再誕
再誕
静かな参道の真っ新な雪の上を白馬がゆっくりとした歩調で進んでいく。
白馬には大きな艝が繋げられ、その艝の上には御簾の取り付けられた小さな櫓が組まれていた。
この簡易の神輿の中には私が座り、眠るエリスをもたれさせかけるように支えていた。
少しばかり悶着はあったものの、最終的にリーリカはこの役を私に譲り、今はフードを目深に被って繋げられた白馬――エリの手綱を引いていた。
今のエリスを極力他の者の目に触れさせない策ではあるが随分と都合よくこんなものを作らせていた家令のフランツには本気で感心してしまった。
そして御簾越しならば既に十代後半ほどの見た目になった白髪の私と、黒髪の姿になっているエリスの組み合わせは、よくよく見慣れた白金の髪をもつエリスと、黒髪のリーリカの組み合わせに見える事だろう。
仮に違和感を覚えたとして、領主がわざわざ御簾の中に居るのだから、それを改められるものなど基本的には皆無ということで、暫くこのような習慣をエリスが元の姿を取り戻した際に行いつつ、偶然出会った者に御簾を開けて声をかけるようなことが何度かあれば、いずれ噂として定着した状態が作られて、あの時のアレもきっとそうだったに違いないと勝手に思い込んでくれることだろう。
もっともその為には今は極力無言を通すに越したことは無いと私の役割はしっかりとエリスを支えながらもその口を噤んでおくことだけだろう。
沢の水の表面は凍っている為に耳慣れない艝が雪を押しつぶす音だけが、この谷間の沢になにかの鳴声のように響き、世界樹の元へと近づいていく。
やがて視線の先には大きな段差が現れるが、整備の一環で中央が階段になっており、その両側がスロープになっている参道が整備されているために雪が解ければ馬車すら通れそうであった。
世界樹を芽吹かせたとき、そんなものはなかったそうだから、インフラというものが、何の拍子でその役割以上の恩恵をもたらす事か分かった事ではないと感心しきりな道中だった。
◇ ◇ ◇
それは逞しく育った若々しい世界樹の元へと到着した時の事だった。
静かに小さな金色の粒子にも似た光を周囲に漂わせていた世界樹がその幹を、その梢を、冬においても茂らせた全ての葉を、金色に染め上げて、神々しいまでの光を宿す。
それは共鳴。私とリーリカによって支えられた黒髪のエリスが、その存在が大きく明滅するように、もう一人のえりすの姿に一定の間隔でオーバーラップする。
耳をすませばリン、リン、と鈴に似た音が、その拍動の如きリズムに合わせるように鳴っていた。
「ほんとにエリス様と行動を共にしてからは、目の前の光景は信じ難いものばかりになりました」
この不思議な現象を目の当たりにしてリーリカは小さな声でそう呟く。
「一体どうなる事かしらね」
「それをこの場に連れてきた貴女が言いますか、マリス」
呆れるような口調のリーリカに肩を竦ませて答えながらチラリと後方を窺うと、随行した城館で働く従者達が片膝をつき畏まっているいるのが見えた。
マイアはといえば、彼らからいくばくかの距離を置き、静かに立ったままこちらの動向を窺っている様だった。
「あれではまるで礼拝に来た信者達のようかしら」
「エリス様は信捧されてしかるべき存在です」
「さながらエリス教と言ったところかしら。もっともそれはこれから必要になるファクターではあるけれど」
「そうですね。他者の事を慮ってばかりのエリス様が、その配慮に対して何かを得るべきならば、捧げられるべきはその信仰でしょう」
「どうやら妹ちゃんはどのみちこの道を歩む運命だったという事かしらね。元々そこらの土地神など比べ物にならないほどのエッセンスの器をもっていたのだもの。そこに神性が芽生えるのは時間の問題だったでしょうね」
「随分の前からエリス様を女性に美を授け、恋を成就させる女神と讃える者達も居ましたから」
「ヒトの心なんて移ろいやすく脆いものだわ。苦難に立たされた時、自らを助けようとするものへ反射的に縋ろうとする。それは王族だろうが奴隷だろうが、どんな身分のものであろうと変わらない。かつて多くの者達に救いを差し伸べたイリスがそうであったように、それを正当化するかのように持ち上げて祀り上げてしまう。しかしそうなればそれを良しとしない者達も現れて、よからぬ企みの対象になるものよ」
「……」
「そんな表情をするんじゃないかしら。その力を忘れ無力だった私はイリスを守る事が出来なかったけれど、先んじて注意を払い、そうならないようにあなたが守ればいい。乗りかかった船だもの、私も自分の目的の為にもむざむざと妹ちゃんを見殺しにはしないのよ。べ、別に妹ちゃんの為って訳じゃないけれど、目的を達成するには妹ちゃんに頑張ってもらうのが一番早いってだけという話だけれどね」
途中から心中に渦巻く様々な想いに混乱して、やや上擦ってしまった言葉に、それまで固く結ばれていたリーリカの口元が僅かに緩む。
「まったく……素直じゃない女性ですね、あなたは」
「そ、そんなんじゃないかしらっ!?」
思わぬ反撃に言い返すも、意外とそれは不快ではなかった。長き停滞の時を経て、今私も変わろうとしているのだろうか?
