変化の兆し
変化の兆し
「ファージのエルフに伝わる古い伝承だ」
シリウス伯爵はそう前置きすると飲み物を一口飲んで話してくれた。
ファージの里に世界樹をもたらしたのは一人のハイエルフだと伝えられている。その者は荒神と化し暴れていた火竜を倒すとその骸を苗床に世界樹を育て、精霊と供に辺境の森に隠れ住んでいたエルフたちに世界樹を守るように言いつけたという。
「そして伝承によればそのハイエルフは『世界樹の根』に潜りファージから去ったと伝えられている」
「世界樹の根、ですか?」
「そうだ生憎と生き証人達は自らの姿を木と変えて久しいので最早会話すらままならないだろうが、旧体制下のファージの里の長老たちはその目でその様子を見たらしいからな」
「ウィリアさんから全てをお聞きしたわけではありませんが、その長老達が姿を木に変えたというのは、エルフなら出来る事なのでしょうか?」
「長老たちにのみ伝わる秘術を用いたとしか。そして彼らはその秘術を伝えることなく逃げたのです」
僅かに伯爵の目に昏い火が灯るも、それはほんの一瞬の事だった。
「やはり彼らを許せませんか?」
しばしの沈黙の後、伯爵が口にしたのは――
「――私が許せないのは私自身。もしあの時私が瀕死の重傷を負う事が無かったなら、或いは未練がましく生にしがみつくことなく大樹の御許に旅立っていたならウィリアに苛烈な責任を負わせないで済んだのですから。ですがエリス様、私はこうして生き恥を晒し、人の世の中枢で生きながらえているのですよ」
「何のために」とはとても聞けなかった。悔しそうに語る彼がウィリアさんとはまた違う形で責任を負い続けることは、彼にとっての贖罪だと思われたから。
「伯爵、自分をそんなに責めないでください。命あるものが生き続けようとするのは、当たり前の事ではないのですか? 私みたいな若輩者が説教するのもおこがましいですが、私にとって有意義な知識を持っているのですから」
「いえ、当時の私は若気の至りにも似た愚かしい行いをするばかりで思慮が足りませんでした。ラスティの神子様方の役に立てるのであれば、それもまた運命だったと救われます」
伯爵はそう言い、深々と頭を下げると再び杯の中身を一気に煽り、長らく溜め込んでいた何かを吐き出すように大きく息を吐きだした。
「とりあえずファージの里に世界樹をもたらしたハイエルフが何処かへと旅立ったのは判りましたが、伯爵が日を改めてまで伸ばした理由をそろそろお聞かせ願いますか?」
「これは失礼……そうでしたね。先ほどのファージの始祖ともいえるハイエルフの行く先は伝わっていないものの、彼の者がどこからファージへとやって来たのかは一応伝わってはいるのです。西の果ての地よりさらに西、ウルスの地からやってきたと」
つまりは行き先は判らないものの、出身は解るという事だろうか?
ファージの里があるのはこの北の大陸だから順当に考えればやっぱり西の大陸ということかしら?
マリスは西の大陸の出身だからひょっとしてその為に彼女を呼んだ?
なんとなく見てしまったせいだろうか? マリスは私の視線に気が付くと目を閉じて首を振る。
「生憎だけれどそんな場所聞いたこともないわね。でも――西の大陸は"西の果ての地"とは呼ばれていたかしら。だとしたら妹ちゃん? むしろ心当たりがあるのは貴女でなくて?」
そう言って美しいマリスの深紅の瞳が挑戦的に細められるのだった。
◇ ◇ ◇
大陸と呼ぶにはおおよそ狭すぎると感じていた東、北、西の大陸。まだ見ぬ大地が他にもあるだろうことは確信していたけれど、それを裏付けるような伝承が残っていたなんて。そもそも私が聖地ラスティへと赴こうとするのは世界樹の道を感じる為だ。そちらを確認する前に示唆されるとは正直驚きを隠せない。
でもかつてこの地にやってきた人がいるならば、きっとこちらから行く事だって出来る筈。どうやら冬の間にやらなければいけないことが見えてきた気がした。
ちなみに私たちはあの後シリウス伯爵と会食をしてから城館を後にしてベロニカさんのお店へと向かう途中だ。とはいっても彼女のお店は馬車で行くには少々不便な立地なので当初山百合から歩いていこうと思っていたところ、ギルド前の中央広場まで送ってくれるというのでリフィルさんの申し出に甘える事にした。
山百合のある高台から広場への道は景色は良い分風通しが良すぎて寒いんだもん。
「いらっしゃいませぇ~」
店内に入ると、どこか気の抜けそうな――のんびりとした口調で挨拶される。みたところ十代後半に差し掛かった少女のようだが頭上には大きめの尖った耳がピンと立っており、更にはカウンターの中から出てきた彼女には大きく長いふっさふさの尻尾が揺れていた。
「狐人とは珍しいですね」
ぼそっと呟くリーリカがそれとなく彼女の正体を教えてくれる。この世界には亜人の中でも多くの獣人種がいるものの、確かにあまり狐人という存在は見かけない。勿論全く見ないという訳ではないけれど、街中で最も見かけるのは猫人で、次いで多いのは兎人だろうか?
四人でぞろぞろと入って来たかと思えば入り口付近で足を止めてしまっていた私たちを訝しんだのか、彼女は少し首を傾げながらこちらの様子を窺っているようだ。
「ごめんなさいね、お買い物の前に……ベロニカさんは居るかしら?」
私の問いかけに彼女は口元に指を一本立てて少し考えると
「オーナーはお出かけ中ですよぉ~? でもぉ~そろそろ戻ってくると思いますので商品を見ながらおまちいただけますかぁ~?」
間延びする答えを告げる彼女に導かれるように店内に入るとなんだか以前と少し様子が違う事に気が付いた。
「あれ? お店が広がってる」
「たしかに以前はなかったフロアが増えてますね」
どうやら右手側の店舗を追加で借りたのか、あるいは買い取ったのか、とにかくいままで壁だったはずの場所にぽっかりと大きく開口部が設けられ、そこは三段ほどの階段で段下側の店舗のフロアと繋がっていた。
結構派手に設けてるはずなので恐らくは買い取ったのではないだろうか。
「おやぁ? 前にもいらした事があるようですねぇ~」
私達の背後から覗き込むようにそんな事をいう彼女に事情を説明しようと口を開きかけると、従来の店舗の奥のほうから何やら聞き覚えのある声が飛んできた。
「ちょっとユースさっき頼んだ服はまだなの!? ってお客様か……ってエリス様にリーリカ様!?」
後半はひっくり返ってしまった声と同じくバタバタと駆け寄って来るのは以前ちょっとした縁で知り合ったここの従業員の子だ。「ベロニカさんに会いに来たのだけど、いきなりお邪魔して悪かったかしら?」とにこやかに手を上げると、慌てたように「とんでもない」と大きく首を左右にふるのだった。
「ユース、ここはいいから急いで奥の部屋でお茶の準備を! エリス様達をおもてなしするわよ!」
どうやら狐人の彼女はユースさんというらしい。まくしたてられた彼女は尻尾を一瞬大きくピンと上に跳ね上げ、思い出すように奥の部屋へと駆け込んでいった。扉の向こうでなにやらガシャンを派手な音がしたような気がするものの、私達は敢えて気がついてないフリをしてゆっくりと奥の部屋へと歩き出すのだった。




