顔合わせ
顔合わせ
深い眠りから覚めた私は見慣れない天蓋にどことなく不安な気持ちが湧き上がってくる。どこもかしこも真新しく、新築特有の強めの匂いすらも先ほどから感じている気持ちを増大させる中、逃げるように顔の半ばまで布団を引き上げると唯一直ぐ近くに嗅ぎ慣れたリーリカの匂いを感じて私は彼女の頭を抱え込むように抱きしめた。
腕の中でもぞもぞと蠢くリーリカに、起こしてしまっただろうかと、少しばかり罪悪感を感じるものの、やがて静かに寝息を立て始めたリーリカを見て彼女の頭に顔を埋めるといつの間にか再び眠りへと堕ちていった――それからどれくらい経ったのだろう?
「エリス様、そろそろ起きませんと……」
無慈悲な言葉に再び意識を引き起こされた私は無慈悲な天使の細い腰に腕を回してささやかな抵抗を試みる。僅かにくねる彼女を大人しくさせようと、腰に回した手をそのまま下の方へ――すべやかな太腿まで滑らせると恨めしそうな声で彼女は抗議した。
「エリス様? お気持ちは嬉しいですが、生憎と今は時間がありません。式典を明日に控え、今日はやることが山積みなのではないですか?」
「うー、リーリカのいじわる」
「今朝は使用人一同の顔合わせがあった筈ですが、初日からエリス様はそのような乱れた髪ののまま皆の前に立ちたいのですか?」
全くその通り。昨日は私があまりにぐったりとしていたせいで先延ばしとなった顔合わせが朝一番で行われるのだ。まだ愛着もないブルーノート家といっても、せめて初日位はきちんとするべきだろう。なんていったって明日は国王も参加する公事なのだし、慣れていないのは何も私だけではない。ここに集められた使用人達も不安に感じているかもしれないのだから。
「わかったわ、私の負けよ」
その言葉に一瞬気の緩んだリーリカの唇に軽く口づけをすると、今度は拗ねたように「それだけ……ですか?」と呟いた。
「続きはまたあとで、ね?」
ようやく少し頭が回るようになったところで思い切って布団から這い出すと、室内といえ引き締った空気に自然と身体を震わせた。
ベッドの上に放り投げたままのガウンを羽織り、バルコニー横の浴室を覗いてみると温かい湯気で満たされており、その場ですべて脱ぎ捨てて軽く寝汗を流すことにした。
部屋付の半野天の浴室も、三階にある大浴場にも温泉が引かれており、いつでも気軽に入れると聞いたとき、その時ばかりは長々と煩雑な事務的な苦悩で一杯だった頭の中が、一瞬でお花畑で満たされるくらいに舞い上がったが、こうして朝から温泉に浸かっていると改めて嬉しさが込み上げてくる来るものだ。
香り立つ檜の淵に腕を組み、周囲の一段高くなっている所へだらしなく寝そべっていると、丁度リーリカがタオルや替えの下着を抱えて入って来たところだった。
「リーリカも早くおいでよ」
恐らく今の私の顔はおそろしく緩み切っている事だろう。それでもお構いなしに、私は手招きしながらリーリカに催促すると少し呆れた顔をされてしまった。
「まったく、温泉ならほぼ毎日入っていたじゃないですか」
「それはそれ。これはこれよ。それにまさかわざわざここに温泉を掘ってくれるなんて思わないじゃない?」
「設計を担当したのはドワーフらしいですからね。彼らの温泉掘削技術の右に出るものはいませんよ。元々は温泉より更に深くにある溶岩流を捉えるための技術らしいですが」
「溶岩なんて探してどうするのかしら?」
「なんでも一部の希少金属を鍛錬するのに使うそうですよ。そうですね、例えば――霊銀なんかが有名ですが」
「ミスリル!? あるの? ミスリル!」
思わず食い気味に叫んでしまったけれど、仕方ないんじゃないだろうか?
ロクにゲームなんて遊ばなかった私でも、これほどポピュラーな架空の金属の名前くらい知っているのだ。
というか、既に存在してるらしいので架空の金属ではなく、ただの希少金属なのだろうけど、それでもどんなものかと気になってしまうのは仕方ない事だと思う。
「急にどうされたんですかエリス様。そうですね、例えばここ」
リーリカはいつの間にか、どこからともなく取り出した短刀を鞘から抜くと手慣れた様子で柄の部分を分解して見せ、鎺の少し下に打ち込まれていたピンのようなものを取り出し見せてくれる。
銀というよりも見た目はチタンに近いだろうか? やや薄緑がかったそのピンは想像以上に軽いものだった。
「この短刀は少しばかり特殊ですから、茎から特性による干渉を避けるために目釘と呼ばれる留め具にミスリルを用いてるそうです。通常銀といえばすぐに錆びてしまいますが、ほぼ錆びない上に非常に硬いのも特徴ですね」
ますますチタンに似てるななんて益体も無い事を考えながら、私は手の中で朝日を浴びて眩しく光るミスリルの留め具をしみじみと眺めてしまい、早く返してほしそうなリーリカに謝りながら返すのだった。
◇ ◇ ◇
なんとか当主としての挨拶を終えると、その場にいた総勢三十名を超える使用人たちが一斉に傅いて、ほんの一瞬ではあるもののその光景に怯んでしまった事は、その場に居た者の心の奥底にずっと仕舞っておいてほしいと願っている。
私が立っているのは大ホールの演説壇であり、二階にあたる部分で使用人たちがいるのは大ホールだった。
昨日は気が付かなかったけれど、この演説壇には移動式の階段を繋げる事ができる仕組みで、私はゆっくりと階段を降りると整列している彼ら一人一人の前に立ち、秘薬を付けた指で軽く彼らの額を触り、それを受けて誓約の言葉を聞き届けるという妙な儀式の真っ最中だ。
一通りこの儀式が終るとフランツさんの提案で、各部署の責任者を任命することになるのだが、生憎とまだ誰が適任か分からない。勿論その辺もきちんと踏まえて、並んでいるのはおおよその序列順で最初から場所が決められているわけで、各部署――といっても機工師なんかは一人しかいないのだが、とにかく責任者を任命していった。
責任者にはやはり予め用意されていたピンバッジをつけていき、メイド隊だけは柄の違う襟元につけるリボンタイを、とにかく今後は今任命した責任者の指示で各隊が動き出す体裁が整った。
「さて、堅苦しいのはここまでにして、少し口調を崩させてもらうわね」
当然異論が出る筈もなく全員の注意がこちらに向けられる。
「明日は早速大仕事になるわけだけど、私は自分の行う手順を覚えるだけで手一杯で、目が届かないと思うの。不甲斐ない主人で申し訳ないけれど皆の力を貸して頂戴。事前に確認や打ち合わせが必要ならば午前中のうちに執務室に来てもらえると助かるわ」
いきなり威厳もなにもかなぐり捨てて、皆にそうお願いする。ほんとはもっとちゃんとしないといけないのかもしれないけれど、つまらない事に意地を張り大きな失態をしたのでは本末転倒だろうと思ってそう告げた。
ちなみにマリスとマイアは食客扱いなのだが、マリスはマリスなりに気を遣ってくれて救護係を申し出てくれた。
いつも通りに漆黒のドレスを纏った彼女を見ながら私はこう思う。
救護係ならせめて白いエプロンドレスでも着て赤い腕章でもつけていてほしいんだけどなぁ




