ドールハウス
ドールハウス
全く酷い目に逢ったものだ。
相当無理を押し通し、なんとか広い部屋の中に出れたとき、最初に思った事だった。
沢山のフリルを縫い付けられた仕事着がここまで邪魔をしたのは初めてではないだろうか?
それほどまでに先程通ってきた道、いや実際は人が通るべき通路などではなく通風孔なのだが、少女に案内されたルートはそれだったのだ。
時折人が入り込んでは点検する為、彼女はその体格を生かしてたまに手伝っていたそうなのだが有事の際には水だけを違うルートに逃がすための仕組みがあるのだとか。もっとも詳しいその仕組みについて彼女が知る訳も無く、私にもわからないので詳しくは聞かないでおいたし、なによりあちらこちらによくわからない突起等がある上に辛うじて人が一人這って進める程度のスペースしかない為に通路の交差部分で方向を変えるだけでも一苦労で、そても余計な事に気を回している余裕などなかったのだ。
「やっと抜け出られましたね」
言いながらも服のあちらこちらを摘まんで引き寄せたりしながら品位を欠く状態になってしまってないか確認するもそれが杞憂だという事に安堵して嘆息する。
丈夫さと頑丈さを兼ね備えた装備化された服だったからよかったものの、これが通常の服であったなら、今頃は見るも無残な事になっていただろう。
「おねーちゃん埃だらけだねー」
屈託のない笑顔でここまで悪意もなく言われれば腹が立つのも通り越してしまうというもの。
言っている本人だって頭に蜘蛛の巣を付けたままなのがなんともツボにはまり思わずも吹き出してしまう。
「プッ。ほら、貴女も蜘蛛の巣だらけですよ。ほら、こっちへいらっしゃい」
「やー、蜘蛛の巣とってぇ~」
なんて言いながら彼女は素直にこちらへ駆け寄ると目を瞑って頭を差し出してくるので、丁寧に蜘蛛の巣をとってやる。あらかたの蜘蛛の巣が取り去られると子供らしい柔らかな髪は多少埃にはまみれているものの艶やかに光り、この人工の明かりの元でも綺麗な天使の輪を浮かび上がらせていた。
こうしてみればこの子の髪は日頃から丁寧に手入れされており、まめに散髪もされているのが良く分かる。
改めてみれば着ている服も大変良いものだし良い所のお嬢様なのだろうか?
なんとなく手放しがたい気分になり服の隠しから取り出した携帯用の噴霧器で少し水をかけ、ハンカチで拭ってやるとより一層天使の輪が輝きを増す。
さらに櫛を通してやるば最初は少しばかり驚いていた彼女も気持ちよさそうな様子で大人しくしているので、ついでに簡単に編み込みを施すことする。
その様子にすぐに気が付いたのか嬉しそうに目の前で背中を向けて頭を少し下げているところを見ると、やはり日常的にそのような事も行ってもらっているのだろうと思った。
これまでは悪目立ちする黒髪を更に伸ばそうとは思わなかったが、最近ではそのことをしきりに褒めてくれるエリス様の勧めもあり、少しづつ私も髪を伸ばしているところだった。
そんな事を考えながらふと目の前の少女を見ると、ふいに既視感を覚えるのだった。
◇ ◇ ◇
あたりを見回してみるとどうやら小部屋と通路の中間程度の広さのスペースだった。
これまでの通路よりは随分と明るい場所だが、天井からの照明の他、足元近くは均一に青味がかった光で照らされており、見た目が少々寒く感じるのが特徴だろうか。
よく見れば壁面には目立った凹凸はないものの、収納スペースがあるようで、ところどころに嵌めこまれている透明なのぞき窓から気味の悪い服のようなものが見えているほか、ロックされているドアらしきモノの近くには、赤く塗られた大きな斧が据え付けられていた。
そんな回りくどい言い方をしたのも、そのドアには取っ手もなく、横の壁の丁度胸の辺りの高さになにやら箱があるだけなので、私には最初ドアと認識できなかったからなのだが、少女が最初に迂回した赤い光で照らされたドアがこのドアなのだそうだ。
そう考えれば最初に私たちが入った通気口からこの部屋の通気口までは直線距離にしてみればいくらもない筈なのだが、数十分かけて抜けてきたことを考えればどれだけ大回りしてきたかが伺える。
「お姉ちゃんこっちだよ」
少女に呼ばれる。私が思考を巡らせていた間、反対側のドアの前に取り付けられた鏡で編み込まれた髪を嬉しそうに確認していた彼女はどうやら納得のいくまで確認が済んだようだった。
両サイドを細く編み込んで、少量の髪を残して両側から後ろ側の髪をまとめるようにした後、全体を大きく編み込んで大きなリボンで結びあげてたものだ。
リボンなんかどこに持っていたのかなんて無粋である。メイドの嗜みで常にこういったものをある程度は隠し持っているのだ。その一点においては私の着ているこの服は実に機能的であり、気に入っている部分でもある。
リボン一つでも充分驚異的な武器になりうるのだから。
彼女が立つドアにはレバーのような把手があり、それを三十度程押し下げると部屋の内側に向けて僅かに隙間ができる。鞴を動かしたような音からかなりの気密を保たれていたのだろう。そのまま押し込めば最初こそやや重かったものの、すぐに軽くドアが開かれた。
刹那時がとまる。
鳥肌に擦れる服の不快感を強く意識しながら、この異質な空間に戦慄する。
暗い。明かりがないわけではないが、真っ暗な部屋の床に燭台をぽつぽつと置いたかのように淡く光る無数の台。
もっとも炎のように熱量を感じるような光ではなく、とこまでも冷たい光はまるで淡く光る氷の様にも私の目には映ったのだ。
そんな部屋に少女は気にした様子も無く入っていく。思わず「待ちなさい」と引き留めてしまいそうになるのをぐっと堪え、意を決して部屋へと踏み入れる。
彼女の背丈では見えていないだろうが、私の目に映るそれはずらりと並べられた棺桶だった。
跳ね上がる私の緊張をよそに、少女に緊張の色はなく、やがて入口の対角上のエリアにあるいくつかのドアの一つを開き私を招きいれた。
簡素なテーブルに椅子が数脚あるほかは、紐の付いたのっぺりとした円筒形の物と、カップらしきものが置かれた小さなサイドテーブルがあるのと、壁の一面だけにカーテンが掛けられているだけの生活感のない部屋だった。
「ここなら見つからない筈だよ」
そういう彼女の言葉は本心から言っているのだろう。事実かどうかは置いておいて、少なくとも彼女がそう考えている事は間違いさなそうだった。
部屋の外にある大量の棺の中身は空ということは無いだろう。部分的に透けている箇所から人の顔らしきものが目に留まってしたのを思い出し思わず身震いする。
彼女は確かお人形さんの部屋って言い方をしていたことを考えればその中にいるのはお人形という事になる筈だが、直感的にソレが人形などでない事は間違いない。
折角少しは打ち解けることが出来たかと思えば、なんともあっさりと取り消されてしまったかのような気分に私はどうしたものかと途方に暮れるのだった。




