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白金のハイエルフ  作者: 味醂
凱旋
20/78

死と婚ぐ者

 死と婚ぐ者



 僅かに香る香油(バラ)の匂いに誘われるように白濁した意識が緩やかに色を取り戻していく。身じろげば鈍く軋む音を立てる些末な寝台とは違い、適度に身体を支えるだけの反発力と、頑強な枠組みで作られた寝台基部は僅かも悲鳴を上げることなく私の身体を支え続けていた。

 窓の外はまだ幾何か夕日の名残を残しつつも、夜がその帳を拡げように急速にその名残も薄れていた。

 同時に自分が置かれた状況をゆっくりと思い出し――


 ――射貫くような視線に気が付いた。


「気が付いたかしら?」


「ここは……いえ、すみません。少し寝てしまっていたようです」


「寝ていたのはほんの僅かな間だけ。問題ないかしら。」


 声色の割に落ち着いた口調で問いかけられるその声は、これから頻繁に聞くことが多くなる声であり、緋い視線の先、ソファーに小さく座る彼女はどうみても年下で、よくても自分と同じくらいの年齢にしか見えない少女だった。

 小さな顔には深い緋色の瞳が妖しく輝き、それはまるで闇の中で光る真紅の宝石の如く。両サイドから編み込まれた髪を考えれば腰ほどの長さもある美しい白髪のこの少女が、千四百年以上の年月を生きた吸血鬼――それも誰もが二つ名くらいは知っているというあの "厄災の緋眼" だとは今でも信じられない。


 それでもあの牢の中、私を論破した彼女達――その発想はノーザ国王らしいが、とにかく私はこれからこの精緻に作られた人形のように美しい少女の眷属として、生きなければいけないのだ。

 死刑囚であった私をなんとか殺さないために国王の考えた苦肉の策のおかげで、私は命を得る代わりに果てしない自己嫌悪を抱えて過ごさなければいけないのだから、死罪よりも厳しい永遠の責苦にも等しいのではないのだろうかと一応は反論してみたものの、ノーザ国王は「エリス様と共に歩む限りいつかその責苦は解放される」との一点張りで、取りつく島も無かったのだ。


 そして私は知らされる。この国において最も身分が高い筈のノーザ国王が、敬称を着けてまで呼ぶエリスというエルフの少女の素性を。伝承の女神ラスティの神子であり、この純白の吸血鬼、厄災の緋眼を血に塗れた絶望の淵より解き放ち、今はその行動を共にしているという事を。


 一刻も早くに刑に処されて、私は何も考えずにただただ楽になりたかったのだ。リーリカと名乗った黒髪のメイドに言われたように、私はただ贖罪の名の下に現実逃避をしたいだけだった――母殺しというレッテルから目を背け、自分一人楽になろうとしていたのだ。


 ――でもできなかった。ノーザ国王はそれを許さず、幼い弟の行く先を見届けよと仰った。自身を苛む悪夢の後始末は、エリス様に丸投げした癖に。


「クスッ」


「少しは吹っ切れたようね」


「そのようですね。結局国王だけが美味しいとこどりなんじゃないかと思ったら、なんだか力が抜けてしまいました。腹立たしいとかそういうのではないのですけど――ええと、マリス様と呼べばいいですか?」


「別に呼び方なんて好きにしたらいいかしら。アタシもまさか茶番に巻き込まれて眷属を持つことになるだなんて思わなかったもの。でもそうね、いちいち敬称を付けられても面倒だから、構わず呼び捨てにしてくれるとありがたいのだけど」


「ではマリス。他に眷属は居ないのですか?」


「……いるわよ。今は遠く地の果ての先、静かに眠っているわ」


「リーリカは眷属ではないのですか?」


 私のそんな言葉がマリスの瞳を丸くさせる。


「リーリカが? まさか。あながち無関係ではないのだけれど違うわよ。あの子はそう、妹ちゃん……いえ、エリスの信者みたいなものかしら」


「そう、ですか……でもマリスのリーリカさんを見る目が少し違っていましたので……てっきり」


「べ、別に何か意味があるわけじゃないかしら。ただちょっと懐かしい匂いがするだけなのよ。懐かしいイリス()のね。だからアレはイリスの娘ってだけで、ただそれだけなのよ」


「あの、すみませんなんか変な事を聞いてしまったようで」


 これまで僅かにも慌てる素振りを見せなかったマリスの動揺は、おかしな言い回しに見てとれた。吸血鬼にとって眷属とは如何なるものなのか、まだわからないけれどイリスという人物はマリスにとってとても重要な人物だという事だけは間違い無いのだろう。


