シリウス伯爵
シリウス伯爵
開門の号令に続き蝶番が冷たい空気を震わせて、巨大な二枚扉はまるで鏡に映したかの様にゆっくりと手前に開かれた。
「なんだか緊張するわね」
小さく頷くリーリアは、小さく嘆息すると、能面を被るように先ほどまでの複雑な表情を覆い隠して見せた。
「……いくわよ!」
リーリカだけに聞こえるように呟いて、第一歩を踏み出すと私達はゆっくりとシリウス伯爵城館へと続く緩やかなアプローチを進んで行った。
幅6メートルほどの石畳は左へ緩い曲線を描いており、その周囲にはやや乱雑に背の高い木々が植えられているため、一瞬森の中を歩いている錯覚に陥るほどだ。
これまでの経験から領主城館の植栽と言えば整然と植えられている事が多かっただけに、余計にそのような感覚を生んだのだろう。
「――ウフフ……」
不意に聞こえた笑い声に思わず私が訪ねる。
「どうしたのリーリカ?」
「何でしょうか? エリス様」
「あれ? 今笑い声が聞こえた気がしたのだけど……」
「いえ、わたくしは何も」
不思議そうなリーリカの様子から、彼女が冗談を言っている訳でないことは間違いない。では先ほどの笑い声の主は誰なのだろう? と内心首を傾げながらも、まあ良いかと言い訳しておく事にした。
「そう、私の気のせいだったみたい、ゴメンね」
「いえ、それよりエリス様、見えて参りましたよ」
リーリカの言葉に城館を見れば、その周囲をびっしりと蔦で覆われた古めかしい石の城が姿を見せていた。
なんだか姫の一人や二人眠っていてもおかしくないような、植物に覆われた城の入り口には黒い服を着た大柄な人が直立不動の姿勢で佇んでいる。
恐らくはシリウス伯爵家に仕える執事さんなのだろう。彼は私達の距離が半分ほどになると、左手を胸へ当て、右手を後ろへ回すと深々と頭を下げた。
距離としてはまだ50メートルほどはありそうだというのに、走る訳にもいかず、私は妙な焦りを感じながら歩くことになるのだった。
◇ ◇ ◇
豊かな森を思わせる深い緑の衣を纏い、流れるような白銀の髪の間からは特徴的な耳をのぞかせている。本来エルフに生まれ得ない髪色を持ちながら、クラウンを冠した世界樹の紋様を持つこの娘の噂が立ち始めてからどれくらいだろうか?
まだ一年と経たないと記憶しているものの、よもやこのように私の目の前に現れる日が来るなどと、思いもよらなかったのだから。
伝説のエルフの王たる上位エルフという事以上に私が驚愕するのは、彼女の右手に嵌められている指輪の存在に他ならなかった。
供として連れている従者も似た指輪をしているが、こちらは問題ない。問題なのは世界樹の守り人ウィリアの指輪を所持したラスティの神子なのだから。
「どうかなさいましたか? シリウス伯爵」
指輪を気にするあまり、太腿の上に置かれた彼女の手を凝視してしまっていたらしい。
横にいる従者からは「いくらエリス様が美しいといえいきなり欲情するとは……エルフという種族の認識を改めねばなりませんね」 などと不穏な言葉が聞こえて来たものの、ここは敢えて聞こえないフリをしておいた方がいいだろう。
「いや、失礼した。あまりにも見覚えのある指輪に驚いてしまったのだ」
言い訳がましいと思いながらもそう口にすると
「ファージの里の長よりいただいた指輪です。なんでもきっと役に立つだろうからと持たされたのですが」
少し首を傾げながらそう答える彼女を見れば、その指輪を持たされた意図を聞いていないのだろう。誤魔化すか? などと湧いてくる卑劣な黒い思考を抑え込み、私は意を決して誓いを果たす覚悟を決めた。
「どうやらウィリアからは何も聞かされてないようですね、エリス様」
「どういうことでしょう?」
「――ウィリア・シリウスは私、ファーマス・シリウスの妻なのです」
全く指輪など持たせなくても、ラスティの神子に協力しない貴族は居ないだろうに……などと思いながら、極力人前に出る事のないように努めてきた自らの行いを振り返り、やり場のない溜息をつくことになるのだった。
◇ ◇ ◇
それは予想外の人物だった。
この世界に来て色々な人に出会ったけれど、まさかシリウス伯爵がエルフだったなんて。
書物を取りに退席している隙にリーリカに恨みがましく視線を送る。
「リーリカは伯爵様に会った事あったんでしょう? 先に教えておいてよ!?」
「申し訳ありませんエリス様、別に隠していた訳ではないのですが……改めて口にする機会が無かったものですから」
少し困った表情で謝罪を告げるリーリカに、なんとなく罪悪感を覚える。
「それにしてもまさかウィリアさんの旦那さんだったなんてねー。でもそうなると……」
ファージの里長であるウィリアさんと夫であるシリウス伯爵の間には子供がいたはずだ。ダーハラの山百合支配人のチャラ男――もとい、ユリアスさん。そしてシリウス伯爵はかつて大怪我をした際におきたいざこざが元でウィリアさんは里長に就くことになり、伯爵――ファーマスさんは、その後英雄と共に里を出たという話だったと思う。
なんだか頭が混乱してしまいそうな話だけど、概ねはあっていたはず。
そんな事を考えていると先ほど資料を取りに行っていたシリウス伯爵が戻ってきた。
「失礼、なにぶん古い資料ゆえ、時間がかかりました」
「急な申し出であったにも関わらず有難うございます、伯爵様。ところで外の世界についてご存知の事があれば先に聞かせて頂きたいのですが……」
「それは構いませんが、先ほどの話が本当ならば、緋眼であった者も共に旅をしているのだとか。であればその者も同席の上でお伝えしたほうが良いかと」
「やはり鍵は西の大陸という事なのでしょうか?」
返事の代わりに頷いてみせるシリウス伯爵の表情は涼やかだ。
「判りました。では別の話を――リーリカ?」
「はい、こちらに」
私の声に合わせてリーリカが持参した荷物の中から取り出したのはこれまで幾度となく世話になった世界樹の盆栽だ。
テーブルの上に置かれたそれを見たシリウス伯爵の表情を窺うと、彼にはこの正体に気が付いたようだ。
「世界樹、ですか?」
「はい、私が世界樹の新芽より育てた苗の一つです」
「これは……凄い。有り様が世界樹として成り立っているとは……」
感慨深そうに呟く伯爵はひとしきり唸った後、静かに語り出すのだった。




