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白金のハイエルフ  作者: 味醂
凱旋
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エリスの使命

 エリスの使命



 マリスとの話を終え、テラスから寝室へと戻った私を出迎えたのは、小さな手持ちのランタンを手にしたマツリさんだった。

 彼女はここ、ドーゴの山百合のドレスルームの責任者であり、全ての山百合に備えられている特別室の専属給仕を兼ねている人だ。


 やや小柄ながらもバランスのとれたスタイルで、年齢は二十二歳とのこと。

 肩口と背中の間位に伸ばされたストレートヘアは濃い目の栗色で、この世界の住人に多いブラウン系の髪だった。


「この夜中に長話はお冷えになったことでしょう? 温かい飲み物を用意しましょうか?」


 問いかけるマツリさんは寝ているリーリカを起こさないように配慮して、ランタンに何か布のようなものを掛けていた。

 促される様に私は主寝室から隣接したマツリさんが泊まり込んでいる部屋、簡易キッチンを備えた給仕室へと移動すると、勧められるままに小さなソファーに腰を掛けた。


「ごめんなさい、起こしてしまったのではないですか?」


「いえ、部屋の主が起きているなら、それは私共も起きているべき時間ですから」


 キッチンカウンターの上に置かれたランタンに照らされるのは、笑顔の可愛らしい女性の顔だ。

 戸棚からなにやら缶を取り出して、そこから匙で掬い取った粉末を湯で溶きながら、静かに煮立てているうちに、辺りにはほのかに甘い香りが漂っていく。


「ココアのいい匂い」


「ええ、ルーシア様から丁度良い差し入れを頂きましたので」


 言いながら傍らに置いてあるものを指差した。そこに置かれているのは瓶。中には白い液体が満たされており、その中身を連想すると、思わずゴクリと喉が鳴る。

 そんな様子にマツリさんは笑いながら


「エリス様も飲まれたことがあるのですね」


 なんて悪戯っぽい目をこちらに向けるのだった。

 そう、彼女が用意した瓶の中身は、地精霊(ノーム)であるルーシアさんの母乳に間違いないだろう。

 ノームとは一定の年齢になれば常に授乳が可能となる地母神に連なるとされている精霊寄りの種族だ。

 山羊や羊を思わせる頭角をもち、豊満な胸をもつものが多く、女性しか存在しない種族である。

 一般的な人間に比べると寿命は短くおよそ半分程度なのだが、彼女たちは自身のもつ特性を上手く利用しながら脈々とその種を遺してきていた。


 大体夏の終わり頃になると、子を為すために男性の家に転がり込むのだが、その多くが幼い子供を持つ家庭であることが多く、特に妊娠中の妻のいる男性の下が選ばれやすい。

 常に授乳可能であり、家事などの手伝いを率先して行う彼女達は、その見返りとして子種を貰い、出産する場を得ているのだ。

 非常に栄養価が高いとされるノームの母乳で育った子供は健康に育つという事と、ノームからはノームしか生まれない上に、父親にその責任を負わせない事から彼女たちは驚くほど自然に人々の暮らしの中に溶け込んでいる。

 水の精霊に連なるアプサラス同様に跡目問題にならない為に、貴族などの家で教育係(、、、)として雇われることも多く、北の大陸、コフの街などではどういう訳か多くのノームが暮らしていたのだった。


