奸計
奸計
「これはこれはサラ姫様におかれましてはご機嫌麗しく。遠路長旅でお疲れでしょう、粗末ではありますがお部屋を用意いたしておりますのでまずは其方でゆるりとお寛ぎ頂きたく」
冬だというのに広すぎる額を脂ぎった汗で光らせながら目の前の人物は目を細めている。いや、実際にそうしているつもりがあるかといえば怪しいところだが、些か不摂生の権化であるように見受けられる彼の顔にはだらしなく余計な肉が付きすぎており、実際には瞼もどこが境なのだか分からない程なのだ。
「…………」
不本意極まりない理由で半ば無理矢理見合いに参加させられたこちらとしては、とても品行方正に対応する気が起きない。ブランドル公国第一王女としての立場からみれば、たとえどの様な理由があろうとも礼を欠かす訳にはいかないのだろうが、騙し討ちのように決められたこの見合い、なんとしても折れる訳にはいかないのだ。仮にこれが原因で問題が起きるならそれを理由に出奔することだって厭わない、そんな意固地なまでの決意を持っていたのだが、生憎と最も信用している人物がすかさずフォローに出てしまう。
「バラン伯爵様直々のお出迎え有難うございます。しかし姫様は体調がすぐれないご様子。すぐにお部屋で休んで頂きたいと思うのですが案内を付けていただいても?」
薄亜麻色の柔らかな巻き髪と、侍女服のブラウスからはちきれんばかりの何かを揺らして、上目遣いで伯爵に申上げると、伯爵は下心が透けたような笑みを浮かべて何度か頷いた。
「ああ、勿論だともすぐに案内させよう」
「お心遣い感謝致しますわ。さ、姫様こちらへ」
浴びせられている熱い視線もなんのその、ルーシアは涼し気な声と共に私の手を取り歩き出すと、その先に待機していたこの屋敷の給仕の女性を促した。
先導されるままに案内された部屋は意外にも趣味の良い部屋だった。腰高ほどまでに張られた壁板は丁寧に磨き込まれており、壁は淡い緑に塗られている。
部屋の中央には高価そうな吊り下げ式の飾り魔石灯が柔らかな光を放ち、煌びやかに硝子の飾りが幻想的に魔石灯の明かりを彩っていた。
「それではこちらのお部屋でお休みください。すぐにお飲み物をお持ち致しますが、冷たいものと温かいもの、どちらがお好みでしょうか? 」
案内をしてくれた女性は裾が足首程迄ある臙脂色の給仕服を着た落ち付いた印象を受ける。ダークブラウンの髪は首元で二つに分けて編み込まれており、身体の前側へと垂らしているのもより一層先ほど受けたイメージを強くしているだろうか。
「有難うございます。温かい飲み物をご用意いただけると助かります」
ルーシアはにこやかに答えて彼女を見送ると手早く手荷物の中からエプロン取り出し着用すると早速運び込んだ荷物の整理を始める。なにもそこまで侍女のように振舞わなくても良いのにと思いながらも、彼女に掛ける言葉は上手く見つからないのだ。勿論共に居られる安心感はあるものの、それ以上にかけがえのないルーシアを侍女にしたかった訳ではなく、これが当り障りなくルーシアと共にこの場に居る事の出来る最善の策だと分かっていても心苦しさを感じざる得ないからだ。
思いもよらなかった見合い話と早急過ぎるこの日程。父だけでなく、この手の話だけなら自分の味方になってくれる出あろう二人の兄達に謀られたとしか考えられず、ルーシアの扱いについても理解は出来ても納得はできていない、つまりは私の不徳による我儘な考えが自分を余計に苛立たせているという事に違いなかった。
◇ ◇ ◇
どんなに注意深く用心していても、思いもよらないところからトラブルが沸いて降ってくるという事は多々ある事だと思う。そして一つの歯車が狂えばなし崩し的に次々と、それこそすべての歯車がバラバラと霧散してしまうような事など、実際には必然的と思える程、当たり前のように目にするのが実際のところだろう。
そして今まさに目の前で苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる弟はその事を痛感している最中だろう。
「そう難しい顔をするな弟よ」
流石にこの場においてふざけた態度をとるなどと言う事はしない。なにせ可愛い妹に恨まれる事になろうとも不穏漂うこの地から遠ざけたのだから、一刻も早く事態を収拾しなければならないのだから。それは弟とて気持ちは同じ。それ故に仕掛けた罠が、餌だけを取られ何も得るものが無かったという腹立たしい結果に苛立ちを隠せない様だった。
「完全にやられました兄上。犯人の姿すら確認できないまま囮に用いた冒険者は死亡、ただ悪戯に被害を広げただけとなってしまったようです」
確かに大失態だ。色々な意味でこの場に妹が居なくて良かったと思いながら、被害者となった冒険者の冥福を祈る。
「そうだな。ギルドには追加で見舞金を。遺族が居るならば手厚く保護するように手を回しておけ」
「其方は既に」
落ち込みから脱した訳ではないだろうが、その表情を引き締めて簡潔に答える弟。流石はこの国の文官を纏める立場にあるだけあり、作戦の後始末には抜かりが無いようだった。
「では次の一手だが――」
「その事ですが兄上。ここは出し惜しみせずに手札を切る場面ではないかと」
言いかけた所を手で制し、姿勢を正して進言する弟。
牽制は失敗と終わり成果が得られなかった以上、同じ手に打てば被害が拡大するという事を見越しての意見だろう。個人的にはもう少し様子を伺い、情報を得たい所ではあったものの、弟は一気に勝負に出る事を決めたようだ。
「そうか、ではあれを使うんだな?」
「それが一番かと考えます」
「いいだろう」
短いやり取りの後、机の隅に佇むベルを取り軽く振る。澄んだ音色が鳴り響くと間もなくそれは姿を現した。
「お呼びで御座いましょうか? アーレス様」
「ああ、だがその前にマチルナもここへ」
ちらりとブレストを窺うマルチナはブレストが小さく頷くのを確認すると掻き消えるようにその場から姿を消した。
「まさか二人を使う事態になるとはな。お前の見立てではそれが必要ということなのだろう? であれば犯人の正体を証拠はなくとも予測位はついているのではないか? 」
「あまり買い被って貰っても困りますが、念には念を入れておいた方が良いでしょう。少し前であったなら違った予想をしてしまったかもしれませんが、流石にその線が消えたとなると彼の者ではなく、別の何者か。上位者ではないかもしれませんが、用意を怠るは愚者の極みかと」
その言葉は、おおよそ見当をつけていた敵の正体に確信を強めることとなり、一刻も早い事態の収拾を心の内で誓うのだった。




