緋眼の幻影
緋眼の幻影
香ばしく焼かれた主菜皿を食べ終わると、マリスは口元を拭いながらこちらを見て唐突にこんなことを聞いてきた。
「それで妹ちゃん? 結局この後どうするか聞かせてくれるかしら?」
「えっと、今後の予定って事よね?」
「改めて言うまでもない事なのよ」
軽く頷きながらこちらを見据える紅い瞳に背を正し、私はざっくりと考えていた今後の予定を皆に話すことにした。
「まずは先に話していたように、リオンの暁号が到着次第一度ノーザ国の王都リオンに向かう予定だわ。国王にも一応色々と説明しなければいけないし、なにより"厄災の緋眼"の手配を解いてもらわないといけないわよね」
「まあ、確かにそれは必要かしら。それで、その後は?」
"厄災の緋眼"その人であったマリスはこの言葉に少し居心地悪そうにするものの、話を止めないように続きを促している。
「その後はサラとルーシアさんは西の大陸へと帰るらしいので、私たちは北の大陸のシリウスに寄った後、二本の世界樹を再び訪れようと思っているの。その準備という訳ではないのだけれど、マリスは千四百年ほど生きてきたのでしょ? その間にここ東の大陸、北の大陸、西の大陸の外の大陸の噂を聞いたことは無いかしら?」
「正確な年月なんかとっくに忘れてしまったけれど、そう……もうそんな年月が経っているのね。でも生憎と眉唾物の話以上の事は聞いたことがないかしら」
「眉唾物の話でもいいわ」
身を乗り出して食いつく私にやや気圧されるように、マリスは少し仰け反ると目を伏せ何かを考え込むような仕草のまま黙り込んだ。
「……あの下衆野郎」
「え?」
「あの下衆野郎の賢者の事かしら。妹ちゃん、私があいつを追っていたのは知っていたかしら?」
「細かい事までは知らないけれど賢者はマリス――あなたに襲われて身体を失ったと言っていたわ」
「本当に思い出すだけで忌々しい事だけど、あいつの事を調べているうちに私はあいつの足跡を自然と辿ることになったのよ。そして最終的にたどり着いた場所は、西の大陸の南の外れの寂れた漁村だったかしら」
「その漁村がどうかしたの?」
「まあ、待つのよ。あの下衆野郎、どうもその漁村に堕ちてきたらしいのよ。南の海の上を神の箱舟に乗った状態で」
「神の箱舟!?」
思わず大きな声を上げてしまった私は慌てて口元に手を当てて、驚かせてしまった周囲の人々へ謝罪の会釈を送ると集まっていた視線もすぐにまばらとなった。
「ごめんなさい、えっと、その神の箱舟? って一体何かしら? みんな知ってる?」
私の問いかけに一同は首を振り、その様子を見まわしてマリスは再び語りだす。
「私にもどういった物かはわからないかしら。ただわかるのは、下衆野郎はその漁村で暫く過ごしていたらしいという事と、漁村にいた連中が神の箱舟と呼んでいたものに乗って、あいつがそこにやってきたということ位だわ」
「西の大陸の更に南かぁ……」
「きっと今は何もないところだぜ?」
以前サラに見せてもらった西の大陸の地図を思い出しながら、大体の位置に見当をつけていると、サラはあっさりと補足した。
「そうよね……やっぱり世界樹からラインを辿るのが第一目標かなぁ」
「エリス達は暫く北の大陸を巡るんだろう? だったらアタシ達がブランドルに戻ったら調査団を派遣しておいてやるよ」
「……そうね、そうしてもらえると助かるかも。マリスの一件の事も通達が広まるまでの時間が欲しいところだしその間にこちらでやれる準備はして、準備ができたら西の大陸へ向かうから」
「封書はブランドル城館かサラ城館のどちらでも数日の誤差で届く筈だから、そちらに進捗を送ってくれればいいが……むしろエリスのほうが捕まらないな」
「そうね、基本的に動いていると思うし……」
一応聖地ラスティという特別領を持っているとはいえ、そこに自分の屋敷があるわけでもなく根無し草な私。唯一ある私室と言えばリオンの王城に用意されている私室くらいだ。
私達が連絡手段の確保に頭を悩ませていると、背後から思わぬ人物から声を掛けられた。
「あの、エリスお嬢様……立ち聞きするつもりはないのですが、お困りのようですので、如何でしょう? 山百合の連絡網に乗せてみては? 次に立ち寄る山百合の情報をいただければ、そちらに回送することも可能かと」
「え? いや、内緒話って訳じゃないから立ち聞きとかは良いのだけど……でも私用に使ってしまっていいのかしら?」
「はい、エリス様がお困りの時は全面的に協力をするようにとの事ですので問題ありません」
「なるほど、その手があったか。ならこちらからは山百合に回しておくとするよ」
なんだか申し訳ない気もしたけれど、この世界の命運も掛かっている事なので使えるコネは有難く使わせてもらう事にしようと心に決めて、それならばと私は心の中で色々と計画を練るのだった。
「じゃあ、とにかくリオンの暁号でノーザへ、その後は北の大陸と西の大陸で分散して情報収集って感じになるわね。一応しばらくはラスティとシリウス周辺にとどまるつもりで、その後は新街道を使ってコフ経由でファージの里へ向かうつもりなの」