 そして私が初めてノームの母乳の味を知ってしまったのも数か月前、そのコフの街での事だった。

 それも搾乳したものでなく……コホン。いや、それはおいておくとして、とにかくその味は忘れられない程のものなのだ。


 危うく新境地を開きかけた私とリーリカは、その後地精霊を見るたびに、互いに顔を見合わせてしまう程なのだから、味については自信をもって太鼓判を押したっていいほどだ。


 その禁断の母乳が鍋へと惜しげもなく投入されると、漂う香りはさらに甘さを増していく。

 煮立つ瞬間に火からおろされて、カップへと注がれたココアが私の前に置かれると


「さあ、火傷しないように召し上がれ」


 とマツリさんはやはりニコニコと言うのだった。


 ◇ ◇ ◇


 短くも深い眠りから覚めた時、私の腕の中ではまだリーリカが私の胸に顔を埋めるように、静かな寝息を立てていた。

 ぼんやりと寝ている彼女を眺めながら、私といえばこれまでの事を思い返していたのだ。


 およそ半年前、初夏の陽射しに照らされながら、私は昼寝をしていた筈だ。

 ただの女子高生だった真柊(まひらぎ) 慧美(えみ)は二年目の高校生活を怠惰に過ごしていた。

 そして昼寝から目が覚めた時、私は林の中の大木に寄り添うように横たわり、巨大な蜂に追い回されてるうちに、林からなんとか抜け出たところを、今は隣の部屋で寝ている灰茶色(アッシュブラウン)の冒険者、サラによって助けられたのだ。


 訳もわからず、流される様に彼女について辿り着けば、そこは城塞都市シリウスで、そこの冒険者ギルドで私はそれまで気が付かなかった、重大な事実に気が付いたのだ。

 気が付けばエルフ――エリス・ラスティ・ブルーノートという名をもつプラチナ色に輝く長い髪と、長く伸びた耳を鏡で見た時の衝撃といったら、まるで天地がひっくり返ったように感じたものだ。


 私は冒険者としてその街で様々な人と知り合って、そう、今こうして腕の中で眠っているリーリカと出会ったのも、シリウスの街での事だった。

 グローリー男爵の元で働いていた機械人形を思わせるようなクールな女性の印象はすっかりと影を潜め、ちょっぴり独占欲は強いけど、私を支え私を慕ってくれるかけがえのないリーリカに、一体何度慰められたことだろう。


 偶然出会った筈の私達は、複雑に絡み合った因果の鎖で結ばれていた。

 一国の王女でありながら、奪われた友の身体を取り返すため、厄災の緋眼を追っていたサラ。


 千年以上も昔にこの地に降り立って、運命のいたずらに翻弄された厄災の緋眼と呼ばれた白の聖女マリス。彼女が愛を向けたイリスの生まれ変わり、リーリアとアルの間に生まれたのが、リーリカだ。


 ルーシアはマリスを討ち取った際に、その身体を支配され、それでも消えることなくマリスの深層心理の片隅で自我を保ち続けていた。


 そして、私やルーシア、マリスに共通する、ラスティという神の存在。

 ノワールノートと呼ばれるこの世界の外で、互いに支え合っていたブルーノートとブラッドノートの三つの世界と、観察者たるラスティが、世界の形の全てだったのだ。

 時間という概念は、観察者が居て初めてその意味を得る。


 では観察者を失った世界はどうなるのか?

 解かれることのなかったその命題に解をしめしたのはラスティだった。

 全ては虚無へと堕ちていく。

 虚無とは全てが反転した世界。

 位相がひっくり返ったその世界では、世界はどんどん一点へと還って行くのだという。

 そして、今まさに崩壊している世界はブルーノートとブラッドノートの二つの世界だった。


 いや、既に崩壊してしまったというほうが正しいだろう。

 異なる次元に存在していた二つの世界は重なり合って、一見すれば団子の様にくっついているように見えて、その表面に見えるのは既に張り付けられた実体のないテクスチャのようなものなのだという。

 そこに至ることも、干渉することも既に不可能であり、境界線の内側では位相が反転しているのだという。


 世界が重なるその瞬間、最も中心に近い場にいた私へ、全てのエッセンスを避難させ、このノワールノートの世界樹の一本を触媒にして、顕現させられたのが私の信じがたい正体だ。


 今のところ私以外にその事に気が付いているものは居ない筈……マリスやルーシアは成体転生者なのだけど、私に関していえば、転生でも転移でもなんでもない。実のところはこの世界に避難させた莫大なエッセンスの核を自我というバリアで留めておくための真柊(まひらぎ) 慧美(えみ)という意識の残滓でしかないのだ。

 私の元の身体は既に虚無の中、恐らく友達も、先生も、お母さんも、お父さんも、きっともう……。


 でも、それでも取り残された多くの魂と、バランサーを欠き崩壊を始めているこのノワールノートを救うため、私には成さねばいけない事があるのだ。


 それはきっと私にしかできなくて、私がしなければいけない事だ。

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