村長の請願
村長の請願
丸太のように太い脚が力強く地面の雪を蹴りだすとギシリと軋ませながら馬車は動き出した。車体の下では艝となっている部分がキュウキュウ、シャリシャリと雪を鳴かせながら、ゆっくりと艝馬車はシリウスへと出発した。
「あんな馬車があったのね」
ゆっくりとロータリーを旋回する馬車を見送りながら、半ば感心して呟くと既に馬車は城門へと続く並木の間に進入していくところで、遅いとはいっても駆け足で追い付くような速度ではないようだ。
艝と車輪を併せ持つ見慣れない雪上馬車は雪が無い場所では車輪が接地して走行できるそうで、雪の上では上下方向に自由に動くトランスバーリンクにより跳ね上がった車輪ではなく、フレーム底面に取り付けられている滑走板が接地面となり、雪が無い場所ではトランスバーリンクの動きを一部固定することで車輪での走行が可能らしい。ついでにそれを引く馬も見慣れた華奢な脚を持つ馬ではなく、例えるならやや小柄にした道産子のように、筋肉の塊のような身体に丸太のような太い四肢をもつ見るからに頑丈そうな馬だった。
「見た目に反してとても乗っていられるものではありませんよ。雪が深い場所を歩くよりはマシというだけで、エリス様がお乗りになるようなものではありません」
確かに遠ざかる馬車は遠目に見てもかなり揺れている様で、あの中に座っていたら、頭の中がすぐにシェイクになってしまうだろうというのは容易に想像できた。
「でも、乗っていた人いたよね」
「連絡員は日頃から過酷な環境に慣れていますからお比べになるのが間違いなのです」
「それでも急ぎの人には重宝する、と。にしても、ベロニカさんはどこからあんなもの持って来たのかしら?」
「さあ?」
リーリカはあまり興味がなさそうに、私の手を引くと玄関の方へと歩き出す。ベロニカさんが仕立てた定期便の積み荷は箱一杯に詰められた下着や、高価なオーダーメイドのドレスなのは言うまでもないだろうか。もっとも許容量一杯にと言う事はなく、乗り合い馬車として数名が便乗できるように改装されていて、馬車の後方部には座席と言うにはあまりにも粗末なベンチが作りつけられていた。
どうやら行商ギルドに根回し迄して定期便を開設してしまう辺りベロニカさんの行動力の高さが窺われるのだが、恐らくそれだけでは無理なのだろう。とはいえ交通手段の限られているこの世界で、それが「ある」と「なし」では別世界だ。シリウスまで片道銀貨一枚という高額な運賃だというのに、先ほど出発した定期便には三名も旅客が乗っていたのがいい例だろう。
そしてどういう訳か、支払われる運賃の中から一人につき銅貨二枚がブルーノート家にターミナル料として支払われるそうで、確認はしていないものの、恐らくシリウス側でも同じようにシリウス伯へ上納される仕組みになっているのだろう。
運賃の五分の二がそのまま貴族にピンハネされていると思うと、個人的に心境は実に微妙なものだった。
まさかピンハネする側になる日がくるなんて、思わないじゃない?
◇ ◇ ◇
「いやはや、エリス様のおかげで定期便まで通るようになって、本当にありがたい事ですのぅ」
城館の玄関ホールの脇にある待合室で村長が折れた腰を更に低くして、嬉しそうに感謝を述べる。
「私はなにも、村長さんも頭をあげてください」
好々爺を絵に描いたような村長は姿勢を戻すと言い聞かせるように話し出す。
「生まれてからずっとこの山の中の村で暮らしてまいりました。街に住む方が思うほど食べていくだけなら不自由もしないものですが、それでもこの辺りだけでは手に入らない物もあるのですじゃ」
元々自給自足を行っていたこの村は、田舎の山村としては裕福な村だったろう。少なくとも近隣の洞窟に住み着き始めたゴブリン退治をギルドに依頼する程度には村としての貯えもあったのだから。とはいえ急病人が出れば医者もなく、半日馬を走らせ続けてナラシーまで医者を迎えに行くか、なんとか病人を連れて行かないといけないのだがそのような状況に陥る場合、既に時遅く――なんて事は多いそうだ。
救急搬送はもとより医療も十分に整っていないこの世界、医者を探すより神に仕える神官や巫女を探すほうがよほど現実的だろう。そのような者たちすべてが癒しの魔法を行使できるわけではないが、すくなくとも大きな街には、神? へ祈りを捧げる礼拝堂があり、修道士や修道女がいるもので、祝福や治癒の魔法を修めている者も確かにいるのだから。
だからと言って医者がいないのかといえばそうではないようで、私が思い描く西洋医学とは違うけれど、どちらかと言えば漢方などの東洋医学近い薬師の事を医者と呼んでいるらしかった。
「一応薬などは領主の務めである程度の備蓄を順次行っていますので、必要なものがあれば取り寄せる事もできますけれど、それ以外だと……」
少し後ろめたさを感じて言葉を濁す私に村長は首を振り「領外との交易は領主様の正当な権利なんじゃから」すかさずフォローしてくれた。
領主に課せられる義務は領地を整え、そこに暮らす領民を守る事。例えば周辺の川に橋を架けたり、荒れた街道の整備などだ。そのほかにも犯罪者の取り締まりや、場合によっては魔物などの脅威の排除も含まれるが、その辺は話を聞く限りどうにもグレーな部分が多い印象だった。各地の領主どころか王までも善意ならぬ悪意の第三者を徹底的に排除するなんて、現実的でないことは経験的に理解しているために、絶対的な治安の維持というものに、そこまで積極的ではないようだ。
勿論強盗や窃盗犯を捕えれば、牢に投げ込むくらいの事はどこの街でも行われているが、大きな街には大抵いる、蔓延る地下組織――主に盗賊団まがいのならず者達の壊滅作戦が行われるなんてことは、よほどの事が無い限りは行われないそうだ。
それこそ数年前にナラシーで起きたクーデターまがいの時には、大規模な地下組織がいくつか壊滅されたそうだけど、少なくともこの聖地ラスティでそのような事を今すぐに心配する必要はなさそうだった。
とにかくそういった環境整備の対価として、領主には交易権が与えられ、主に商業ギルドを介して行商人等が街を行き交うことになるのだが、中には直接的な取引を行う領主たちもいる。
そこまで考えてふと思う。
そういえば、私って結構な量の商品をあちこちに運んでる気がするんだけど、大丈夫だったのかしら?
「エリス様に一つだけお願いがあるのじゃが、よければ礼拝堂を造ってはもらえないじゃろうか?」
つい考え込んでしまった私を現実に戻したのは村長の意外な要請だった。