半ば宣言するように言い切った私に皆は力強く頷いてくれたのが、なんだかとても頼もしく、私は強く力付けられたのだった。
◇ ◇ ◇
当面の方針も決まり、夕食を終えた私たちは部屋に戻ると早々に寝てしまう事にした。
あ、もちろん最後のデザートは残さず美味しく食べきってからだったけれどね。
私の横では既にリーリカが静かな寝息を立てており、柔らかな寝台に身を沈めている。
私と言えば一度は寝たものの、なんだか目が覚めてしまったのだった。
今夜は暗い夜だ。
月は出ている筈だが大きく欠けており、当然部屋に備え付けられているランプの灯りも既に落とされているので部屋の中も真っ暗なのだけど、エルフとなった今の私には、この僅かな月明かりでさえも行動するには十分な明るさだった。
何気なく部屋を見回して、急遽運び込まれた寝台の上にあるべき姿がないことに気が付いて、テラスの方を見てみれば、そこに一人のシルエットが浮かび上がっているのに気が付いた。
少し悩みながらも、私はリーリカを起こしてしまわないように、そっと寝台から抜け出すと掛けてあった外套を二つ手に取り、一つを羽織り、もう一つは手にしたままそっとテラスの方へ歩みだした。
テラスへと続くドアは小さく鳴くも軽く開き、私は開いた隙間から手早くテラスに抜け出すと、冷たい風が部屋へと吹き込まないうちに再び閉める。
「寝付けないのかしら?」
そう声を掛けるマリスはこちらを見ずに、テラスから僅かな月明かりを反射する海の遥か先を見ているようだ。
「ははは、一度は寝たんだけどね。目が覚めちゃった。はい、これ」
マリスの横に並びながら、手に持っていた外套を彼女の肩にかける。
「別にこんなものなくても平気なのに」
「冬の寒夜に夜着一枚でうろつかれたら、みているこっちが風邪をひいてしまうわ。それに女性が身体を冷やすものじゃないわよ?」
私の言葉に何かを言いかけたマリスは思い留まって、肩に掛けられた外套をきちんと着直して再び遠くの夜空へ視線を戻す。
「私たちについてきたこと、後悔している?」
私は彼女の思惑を踏みにじり、強引に私の思い描く方法で、彼女の思惑を塗りつぶすように上書きしたのだ。
「……別に。でもそれはむしろこちらの台詞なのよ。妹ちゃん、あなたこそ私なんかを連れ歩いて、面倒ごとが増えるだけなのではなくて? その気が無くなったとしても、私が厄災の緋眼であることは変わらないかしら」
「そんなことないわ。あなたはもう厄災の緋眼なんてものじゃない……いいえ、違うわね。厄災の緋眼なんて者は、最初から居もしない幻影だったんですもの」
「何を馬鹿なことを」
「確かにかつて西の大陸のほとんどは、貴女によって滅ぼされた。でも、貴女が手を掛けた人間は実はほんの数人だけだった。それについての倫理観の話はしないけど、一つ言えることは、きっと私だってあなたの立場なら同じことをしたと思うの。でも私はあなたじゃないから、きっとそれこそ|立ちはだかる者全てを復讐の炎で焼きながら《、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、》」
「そう……お見通しだったって訳かしら」
「マリス、あなたが手を掛けたのは、直接アルやイリスを襲った代官やその供のものと、皇帝の周辺数人だったんじゃないの? 他の人はエッセンスごと吸収した」
「単純にそれが一番楽だったという話かしら」
「でも、手にかけたその数人は、分解したのね?」
「……本当に見てきたように話すかしら」
「生憎と、悪趣味な賢者のせいで、見てきたようにではなく、見てきたのよ」
「あの下衆野郎……」
ギリっと音を立て歯を噛み締めるマリスの瞳に一瞬ではあるが怒りの炎が燃え盛る。
「まあ、悪趣味な賢者の話はおいておいても、ラスティの記憶でもある程度見ていた事だもの」
「まあ、大体あってるかしら。ただ殺したり、エナジードレインしたのでは輪廻の還流に戻るだけ。あいつらだけはエッセンス毎分解しつくしてやったのよ。ねぇ? 妹ちゃん、知ってるかしら? エッセンスの還流にのりラスティへと還った魂は、再び地上を降りてくるけど、再び似通った魂となることを」
「……わかるよ。知ってるわけじゃないけれど、なんとなくそういうものだって、分かってる。だからあなたは――マリスは、イリスの再誕を待ちながら、再誕した彼女にめぐり合わせる事が出来るように、アルを眷属としたのでしょう?」
「呆れるほどの洞察力かしら」
「それがマリスの願望なら、私はその願いを叶えたい。それがマリスの愛のカタチであるならば」
「そこまで判っているなら、私の方からとやかく言う事はないかしら。それに妹ちゃん、あなただって……いえ、なんでもないわ。そろそろ戻るのよ」
くるりと踵を返して部屋の中へと戻るマリスの後を追いながら、私は彼女が言いかけてやめた言葉を心の中で繰り返していたのだった。
――報われぬ愛に殉じる事と知りながら、か。