぼんやりしている意識の片隅に、野原で柔らかく微笑み、手を伸ばすわたしの姿が、暗い部屋の片隅で膝を抱え泣いている女性の姿が、鉄柵を隔て人形の様に佇む黒髪の女性の姿のイメージが強い感情を引き摺り出した。
「帰らなきゃ、リーリカの元へ!」
それがきっかけとなり闇の世界は金色の世界へと一変する。
一変する――が、ここにまだリーリカは居ない。あるのはどこまでも複雑に絡み合い伸びている数多の道だった。
この道のどこか行きつく先に、私が帰るべき場所がある筈なのだ。不思議とそれだけは確信がもてた。
「足を止めたまま迷う位なら、進んでから迷ったほうがましよ!」
もはやどの道をいくか迷うのすら惜しかった。胸の奥に燻る想いに突き動かされる様に、私は真直ぐと前進して――果てしない迷路に迷い込んだ。
「……やっぱり猪突猛進ってのはダメだったかも」
考えなしに突き進み、最早最初にいた場所すらどこなのか分からなくなった頃、私は多いに反省する羽目になっていた。大体にしてこの目標物などなにもない単調な風景?というには少し違うかもしれないけれど、すくなくとも私が知覚しているそれは無限にも広がるような金色の道が数えきれない分岐と収束を繰り返し遥か地平の彼方まで続いているのだから目的地も分からず現在地も分からずではどうにもならないのは当たり前ではあったけれど。
「あっちの方じゃないのは間違いないと思うけれど」
私が向かっている方向は金色の道がより密になっているけれど、あからさまに道が少ない部分が違う方角にはあるのだ。この『道』が私の予想通りエッセンスのラインであるならば、あの部分はまるで果物にかけたネットが解れ破れて穴が開いてしまうように、ぽっかりと口を開けているようにも見える。
これは色々と予定も変えないといけないと、順序の狂った事を考えながら腕を組んだ時、私の手に纏わりついているそれに気が付いた。
◇ ◇ ◇
「ワタシはだあれ?」
それは、いや、彼女はそう問いかける。
目の前にはいつか見た不思議な姿見であり、その中には少し憂いを帯びた黒髪の少女が映っている。
その表情を見て、私はなんとなく悟ってしまった。
前回では気が付けなかった『ワタシ』の事。
「あなたは真柊慧美。私と共に在るもの」
「……アナタはだあれ?」
「私はエリス・ラスティ・ブルーノート。あなたと共に進む者」
「ワタシはどうなってしまうの?」
「私たちは一つに。私が私でいるために、真柊慧美が必要な様に、貴方がこの世界で真柊慧美であるために、私が必要だから。それはコインに裏と表があるように切り離すことはできないものだわ」
そこにはあの昼休みから時を止めてしまったままの彼女がいる。心を通じさせることに疲れてしまい、あらゆる興味を失ってしまった、心を閉ざしてしまった17歳の少女。その日を、目の前の事だけをただ機械のようにこなすだけだった日々に突然の終止符を打たれた無力な少女はどこかほっとした様子で溜息をつく。
「なら早くして」
その物言いに思う所はあるけれど、私の原型となったもう一人の私のこと。過去の自分に文句をいったところで何かが変わるものでもないだろう。
私は纏わりついた糸のようなそれを手繰り寄せ、その繋がる先、鏡の中の彼女と一つになった。
気が付けば私は光に包まれていた。
柔らかいとは言い難いけど、それは力強い確かな温もりを感じさせる陽光。肺を満たす冷たい空気に少々驚きながら、目前に飛び込んでくる影とその正体をすぐに認識した。
少しばかり静まっていた感情が俄かに燃え上がり、身体を自然と動かした。
叫びながら駆け寄る少女をしっかりと抱きしめる為に。
「ただいま、リーリカ」
懐かしい温もりを感じながらそう告げる。
時間の感覚を長く失っていたためにどれほどの時がこちらで過ぎていたかは分からなかったが、彼女の姿をみればそれほど長い時間が掛かった訳ではないだろう。それでも私はこの再会の喜びを、彼女を抱きしめられる幸せを今しばらく感じて居たかった。
三章 公国の亡霊 へ続く
2章での伏線回収順等を大幅に変更してますので次章開始まで少しばかりお時間いただきます。
早めに2本の閑話はお届け予定です。