「そんなことよりそろそろ……でも本当に構わないのね?」


 マリスは誤魔化すような表情から、僅かに真剣な顔に戻し、盛大に色々な言葉を省きつつ問いかけてくる。ああ、これでとうとう私も闇の住人として、日の当たる世界に別れを告げる時が来たのだろうか? そんな感想を密かに抱えながらも私はマリスに頷くと、彼女はゆっくりとソファーから立ち上がり寝台の前までゆっくり移動すると、静かに私の横に腰掛けた。


 次第に距離を詰める彼女の気配に、無意識に握りしめたシーツが僅かな音を立てる頃、マリスは耳元で囁いた。


「そんなに緊張しなくても平気よ。すぐ終わるわ。でもその前に……」


 突然立ち上がった彼女は部屋の端にある主寝室へと続く開け放たれたままのドアを睨んで大声で叫んだのだ。


「あなたたちいい加減になさい! そんなところでコソコソ隠れて見られていたら落ち着かないったらありゃしない」


「ひゃっ!?」


 小さな悲鳴と共に何かがドアの影から部屋へともつれるように倒れ込んだ影の正体が誰であったかなどは、言うまでも無く……そんな様子にマリスは嘆息すると――


「見たいなら普通に見ててくれた方がよっぽどマシなのよ」


 と、肩を落として言うのだった。


 ◇ ◇ ◇


 結局のところ場所を主寝室へと移して私の眷属化は行われることになった……のだけど。なんというか寄せられる視線が非常に気になる。なにせ三人が私達を囲むように覗き込んでいるのだから、あちらこちらに視線を感じるのだ。


「怖ければ目を瞑ってなさい。痛いのは多分、一瞬だから」


「大丈夫です」


 言ってしまってから少しばかり後悔したのは気のせいだろうか? それは多分アレを見てしまったから。マリスの口元にいつの間にか伸びた鋭い牙が、小さく光るのを。


「凄いわ、牙があんなに伸びてる」


「お静かにエリス様、邪魔をしてしまっては今度こそ追い出されてしまいますよ」


「だって、普段マリスと一緒に居ても吸血鬼っぽいところなんてほとんどないじゃない? でも今のマリスはそう……誰が何と言おうと美少女吸血鬼、いや吸血姫かしら?」


「良く判りませんがエリス様がそう思われるのならそうなのでしょう」


 意味不明な事を言う二人に対してクレアさんは一歩下がった場所から両手を胸の前で組み合わせ静かにこちらを眺めているけれど、その頬は僅かに紅潮しているようにも見える。

 マリスは私の隣に座り、極力周囲の者を無視するように目を細めると、小さな手で私の頭を横から抱え込み、私の胸元に抱き付くような恰好で首元へと顔を寄せ――


()っ」


 細く鋭い痛みが駆け抜けて、私の身体は一度小さく痙攣した。しかし不思議な事に、次に感じたのは抜けていく血によって失われる筈の体温ではなく、柔らかく温かな何かだった。


「アァッ!?」


 ゴクリと何かを飲み込む音を聞きながら、首元へ意識を向けてみても、痛みは既に麻痺しており、柔らかく蠢くマリスの唇と舌の感触だけがやけに鮮明に感じられる。痺れを増す頭の芯に、乱れそうになる呼吸を整え、次に備えてみたところで、予想に反してマリスはそっと首元から口を離すと、僅かに朱を交えた唾液が細く糸を引いた。


「お疲れ様。終わりよ。気分はどうかしら?」


「え? もう、ですか?」


「そうよ」


 正直拍子抜けなほど、あっという間の出来事だった。

 先程まで牙を突き立てられていた筈の首元を触っても痛みは勿論のこと、傷痕が残っているわけでもない様で、僅かに残っていた血と混じったマリスの唾液が少量付いていただけ。


「あっと言う間だったわね。あ、マリスもう牙が見えなくなってる。それに傷痕もないわ。一応準備はしておいたのだけど」


 なにやら小さな鉢植えを手に携えたまま、銀髪の少女は私の首元を確認すると思い出したように懐から手拭を取り出すと、マリスが噛みついていた付近を拭ってくれた。


「妹ちゃん、あなたたまに妙にズレた先入観を持っているようだけど、なんなのかしら? 吸血はいわば魔法的儀式に近いものなのだから、おかしい事でもないでしょうに」


「そんな事言われたって私儀式とかさっぱりだし。あ、でもマイアさんの瞳、マリスとお揃いね」


「え?」


 何やらリーリカに身振りで指示を出したらしいエリスさんは、すぐに戻ってきたリーリカから何かを受け取ると、それを二つに広げながら私の前にかざして見せた。

 それは小さな鏡。銀板を細工したと思われる綺麗な彫刻の銀鏡に映る自分の顔には、ただ一点以前と違う緋色の瞳が映っていたのだった。



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