冬の逗留先
冬の逗留先
「リーリカ、わたしもう……」
懇願にも似た私の叫びを無視するように、リーリカが正面からしなだれかかる。大きく首に回された細い腕は一体どこからそんな力が出てくるのだろうというくらいにしっかりと私をホールドしており簡単には抜け出せそうもない。
複雑に形を歪めながら密着した胸部に走る感覚に顔を歪めながら私は必死に耐えていた。
「逃がしませんよ? エリス様」
長い耳朶に掛かる吐息がやけに熱く、続いてねっとりとした感触で包まれて意識を焦がしていく。
なんとか逃れようにもここは湯舟の中であり、隅に追い詰められた状態の私にリーリカは巧みに身体を絡めて逃がさない。
「一体どうしちゃったのよ!? アぁっ!?」
返事代わりに軽く歯を立てられて僅かな痛みに驚いていると、今度は声も許すまいとすかさず口を塞がれた。
激しく波打つ水面はバシャバシャと浴槽から零れ落ち、渦を巻いて排水口へと流れ込んでいった。
湯煙と吐息ですっかり視界の悪くなった浴室に突如冷たい空気が流れ込んでくると――
「あなたたちいい加減に出てくるかしら? とっくに朝食の時間は過ぎているのよ!」
「……仕方ありませんね」
「…………」
なかなか戻らない私達に痺れを切らし呼びに来たマリスの声に、不満げな声を漏らすリーリカと、既に何も答える気力のない私の沈黙でその日の朝風呂は終了した。
浴槽のなかで伸びかけている私を流石にそのままには出来なかったのかリーリカに支えられるように脱衣所まで戻ると、彼女は手早く下着だけを身に着けて、私の身体をタオルで包み込み水分を拭き上げていく。
大判のタオルで簀巻きにされた後はいつの間にかほどけて濡れてしまった髪を丁寧に挟み込むように拭きながら、小さく彼女は囁いた。
「マリスと浮気してる暇があるならもっと私を構ってください」
「いや、それ誤解だから」
そんな事を口にしつつもなんか説得力に欠ける言い訳だなと我ながら感じてしまうのは、心のどこかで後ろめたさを感じている為だろうか?
勿論そんなつもりはまったくないのだけれど、少しばかり感傷的になってしまった私をマリスが慰めただけなんだからと話したところでさして事態は変わらないだろう。
こんな時は行動で示すのみである。くるりと半回転した私は驚くリーリカの顔に手を添えて、その淡く輝く小さな唇を貪ると、効果覿面すぐに腕の中で大人しくなったリーリカは力を抜いて私を導き入れていた。
ぼんやりと歪みかけた世界に沈み込む直前に、再びやってきたマリスによっていきなり現実世界に引き戻される。
「いい加減にするかしら!?」
◇ ◇ ◇
「入城の式典?」
「はい、エリス様に出席いただかないことには始まりませんので」
ソファーを勧めたにも関わらず目の前の文官さんは直立不動でそう答える。
年明けから数日が過ぎ、やっと装備化地獄から解放されつつあった私たちのもとにリオンの王城から使者が訪ねてきたのだ。
「もう聖地ラスティの城館は完成したのですか?」
「勿論でございます。すぐにでもお住まいになられますのでご安心ください」
「でも色々と準備しないといけないんじゃないかしら?」
貴族の風習についてはまだ詳しくない私はこの場にいる元貴族令嬢であるマイアに視線を向ける。
「一般的には使用人などの雇用等は領主となる家で行うものですが、急な話ですから人材が集まるかどうか……」
そりゃそうだろう。使者の話では十日後にその式典は行われるらしい。勿論私の領地となった聖地ラスティの村で、だ。城館を建設してくれるという話は聞いていたものの、完成は早くても春頃だと思っていたために先延ばしにしてきた結果、まだ何も準備していないというのが正直なところだった。
「そちらについてもご安心ください、とにかくエリス様は身ひとつで領地へと赴いて頂いても支障のないように手配済みですから」
「間違いないのですね?」
「我が国の名誉にかけましても。それに式典には国王をはじめ近隣の領主様方や貴族の方々も参列なさいますので国を挙げて成功にむけ務めさせていただきます」
