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白金のハイエルフ  作者: 味醂
凱旋
31/78

吸血鬼の挽歌

残酷な描写が含まれておりますのでご注意ください。

 吸血鬼の挽歌



 こめかみを突き抜けるような冷気に驚きながら私はバルコニーへ歩み出る。バルコニーから見えるのはまばらな街の明かりと闇よりも深い影を浮かび上がらせる建物のシルエットだった。夜明けまではまだ幾許かの時が必要なようで東の空を眺めても暁の兆候はまだ表れていない。

 可愛らしく寝息を立てるリーリカのいる温かいベッドを抜け出してまでこんな冬空のバルコニーに私が出てきたのは歌が聞こえたからだった。


 開ける時、僅かに音をたてた蝶番のためか今はその歌は歌われていないものの、先ほどまで聞こえていた方向を見れば小さな影が一つ浮かび上がっており、こちらを静かに眺めているのだった。


「どうしたのかしら?」


「いや、それはこっちの台詞よ。でも、そうね……歌が聞こえたから」


「そう……起こしてしまったかしら? ごめんなさいね」


「ううん、それは良いんだけど、なんか珍しいなって思って」


「私だってふと歌いたい気分になることもあるかしら」


 闇に慣れてきた目には、夜風にそよぎ揺れる美しいマリスの髪が映り込んでくる。白い肌、白い髪、そして黒い夜着の上に羽織るのはやはり漆黒の外套で、闇の中に頭だけが浮かび上がっているようにも感じられた。

 ぶるりと身震いしたのは冷たい夜風のせいだろうか?


 僅かに浮かんでしまった感情をごまかすように私は彼女をもう少し温かい場所へ誘う事にした。


「ここは冷えるわ。浴室のほうへ行きましょ」


 くるりと踵を返し、振り返らないように彼女が居たのと反対側にある浴室へと向かう。

 自分の足音に小さく重なるように響く足音は彼女が付いてきてくれている証拠だろう。そのことに小さく安堵しながら私は浴室の簡素な扉を開けて身体を滑り込ませると、湯気により温められた浴室内で小さく息を吐いたのだった。


「素敵な歌だったわ」


 マリスによって閉められたドアの音を耳にして、なんとなく浴槽に指だけ入れながら声をかけた。マリスからしてみれば背を向けたままの状態なのだけど、今の私には彼女と面と向かって話をする勇気がどうしても湧かなかったのだ。


「古い古い歌よ。今ではもう歌われることもない、とても古い歌かしら」


 静かに答えるマリスは今どんな表情(かお)をしているのだろう? あんな事件が無かったならば、今でも伝え歌われていたかもしれないその歌は、恐らく讃美歌の類のものだろう。

 世界を讃え、神を讃える感謝の歌は、一つの文明圏の崩壊と共に時の流れに失われてしまった歌だ。


「昔は良く歌っていたの?」


「そうね、礼拝の日には大体歌う事が多かったかしら。ほかにも歌われる歌はあったけれど、生憎と私が歌えたのはこの歌だけだったから」


 僅かに覗かせる素のマリス。まだ私たちにはあまり見せてくれない、かつてのマリス――白き聖女であった頃の純朴で優しい彼女の姿。

 恐らくマリスにこの歌を教えたのは黒の神子リーリアだろう。

 かつて顕現したマリスを受け容れ、優しい日々を共に送ったはずの彼女は、今では崩壊の危機にある。

 ラスティの秘術により東の果ての大地の底で空間ごと時を止め、最愛の者と共に救済を待つ彼らをマリスは片時も忘れないのだろう。


「もどかしいわよね、ごめんなさい」


 マリスは別に当て付けの為に歌っていたのではないのだろう。誰にでもふと人恋しくなることがあるように、大切な人との思い出にまつわる何かでそういった気持ちを無意識に慰めようとする代償行為のようなものなのだろう。頭でわかってはいるものの、それでもそんな言葉が出てしまったのは私が抱える罪悪感の現われなのではないだろうか?

