衣裳部屋の茶会
2017年10月7日 一部改稿
衣裳部屋の茶会
独特な香りをもつお香の焚かれた一室で、私はやらなければいけない作業に追われていた。
目の前に置かれた大きなテーブルの上に広げられたドレスに手をかざし、強くイメージしながら装備品属性を付与していく。
かざした両手から降り注ぐ無数の光の粒子はドレスに降りかかると光のシミを作りながらやがて消えていった。
「ふう、これでいいわね……先はまだまだ長いけど、少し休憩にしましょうか」
「休憩ですね、では私はお茶の用意をしますので、マツリさんは何かお茶菓子になりそうなものを持って来ていただけますか?」
「お茶菓子ですか、そうですね……エリス様は甘いもののほうがお好みですか?」
「そうねー、なんでもいいのだけど、疲れた時はやっぱり甘いものよね」
なんとなく言い訳がましく感じるかもしれないけれど、糖分は疲れた脳に即効性の回復をもたらすのだ。たとえ違っていたとしてもきっとそう!
訳の分からない言い訳を自分自身にしながらマツリさんに甘いものをリクエストすると、彼女は「あ、いいものがありますよ」と小走りに部屋を後にした。
残された私はお茶の準備を進めるリーリカを眺めながら、目の端に映る、まだまだ山となっている装備化を待つドレスの山を出来るだけ見ないように心掛けた。
だって先が見えない作業って辛く感じるでしょ?
ゆく先々の山百合で、繰り返し行われているこの光景も、随分と慣れてしまったものだけど、私がこうしてお金のことをあまり気にせずあちこち巡ることができるのは、この作業のおかげなのだ。
一応冒険者という職についている私。胸元には最下級といえ本物の冒険者章も提げているし、依頼を受けようと思えば初心者向けの依頼なら受けることは出来るのだけど、どういう訳か事情に流されてるうちに、ここ最近は依頼を受ける暇がない。
昔追い回された蜂はおいといて、私が冒険者となって初めて対峙した敵は、大ミミズの化け物だ。
マッチョな偉丈夫の腕より太いだろうその胴で、打ち据えられたときの痛みは今でも忘れない。
考えても見てほしい、女性の中では比較的背が高めとはいっても、私は一七〇センチまではない。
そんな身体にラリアットでも食らったものなら、吹き飛ぶなと言うほうが無理なのだ。
あいつらの胴ときたらやたらに伸びるから見誤るのよね。
「一体なんの話ですか? エリス様」
「え?」
「胴が伸びるとかなんとか」
いつの間にか頭の中の考えが口に出ていたらしく、怪訝な顔で私を見るリーリカに初めての戦闘経験を語って聞かせることになってしまったのだった。
「なんで近接戦闘してるんですか」
呆れたようにそう言うリーリカの意見ももっともだ。
「でも仕方なかったのよ、その時の私は魔法の使い方なんか知らなかったんだもの」
「まあ、確かに今でもエリス様の魔法の使い方は特殊ではありますが……しかし結局はその戦闘も最後は魔法で仕留めているのですね」
「結果的にはそうなるわね。もっとも使おうと思って使ったわけじゃないわ、咄嗟の事だったし」
「でも近寄らないで済むならそのほうが理想ではありますけどね。私としてもそのほうが安心です」
リーリカの言う事は正しい。ほら、君子危うきに近寄らずってね。なによりなんちゃって冒険者の私と違い、かなり上位の冒険者でもある彼女は、何より知っている。見てきているのだ。
僅かな気の緩みが思わぬ魔物からの反撃への対応を遅らせて、あっさりと散っていく命が多いことを。
そうした戦いを生き抜いてここに立つ彼女は紛れもない勝者なのだけれど、この華奢な身体のどこにそんな膂力が秘めているのだろうといつも思うのだ。でもひとたび彼女が戦闘モードに入ればレベルというものがそこそこ上がった今でも、私にはその挙動を目で追うのは至難の業だ。
というか絶対無理よね。
戦闘中の彼女を思い起こしながら、イメージのなかでもあっさりと彼女を見失うと、早々に諦めた。