鋭いリーリカの問いかけにも笑顔を崩さず、使者を名乗る男は恭しく片膝をついてそう答える。
あの国王はなにかと抜け目ないからな、なんて不敬な事を考えつつも、断る訳にもいかないので式典の日までにラスティへと移動しないといけない事には変わりない。
「とにかくお話は解りました。国王にもよろしくお伝えください」
「はい、この命に代えましても」
正直返事くらいで命をかけられたら重くて困ってしまうのだけど、あくまで形式美として受け入れておくことにして使者を見送った。
「それで? どうするのかしら?」
しばしの沈黙を破ってマリスが涼しい顔でそんな事を聞いてくるので少しだけ考えて――
「ああ、もちろん行くけど、そうね……出発は余裕をもって六日後くらいでいいかしら? 順調ならその日のうちに、多少もたついても翌日には到着できるしね。どうせ時期が遅れてしまえば雪も増えるんでしょ? 聖地ラスティに行くのは予定していたことだし、住む場所があるならそのまま冬の間は向こうで過ごすってのも有りよね」
「そ。妹ちゃんがそう言うならそうしましょ。わたしはマイアと一緒についていくだけかしら」
「わたくしはエリス様の傍に付き従うこと以外考えられませんので、エリス様行く先が私の行く先です」
「アリシアそれは私のセリフです!」
彼女たちの前に倣えの反応に昔流行ったというゲームの話を思い出しつつ、とりあえず出来る準備を進めることで話は一致した。それにしてもアリシアさんの処遇とかもそろそろきちんとしておかないとダメなんじゃないだろうか? 彼女の話では問題ないとのことだけど、これでも彼女はれっきとした王国に雇われているメイドだし、さっきはすっかりと忘れていたけれど、彼女も貴族の末席に名を置いていたはずなのだ。
まさかこれってフラグとか言う奴じゃないでしょうね!?
◇ ◇ ◇
「え? 私に任せていただけるんですか!? エリスさん……じゃなかった、エリス様」
「いいわよアリスちゃん。そんな余所余所しく様なんて付けなくても」
「いや、でもエリス……様は、特別領の領主様になるんですよね?」
「確かにそうだけど、じゃあせめて私達だけの時だけでもいいから今まで通りに接して欲しいの」
「そう……ですか」
目の前でもじもじと顔を紅潮させている小柄な彼女はアリス。ひょんなことからベロニカさんによりヘアスタイリストとしての才を見出され、今ではシリウスではちょっとしたカリスマになっている。
「で、どうかしら? 受けて貰えるかしら?」
「勿論凄く名誉な事なんですけど、その丁度エリス様の入城式に出席される貴族の方とのお約束もありまして……うーん」
「ではラスティの城館の一室を臨時のサロンにしてそちらで営業されるのは如何でしょう?」
急な依頼に困り果てた顔のアリスにそう提案したのはアリシアさんだ。
「そうですね、お約束のあるご婦人たちにエリス様の名前で招待状を出しましょう。同じヘアスタイリストを支持する方に、一足先に城館内で準備して頂くという趣向ならば間違いなく喜ばれますよ」
「そこまでして貰っていいんですか!?」
「アリシアさんナイスアイデアよ、私の招待状くらいで丸く収まるならいくらでも書くわ。何人の方へ出せばいいかしら?」
「でしたら三人ほどお願いしたいのですけど、いいですか?」
「ではその件は私が文面の素案を考えましょう。アリスさんこちらにお願いできますか?」
「あ、はい。あの……エリス様有難うございました!」
「ほら、また様がついてる……」
アッというように小さく口に手を当てながらも、深々とお辞儀をして赤いコートを着た少女がアリシアについて部屋を出ていく。
「また御髪を切られるのですか?」
彼女を見送りながらリーリカが少しだけ残念そうに聞いてくるので「少しだけ、毛先が痛んでいたらみっともないでしょ? 」と微笑みかけると納得してくれたようだった。
やっぱり伸び放題になってる髪じゃ、色々と不便だものね。ついでに皆の髪も整えて貰おうなんて考えながら、私は明日からの買い出しに備えて買い物リストの作成に取り掛かるのだった。




