リオンの暁号(改)
リオンの暁号(改)
「行ってらっしゃいませお嬢様方」
と、立ち並ぶスタッフに見送られて山百合を出発したのは入港から二日後の昼過ぎの事だった。
潮風の匂いに混じりまだ真新しい塗料の匂いが鼻孔をくすぐるセンターデッキの上では沢山の物資が木箱に納められ太いロープでしっかりと固定されていた。
そのセンターデッキのやや船尾寄りの一角には二階構造になっている部分があり、一段下がったフロアには柵が設けられており、そこには二頭の馬が繋がれていた。
「ほら、エリ、リリ、ごはんよ。こんな狭い場所に繋いでしまってごめんね」
仮設厩舎として機能しているこのデッキ下部は先日行われた改装を伴った修理の際に追加された設備である。
前回の航海では木箱で囲うように風を避けていたものの、そこに囲われるのは生きた馬。その掃除は船員たちに余計な苦労をさせてしまっていた。
遠慮する船員たちを押し切って、リーリカを伴って手伝いをやってきた私は風魔法と水魔法を工夫して、サッパリと洗い流された下部デッキの上に、船員たちと寝藁を敷いていく。
汚れた寝藁はそのまま海へと流してしまったものの、まあその位は大目に目てもらうとして一時的に上部デッキに避難させていた白馬エリと黒馬リリは綺麗になった下部デッキに嬉しそうに蹄を踏み鳴らして、おとなしく柵へと繋がれたのだ。
「魔法というものは便利なものじゃの」
やや大きい靴音をさせて背後からやってきたのは一人の髭だらけの背の低い男性で、ずんぐりとした体躯に手足はやけに太い、まるで樽のような印象だった。
「エリス様の魔法は特別ですので」
すかさず私をもちあげるリーリカに目の前の男性――ドワーフのゴンザさんは右手で長い髭をいじりながら
「そのようじゃの」
と、小さく頷いている。
このゴンザさんはリオンの暁号の改修を担当した造船技師であり、あまりに急な出航要請に改修の途中だというのに、取り急ぎ航海できるように作業順序を入れ替えると、ドーゴへの航海の道中に残りの改装を行う為に、乗船していたのだ。
「なんだか仕事をかき回してしまったそうで、ごめんなさい」
「なに、困難な要求に応えてこそ、職人のやりがいがあるというものじゃ。ぬしが気にすることはなかろうて」
「もう改修は全部終わったんですか?」
「まだじゃの。ちと休憩じゃ。無理をしては良い仕事は出来んでな」
私の問いに応えながら、ゴンザさんは腰のベルトに括りつけられた小さな樽を取り出すと、栓を開けて一口煽る。
その樽の中身がなんなのか? まあ、聞くまでもないその疑問は彼の発した言葉により即座に解決することとなる。
「くぅ。やはりこれがないと始まらんの。我等ドワーフの身体には血の代わりにコレが流れていると言われるくらいじゃからな」
ゴンザさんのそんな様子にリーリカはやや顔を顰めながらもぐっと何かを我慢しているようだったが
「なに、エルフの娘っ子がなにか面白い事をしていると聞いてやってきてみたんじゃ」
という彼の言葉は聞き流せなかったようである。
「エリス様を前にそのような物言い……改めていただきませんと――」
「おお、それはすまなんだ。なにぶん生まれつき口が悪くての。悪気はないんじゃが、つい癖での」
「いいのよ、リーリカ。ゴンザさんのおかげで早く迎えに来てもらえたのだし」
「ですがエリス様……」
不満げに私を見つめるリーリカの瞳はうっすらと潤みを増しており、私はそんなリーリカに笑顔で髪を撫ぜながら宥めると、彼女の機嫌は少しばかり良くなった。
「どうもお邪魔だったようじゃの。そうじゃ、ノーザ国王からのリクエストに応えた部屋の鍵じゃ。お前さんに渡すように船長にいれれておるでの」
言いながらベルトにぶら下がっているポーチの中から取り出した鍵を私に手渡すと、ゴンザさんは再び靴音を大きく響かせて上部デッキへと上がっていった。
「なんの鍵かしら?」
「さあ? あとで船長に聞かれてみてはどうでしょう?」
「そうね、そうしましょ。それじゃエリもリリもまたね。船員さんたちも後はお願いします」
「「「へい」」」
作業を続けながら遠巻きに私たちの会話の様子を眺めていた彼らの元気な返事を後ろで聞きながら、私はリーリカを伴って、船長の元へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
「とにかくそこへ行ってみることだな」
私たちに鍵について尋ねられた船長は、厳つさはあるもののさっぱりとした顔でガハハと笑いながら背後の壁に掛けられた船内図の一点――今私たちが居るブリッジの対極、反対側の船体の同じ場所を指し示し、早く行ってみろと促した。
「今日は無精髭じゃないのね」
「出航直後ですからね」
などと船長の噂をしながら廊下を歩けば、背後から大きなくしゃみが聞こえてきたような気もするが、今は鍵の正体が気になってそれどころではない。
船内の狭い廊下を早足に歩きながらデッキに出れば、丁度強い風を受けてバンッと大きく帆が張られる音に続いて船速が俄かに上昇したのを感じた。
「良い風を捉えたようですね」
大きく膨らんだ帆を見上げながらリーリカはそう言うけれど、正直帆船の航海技術なんて全く分からない私としては、黙って頷くぐらいしかできないわけで、ごまかすようにデッキを渡る歩みの速度をあげていた。
このリオンの暁号は二艘の帆船を並列に繋いだような双胴船で、今歩いているセンターデッキの下は、深い海が広がっているはずだ。
安定性と積載性に優れるこの形状の船がなぜ数えるほどしか作られていないかと言えば、それは操船の難しさにあるらしい。
左右それぞれの船体に立てられたマストに等しく風を当てなければ、真っ直ぐに進めないのだという。
その為に風の状態に応じて帆の張り方を調整したり、未来の風を読みその風上へと回り込むような航路を取らなければならず、それをこなせる船長や船員がなかなか育たないのだとか。
以前ノーザ国王から聞いたままの受け売りだけどね。
再び船内へと入った私とリーリカは狭い通路を歩きながら船体中央付近にある階段を上がると、折り返すように船首方向へと歩いて行く。
反対側の船体ならば、そこには広い操舵室がある筈だけど、廊下の突き当りにあるドアには、見覚えのある紋章が描かれてた。
「エリス様……これは」
「やっぱりそうよね?」
葡萄色に染め上げられたドアに金色の塗料で描かれている紋章はもっとも見慣れた紋章なのだ。
「エリス様の紋章ですね」
クラウンと呼ばれる王冠の意匠の下には蔦と世界樹の葉が描かれており、下部には髭のように根が描かれている。私の着ていた服に施されていて、ノーザ国の紋章院により正式に認められた私の紋章が、なぜこのドアに描かれているのか?
ポケットから取り出した鍵を見れば、先程は気が付かなかったものの、鍵にも同じ紋章が刻印されているではないか。
「……同じね」
「ですね」
ほんのりと鍵を持つ手に湿り気を感じながら、鍵穴へ鍵を挿し入れてゆっくりと回せば、滑らかな抵抗を伴ってカチャリと軽快な音が聞こえてくる。
続いて扉を軽く押し開けば、そこには私達の予想を超えるものがあったのだった。