互いに引き合い、信じあい、寄り添うこの二人の少女にかつての自分を重ねながら。
いまだ続く共鳴現象の中に、少しだけ異質な光が混じり僅かにリズムが狂いだす。
「これは、なんだか不穏な気配かしら」
崩れたリズムにざわつく警戒心を抱いた時突如その言葉は告げられる
――運命の鍵持つ少女。その鍵を神の子へ
「これは、世界樹の言葉?」
辺りを見回すリーリカに私は確信した。彼女にも言葉が届いている事に。そしてその言葉は世界樹の意思ではなく、本来であれば彼女には聞こえない筈の世界の言葉。女神ラスティの声を神子でないリーリカが受け取っている事実を。
そしてそれはリーリカのほうから聞こえていた。
「リーリカ、これは世界樹の言葉ではないわ。でもその前に、その懐に入れているのなに?」
私の指摘にリーリカは思い出したように懐から何かを取り出す。一見すればただのゴミとも見えるそれは、随分と皺だらけになった折りたたまれた紙のようだった。
――鍵を神子へ
紙から神の声がした。
「「………………」」
その言葉はしっかりとリーリカにも伝わっている様で困惑しながらも金色に輝く黒髪の少女の手にそれを握らせ――次の瞬間巨大な何かが突如そこへ降りてくるのを私はハッキリと感じたのだった。
仰け反る様にふわりと宙へ浮かび上がる身体。そこへ降り注ぐ莫大なエッセンスがその身体を変化させていく。
黒い髪はその長さを増しながら、キラキラと輝く白金色へ。身体も一回り大きくなり、特に胸の辺りは顕著に豊かな実りへと変化していく。
流石にこれだけ明るくなっているので町までは届かないとは思ったが、天を見ればそこには金色の輝きが溢れんばかりになっており、周囲を囲む山々もその山肌を見たこともないような色へと染め上げている。
後方で控える者達はその様子を感極めりといった体で、涙を流しながら祈りを捧げるように見つめ、間近でみているリーリカは既にその思考を停止しているようで、ただただこの超常の光景を凝視していた。
それがどれくらい続いたのか把握できなかったが、事態もそろそろ収束と言う所でその変化が鈍る。
あと僅か、拳大の光が残っていたが、ほかの光のようにエリスに向かうも僅かに弾かれて、まるで迷子になってしまた小動物のようにおろおろと彼女の周囲を飛びまわる。
周囲の光もどんどん収まり、その様子に焦った?光は思いもよらない挙動をした。
「キャアアア!」
突然身を駆け巡る衝撃に思わず悲鳴をあげる。まるで雷に打たれたかのようなそれに目を回しそうになるのを必死に堪え、私はフラフラとその場にへたり込んでしまった。
「マリス!?」
リーリカの声に手だけで応答していると、それを待っていたかのように光が爆散していくつもの光輪を描いて消えていく。
爆発の中心だった場所。
そこには一人のエルフが立っていたのだった。