リーリカの戦闘スタイルは小太刀による近接戦。小柄な体を活かす俊敏性とばねを持つ彼女の戦闘は、華麗に舞う踊り子の如くである。一太刀浴びせたと思えば即座に距離を取り、再び敵に逼迫したと思えば目にも止まらぬ速さの連撃を叩き込む。
並の魔物であるなら大抵がその一太刀目を浴びせられた瞬間に、灰となって舞い散るほどだ。
「護身の為にも近接戦闘も少しは慣れないといけないとは思ってるんだけれどね」
「なんやかんや言ってバタバタしてましたからね」
リーリカの言う通り、およそこの半年の間私たちは北の大陸だけに留まらず、西の大陸、東の大陸と三つの大陸を旅して歩いていた。
目的はその都度違っていたとはいえ、途中からは "厄災の緋眼であった薄亜麻色の髪をもつ地精霊" を追う旅で、晴れてここ東の大陸の最東端付近にある、東の果ての森の朽ちた世界樹の遥か下、地下深くにあった空洞で彼女を千四百年の呪縛から解き放つことに成功したのだった。
「なかなか戻ってこないと思ったら、妹ちゃんまだ終わらないのかしら?」
「あれ、マリス来たんだ? でも生憎と作業はまだまだ掛かりそうなの。今はちょっと休憩中だけれどね」
噂をすれば影である。ブラッドノートよりこのノワールノートへ来た世界の旅人であるマリスは、かつて私が世界の記憶で垣間見たままの白く美しい吸血鬼の姿を取り戻したばかりだ。
数年前、サラとルーシアさんによって一度は滅ぼされた彼女の身体だが、マリスは女神ラスティへと還るエッセンスをつまみぐいすることで、幼体とはいえ再構成することに成功していたのだ。
その身体をコアにして、私が瘴気の結晶である紫魂石を餌に世界樹を使い精製したエッセンスで一気に復元した彼女の身体は、人間でいえば十七歳~二十歳程度の身体年齢だろうか?
もっともそこに入る魂……マリスは既に千四百年以上を生きた吸血鬼。
数年前身体を滅ぼされたその時まで、体は老いとは無縁だったらしく、若々しいままだったとの事だった。
「何を人のことをジロジロと見ているのかしら?」
「いや~、吸血鬼ってどのくらいの寿命があるのかなーって」
「そんな事聞かれても知らないかしら。でもかつて私が出会った他の吸血鬼は大体三百年も生きてれば長生きなほうだったのよ」
「それくらいが寿命ってこと?」
「いえ、エリス様、それは少し違いますよ」
「どういう事? リーリカ」
「吸血鬼に寿命があるなんて事は聞いたことがありませんが、自らその呪われた人生に終止符を打つ吸血鬼の話なら、割とよく聞く話です」
「その娘の言う通りかしら。その話は間違いじゃないのよ」
「駄目よ! 自殺なんて」
「心配しなくてもすくなくともあの二人の行く末を見守るまではそんな馬鹿な事しないから安心するかしら」
思わず大声を出してしまった私にマリスは大袈裟に両手で耳を塞ぎながらそう告げた彼女の表情は軽い。
それでも私が
「たとえ見届けた後だってダメよ!」
と言えば、マリスはハイハイもう終わり。とでも言うように手を横に振ると、口角を僅かに上げたのだった。
ま、笑えるなら大丈夫かな?
「あらあら、マリスお嬢様もいらしていたんですね、足りるかしら?」
突然話に割り込みながら、戻ってきたマツリさんは押してきたワゴン上のお皿をテーブルの上に並べていく。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……
「……マツリさん、絶対来るのわかってましたよね?」
「さあ、なんのことでしょうか?」
きちんと人数分のお皿を用意して、その上に様々なスコーンを並べていく。
茶色いスコーン、良くあるプレーンなスコーン、なんだか赤紫のスコーン。
この世界では大変高価なお菓子だけれど、そこは流石に高級旅籠山百合グループ。いい香りを漂わせるスコーンと、色とりどりの木の実やフルーツのジャムをテーブルの中央に置くと、ささやかなお茶会が始まるのだった。