領地経営
領地経営
真新しい白い壁にはうねる様な紋様が闇を刻む。不安定に揺れる炎が作り出す影は蠕動するかのように蠢いて、まるでそこには得体の知れない何かが潜んでいるような、そんな妖しさを見ている者に感じさせた。
絡み合った茨を手前に辿れば深紅の絨毯を漆黒に染めながらやがて白い足に辿り着く。
綺麗に揃えられそこに立つ足を這い上がると膝は細かく痙攣しているようで、たまに大きく震えるとその度、壁に伸びた影も大きく蠢いた。
絡みつくような視線を感じたのがその足の持ち主は切なげに熱い吐息を漏らしながら自らたくし上げているスカートの裾を強く噛みしめては微かなうめき声をあげている。
「ほら、しっかりと立ってなさい?」
私が発したその言葉にビクリと身体を震わせて、小さな声で「はい」と答えるものの、時折襲い掛かる波に呑まれる様に幾度となく崩れ落ちそうになっては、辛うじて耐えているのだろう。やや俯いて柔らかく波打つ金髪の隙間から覗かせるのは瞬きの回数が増え潤んだ瞳でサイドテーブルに置かれたカンテラの揺らめく炎と顔半分だけを浮かび上がらせた私の顔を映していた。
「っお嬢様……シーナはもう――」
限界が近いのか、ついに声をあげた彼女を静かに見つめ返し、視線を向けただけ、ただそのまま彼女の様子を窺うと、希望に縋るような表情は一転して絶望の淵へと堕ちていく。何かが腰から背中を這い回るようなおぞましくも甘美な感覚が私を支配していくのを感じながら、彼女をこの見えない緊縛から解き放とうとはしなかった。
無言のままベッドから立ち上がりゆっくりと動作を見せつけるように彼女自身が露わにしている太腿へと手を伸ばし――触れる寸前で手を止める。再び希望の光が戻りかけていた瞳は大きく見開いたまま大きく息を飲んだところで薄暗い部屋の中で不自然に反射する太腿をそっと指でなぞると彼女は子犬のように短く鳴いた。
「ひゃぅ」
中指の指先に感じるぬめりとしたものを親指で確認するように捏ねながら、シーナの目前で開くと二本の指の間には細く伸ばされた長い糸がゆっくりと垂れ下がっていった。
「これは一体何かしら?」
小さくまとまったシーナの顔を覗き込むように近づいてゆっくりと左手で細い顎を引き寄せると粘着質の糸の絡まった二本の指を噤まれたままの口に近づける。
観念したように僅かに開いた唇に擦り付けるように指をねじ込むと戸惑いがちに指先に舌を絡ませて舐めとった。
「はしたないメイドにはお仕置きが必要ね」
その言葉が合図だったかのように長い冬の夜は始まった。
◇ ◇ ◇
朗々と読み上げられる項目と、それに続く妙に細かい金額を手持ちの羊皮紙に書き取って、三枚ほどの羊皮紙が埋まったところで私は手をあげてアリシアを制した。
「つまりはいっぱいお金が掛かるってことだけは解ったわ。残りはざっくりとでいいからある程度まとめて教えてくれる? 」
「ではこんなことも有ろうかと用意しておいた簡略版から抜粋していきますね」
それがあるなら最初からそっちで良かったのにという黒い感情を身体の底に押し込めて、残りの作業に取り掛かる。
世界樹とラスティを讃える礼拝堂のようなものを建設するように頼まれて、早速技術方の意見を聞くべくギミークさんに相談したら、一晩の間にとんでもない量の資料を作ってよこしたのだが、この辺りで一般的に使われている文字を読み書きできない私はアリシアさんに読み上げてもらっていた。
読み上げられたものは手元に用意した羊皮紙に書き写していくのだけれど、おそらくこの世界でこの写しを理解できるのは私しかいない事だろう。
現にちらりと覗いたアリシアさんには暗号文と間違われていたし、暗号文をものすごい速度で書いている事に驚かれもした。
なんのことはない、私はただ日本語で書き写しているだけなのだけど、それもエルフ文字を使うよりスペースが短く済むという短絡的な理由からだったりする。
突然読み書きができるようになってしまったエルフ文字だけれど、日本語に比べると表現がかなり独特で読む際には少しばかりコツがいるだろうか。例えるなら、『ノーザ国王』と書くならば、『陽の短き大地 明星に栄えし 人統べる 約束されし者』のように人名など完全な固有名詞で書かれていないと大変なのだ。
それだけ複雑なエルフ文字をまるで翻訳済みの文章を読むように理解できる自分は一体どうなってしまうのか? という疑問はあるものの、今はろくに読み書きできない文字よりも、日本語で書き写してしまったほうが色々と都合がよいのでこんな手法を取っていたにすぎない。
「リーリカぁ」
幾分読み上げのペースのあがったアリシアさんの朗読を書き写しながら、リーリカを呼ぶだけですぐになんとも言えない香りが漂ってくる。
「どうぞエリス様。アリシアもいかがですか? 」
以心伝心きちんと三人分用意された紅茶を飲みながら、それから小一時間ほどかけてなんとか見積書の写しを完成させた。
「これは通行料でも取らないと駄目かしら?」
比較的小規模な建物の割に、予想以上に費用がかかる見積に私はどのようにそれを回収するか考えて、安易に拝観料のような方式を思い浮かべる。
幅10メートルほど、奥行き15メートル程を高さ10メートル程に石材を使い四方を単純に囲むだけでも石材が4600個ほど必要で、それだけの材料費でも76金貨ほどかかるので日本円にしてみれば3800万円ていどだ。当然作業をするために足場を組んだり、加工をしたりと建築費は総額でおよそ白金貨3枚ほどだ。些か高い気がするけれど、拝観&通行料を銅貨1枚に設定すれば1日辺り三人ほどで30年で建物は償却できる計算だから、このまま上手く観光地化が進むならそれなりの収益を上げてくれる事だろう。
以前の私であれば収益なんて考える事はしなかったのではないだろうか? でも小さいながらも領地を得て、そこに暮らす人々の生活を守るためには先立つものが必要で、その額もこれまでとは桁一つ二つ平気で違う額の金銭が必要になるのだから仕方ない。
「それで良いと思いますよ。どこの領主でも橋や隧道などに通行料を科す位していますし、気安く見れないからこそ価値が出る場合もありますから」
つい忘れてしまっているけれど、涼しい顔でそう言うアリシアは現役の貴族令嬢だ。マリスの眷属となったマイアもそうだし、事情は少しばかり違うものの、リーリカも出自に関しては特別だ。経緯とその存在意義は置いといて、アマハラノミヤという家名はやはり特別で、東の大陸の多くの人には家名が存在していなかったのだから間違いないだろう。
ついつい連想ゲームのように思考が拡散してしまった事を反省しつつ、私達は今後必要になる手順を確認し、どのように段取りしておけば良いかを話し合うのだった。
そういえばこれが領主としての私の最初の仕事になるのかなぁ?