 ぐるぐると回る思考の渦に眩暈を感じながら私はたた浴槽の湯を意味もなくかき回す事しか出来ないでいた。


「あなたは考えすぎなのよ」


 耳元で囁かれたその言葉以上に、そっと後ろから抱き込まれたことに驚愕しつつも、私は回された彼女の白い手を胸元で握りしめ、不規則に広がる波紋の淵にかすかに浮かぶ煌きにいつのまにか迫った夜明けを感じるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 夢の中で生きている。決して覚める事のない、悪夢のような現実は、救いようのない絶望の日々。絶え間なく降り注ぐ悪意にもがき、幾度となく溺れそうになりながら、或いは既に溺れ切っているかも判別できないほどに、私の思考から色彩を奪っていく。慎ましくも幸せだった鮮やかな日々は過去。やがて世界はモノトーンで覆い尽くされて、それでも私は生きる屍のように世界を這いずり回っていた。


 吸血鬼(バンパイア)身の上なのだから正に生きる屍ではないか? 自嘲する私を窘めるものも、諭す者もなく、ただ復讐の悪鬼の下僕となり果てた彼を従えて私はあてもなく彷徨い続けるのだ。やがて一年、また一年と月日は過ぎ去り、いつしかどれほどの時が経ったのかも分からなくなった頃、悪意の根源を突き止めたたのだ。


 失ってしまっていた一切の熱を一気に取り戻して尚足りないほどに、私は内なる血が沸き立ち滾り、歓喜に打ち震えるほどだった。

 衝動に身を任せその塔の中に踏み込んだ私の手は鋭い爪が伸び、更には足元に転がる得体のしれないおぞましい化け物の血に塗れていた。


 獅子の身体に蛇の首、更には老人のような顔まで"生えている"その化け物は、聞くまでもなくおぞましい残虐な実験の末に生み出された哀れな犠牲者達の成れの果てなのだろう。

 無造作に手を振り返り血を振り払うともう一度合成獣(キメラ)のほうを振り返る。

 化け物を肉塊へと変えたことによる罪悪感はないものの、命じるままに塔の入り口を守っていた被害者仲間に僅かばかりの憐憫を感じたのか、一言『埋めといて』と呟いて階段をゆっくりと登り出した。


 大地を穿つ音を聞きながら私はゆっくりと、踏みしめるように塔の螺旋階段を登っていき、やがてその音も聞こえなくなった頃、不可思議な紋様の刻まれた大きな扉の前に立ったのだった。


 不思議な力で閉ざされた取っ手もない奇妙な扉を影となってすり抜ける。僅かな違和感を覚えながらも首尾よくその部屋に侵入を果たした私の目に飛び込んできたのは薄暗い部屋の中で不思議な光を放つ石板を食い入るように操作する一人の若々しい男の姿だった。


「見つけたわよ、諸悪の根源――西の大賢者。そしてさようなら」


 完全な実体化を待たずにただ腕を振るうだけで、それはいとも簡単に地面へと転がった。

 椅子に座ったままの胴体はまるで噴水のオブジェとなり、足元に転がってきた頭を無造作に掴み上げると驚いたことにそれは喋り出した。


「認めんぞ! こんな終わり方!! 俺は全てを解き明かすために選ばれたんだ! だからあいつだって――」


 何かを言いかけた賢者がそれを言い切ることはなかった。なぜならいつの間にか追いかけてきていた彼が粉砕してしまったからだ。


「危険です、その男」


「まあいいわ……何事!?」


「周りをご覧ください」


 いつの間にか騒がしくなっている部屋の中は奇妙な音がそこかしこから聞こえてきている。

 断続的に聞こえる不思議な音の中、奇妙な石板には猛烈な速度で不可解な文字を映し出しており、魔法的な輝きが部屋全体を覆い尽くすと、次の瞬間壁の一角が強烈な光をまき散らしだす。


 続けて鳴り出したけたたましいほどの警告音らしきものに、悠長に考えている暇はないと判断した私はアルと頷き合うと、黒い霧となってその塔を脱出した。


「やってくれたわね。どこまでも忌々しい」


 黄昏に染まる空にたなびくは一筋の噴出煙、轟音を空一面に響かせてどこかへと飛んでいく塔の姿は間もなく視界から消え去ったが、諸悪の根源は何らかの方法で逃げ延びていると直感が私にそう告げていた。


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