新米領主の悩み
新米領主の悩み
聖地ラスティの領主城館が完成したことにより開かれることになった入城の式典に参加するために聖地ラスティへと到着した私達。式典は正式にはもっと長ったらしい名称らしいが平穏の時代となり久しいこの大陸では行われることも少なくなり、『収領祭』と呼ばれているそうだ。これにより晴れて名実ともに領主ということになるらしいのだが、封建的な社会の事情に疎い私にはその辺りがどうにもピンとこないでいた。
とにかく大急ぎで準備を済ませて聖地ラスティへとやってきた私たちが見たものは、とても急造されたとは思えないほど立派な領主城館と、私達を出迎えた意外な人物に驚くばかりだったのだ。
「さあ、エリスお嬢様、色々と疑問もありましょうがまずはお入りください、お話はそれからという事で」
削りたての木の香り立つ重厚な玄関ドアをくぐるとまず小さなホールがあり、正面の壁の前にはカウンターが作られていた。領主城館は役所のような機能も持つために通常時はこのカウンターの中に事務官数名が詰めるらしい。
カウンターの後ろの左右にあるドアはそれぞれ入り口用と出口用になっているそうで、城館への出入りの人数などをチェックするためにこのような仕組みにしているらしい。
先導するフランツさんについて左側のドアを進むと、奥行三十メートル以上はありそうな大きなホールとなっており、丁度小ホールとの間の壁の裏側はクロークスペースとそれらを管理する時に使用するカウンターが作られていた。
「これならかなりの規模の舞踏会を開いても十分機能しますし、防犯面でも役に立ちそうですね」
最初に声を上げたのは意外にもリーリカで、彼女はホールをぐるりと見回すとなにやら小さく頷いていた。
「エリス様の執務室は三階になっておりますのでまずはそちらに参りましょう」
大ホール部分は吹き抜けとなっており、二階部分には回廊がぐるりと設置されていてそこに上がるには左右いずれかの階段を入ってきた方向とは逆に、折り返すような向きで上がらなければいけないようで、少しばかり不便だなと思いながらも二階へと上がる。再び奥の方へと進んでいくと大ホールの一番奥の部分にはちょっとしたバーラウンジのようなスペースがあり、ホール側の部分は半円状に一段低くせり出しているのはやはりパーティー等の際に利用できるように意識して設置されている様だった。
バーラウンジを横目に左側の回廊を少し進むと、建物内側部分がガラス張りになっていて階下には中庭を一望できるようになっていた。前を行くフランツさんがふっと消えたように見えたのは目の錯覚で、そこには廊下がありフランツさんはただ右に曲っただけだったのだが、一瞬見失いかけた私は少々変な挙動で慌てて彼を追いかける羽目になってしまった。
「間違いなくドワーフの設計かしら錯覚を利用した疑似的な隠し通路なのよ」
マリスが言うにはその昔戦乱期には流行った様式だそうで、意識や視線を誘導することでそこに通路があると知らない者、特に外敵など侵入した際には急いでいる者はその通路に気が付かずに直進してしまいやすいらしい。
隠し通路を曲って丁度バーラウンジの裏側辺りには階段室となっていて真新しい絨毯の敷かれた階段を私たちは登っていった。三階まで上がってきた私たちは再び中庭側の回廊を奥へと進んでいるが、こちらはたまに窓が設けられているだけで、全体がガラス張りという事はなかった。
執務室は屋敷の奥側、三階の中庭側にあり、配置が絶妙なのか他の階からは執務室がそこにあるとはわかりにくいのに、執務室からは中庭や二階のガラス回廊の様子が良く分かるような造りになっていた。
ドアには私の紋章が彫刻されており、既に据え付けられている机の後ろには紋章旗も掲げられていた。
「日当たりも良くていい部屋ね」
――ちょっと遠いけれど。という言葉を頭の中でだけ付け足してそんな感想を述べた私は恐る恐る椅子に座ってみる。勿論みんなには部屋に置かれているソファーに座ってもらうけれど、なんとも慣れない距離感に妙に緊張してしまう。
「ではお嬢様方も色々と驚きの事と思いますので、そろそろ説明させていただきます」
僅かな沈黙を打ち破ったフランツさんは、事の経緯とあらましを語り始めてくれたのだけど、それだけで軽く数時間かかるとは、この時誰も思っていなかったのだった。
◇ ◇ ◇
領主城館のプライベートダイニングで私たちは遅めの昼食を採っている。四階は全てプライベートエリアとして居住区になっており、私の私室の他にも多くの部屋や設備が備えられていた。私の私室として用意されていた部屋は三部屋続きとなっており、東側と南側に開けた広いバルコニーが付いていて、嬉しいことに小さいながらも半野天の風呂場も備えていた。
各部屋の配置は今の私たちの現状をある程度考えられていたらしく、私の部屋の両隣にはやや狭い小部屋とやや広い二間の部屋がある。二間続きの部屋はマリスとマイアが使う事になり、小部屋はリーリカが私室として使いたいと言っていた。もっとも普段は私の部屋で一緒に寝起きすることになるので、小部屋に置かれている寝台が使われる事は滅多になさそうなのだけど。
この大きな屋敷で働くスタッフはおよそ三十名ほど。ブルーノート家――というのはなんだか耳慣れないけれど、とにかく領主家の急な立ち上げに際してリオン王国が身元が確かな者であり、かつ諸々の事情によりリオン王国出身者だけとならないような配慮で選ばれた出身地も様々なスタッフたちだ。
その多くは各地の山百合に従事していた者たちで、一番多いのはメイド隊だろう。全山百合の総支配人さんでもあるリリアナさんの名前で山百合ネットワークに流れたのは、ブルーノート家の使用人として離職を希望する者の募集であり、殺到した希望者の選別には一悶着あったらしいのだが、およそ二十名ほどのスタッフが山百合に籍を置いていた者たちだ。
フランツさんは家令として私が不慣れな事務仕事をサポートしてくれるほか、他の使用人の管理などを一手に引き受けてくれるそうで、私としては嬉しい限りの事だった。
ちなみに山百合から雇い入れた内訳は――メイドが十五名、料理人が三名、事務方として家令と執事が各一名の計二十名。
山百合外から雇われたのが庭師兼馬方が三名、機工師が一名、警備兵が六名となる。
実際にはこれにリーリカやアリシアが加わるけれど、彼女らは私と共に随伴するので屋敷の常用スタッフとは言い難い。
それにしてもこれだけの人数の人件費って、凄いことになるんじゃないだろうか? なんて心配していたけれど、住み込みで働く彼らの給料は思っていたよりは安く抑えられていたし、支度金ということでリオン王国から白金貨が二枚出ているという事で当面財政面は問題ないとのことだった。
もっともこの田舎で白金貨を使うのは大変だろうと思い、増えすぎている持ち歩き金の中から金貨八十枚と銀貨で四百枚をフランツさんに預ける事にした。
金銭管理がいささかザルなような気もするけれど、毎月の給金だけでもそれなりの金額になるのである分には越したことがないだろう。なんていったって、領主の主収入である税収というものが今年は一切ないのだから。
ちなみに家令であるフランツさんの給与は銀貨八枚で屋敷で働く者達の中では最も高給取りだ。次いで執事と機工師の七銀貨、警備兵の六銀貨と四銅貨であり料理人ほか庭師や給仕の者たちは能力によりばらつきがあるが、大体四銀貨から六銀貨辺りの範囲に収まるそうだ。
ということはこの屋敷の三十名のスタッフたちを今後も継続して雇っていくには毎月概算で十九金貨近く掛かる計算で、太っ腹と感じていたリオン王国からの二枚の白金貨はおよそ一年分の人件費として消費されてしまうということで、要は最低限の――本当に支度金であったらしく、少しは大金に慣れたと言え所詮十七歳の私にしてみれば、予想以上に人を雇うという事がコストのかかるものだと痛感したのだった。
こんなんで本当に領地経営なんてできるのかしら? そもそもこの小さな村でどれほどの税収が見込めるのか、まだ予想すらつかない私は、折角のデザートの味もわからないまま食べ終わってしまうのだった。
#この世界の貨幣価値について
前作であある『気が付けばエルフ』で説明されていますが念のため。
(一章も終盤に来て今更感はありますが)
現在の日本円にしておよそ
小銅:50円
銅貨:5,000円
銀貨:50,000円
金貨:500,000円
白金:50,000,000円
の価値となります。大きな町の一般的な宿屋の値段は1銅貨程度であり、素泊まりが基本です。
屋台などでは4~10小銅貨の様々な串焼き等が売られていますが値段は交渉次第で多少変わるようです。




