山百合の洗礼
後半パート15才未満閲覧禁止でございます。
山百合の洗礼
日没迫る夕暮れの街を私は歩かされていた。
海から吹き込む風は身を切るように冷たいものの、久しぶりの新鮮な潮風にほんの少しばかり心を洗われる。日中ならば船大工達の作業する音が僅かに聞こえてくるだけのこの辺りも、今はその音も止んでおり、代わりに人々の食欲を満たすため夕餉に向けて準備する様々な香りが風に乗り運ばれてくる。
商業区の喧騒がやや近付く貴族街の外れの建物の前で、前を行く二人は足を止めた。
拘束こそされてはいないものの、私は今連行されている最中なのだ。当然前を行くものが足を止めればそれに倣わなければいけない。
建物の前には数人が並んでおり、彼らはこの奇妙な一行を訝しがることも無く、恭しく頭を垂れると歓迎の句を述べる。
「お帰りなさいませ、エリスお嬢様。無事の御帰還心より嬉しく思います」
「「「お帰りなさいませエリスお嬢様方」」」
恰幅の良い男性に続き見事な唱和で出迎える従業員達は淀みのない動きでドアを開けると、案内の体勢を整えた。
「お久しぶりです支配人。今夜は色々とあって夕食も宿泊も王城になりますけれど、少しばかりお部屋を使いたいの。いいかしら?」
「勿論でございますとも。私共山百合はエリス様をいつでも歓迎致します」
正直驚いた。
この街に屋敷を構えていた私には宿泊する機会はなかったものの、この山百合をパーティー会場とした宴には何度か参加したことはある。
高級旅籠山百合といえば間違いなくこの街に星の数ほどもある宿泊施設の中で最も格の高い宿泊施設なのだから。その山百合の支配人直々の出迎えを平然と受けるこのエルフの少女は一体何者だというのだろうか?
そんな事を考えながら支配人と共にロビーへと入っていく彼女達の後を追うと、ロビーでは給仕服の女性が嬉しそうに支配人から引継ぎをしていた。
「エリスお嬢様、それにリーリカお嬢様も無事にお帰りになられて何よりです」
「ありがとうクレアさん。今日は宿泊はしないけれど、部屋で少し手伝ってほしいことがあるの。お願いね」
「はい、喜んで!」
クレアと呼ばれた給仕の女性もやはりこの奇妙な一行を全く気にする様子はなく、私たちを昇降機へと案内するとそのまま一緒に乗り込んで昇降機を操作する。
一瞬身体が重くなったような妙な感覚を受けながら到着したのはどうやら最上階らしい。
昇降機を降りて左に進んだ突き当りの部屋。
精緻な彫刻の施された大きなドアを開けた先、そこは贅を尽くした豪華な特別室。そんな非常識な部屋に私たちは案内された。
「ではエリス様、私は部屋の前で待ちますので城にお戻りになるときに声を掛けてください」
「部屋の前で立っていても暇でしょう? レンさんもよかったら中でお茶でもどう?」
「お言葉は嬉しいですが、アーマーを着たままでは調度品を傷つけてしまいますのでご遠慮させていただきます」
王城より私の監視を兼ねて随行していた女騎士――レン・ラヴィナス卿はそう言って廊下に残り、謎のエルフの少女――とはいってもエルフが見かけ通りの年齢とは限らないのだが、とにかくエリスと名乗ったこのエルフはラヴィナス卿の意志を尊重することにしたようだった。
「そっか。じゃあクレアさん、レンさんにあとで温かい飲み物だけでもなにか用意してもらえるかしら?」
「かしこまりました」
「っと、すぐにお風呂を使いたいのだけれど、着替えが必要だわ。私のストック用の新しい下着と洋服を彼女に着させたいのだけど?」
「エリス様のお洋服はそのままクローゼットの中にありますが、もうこんな季節ですからね……ドレスルームの方からショールを持って参りましょう」
「ありがとう、助かるわ」
彼女たちがそんな非常識なやり取りをしている間にも私を打ち負かした白髪の少女はソファーで悠々と寛いでおり、黒髪の少女は何やら準備をしている様だ。
え? 何が非常識かって? そりゃこれだけの部屋に私物をそのまま置いてるだなんて、つまりは私室として使ってるという事に他ならないからだ。非日常を提供すると名高い山百合での生活がどうやら日常となっているこの一行は、本当に一体何者だというのだろうか?
◆ ◇ ◆
滔々と注がれる湯、立ち昇る湯けむり、そして木製の大きな湯舟の横で泡まみれにされている少女と、彼女に襲い掛かる幾本もの細い腕。
繰り広げられる光景に既視感にも似た感覚を覚えながら、私は僅かばかりではあるがこの哀れな子羊の冥福を祈る――ではなく、洗礼を見守ることにした。
奇怪な魔法を使い生み出された泡で洗われた髪に湯を通せば、しゅわしゅわと音を立てながら泡はまさしく水の泡と帰す。すっかりと濡れ鼠のように顔の周りに張り付いた髪の毛はルーシアの髪の色に近いだろうか? 妹ちゃんたちの入浴好きはいい加減慣れたけれど、かといって自分がちっとも入浴をしないというのは少しばかり誤解を招くのではないか? 私だって湯浴みくらいはするし、髪が汚れれば気にもなる。いくら果てしない年月を生きてきたとして、今でも変わらず乙女心というものは多少なりとも持ち合わせているつもりだ。
何か言ったかしら? 千四百歳以上のババアがなんですって? あなた口は災いの元って言葉を知らないのかしら? 今日を自分の命日にしたくないのならば今すぐにその軽口を辞める事ね。
どこからか飛んできた波動を睨みつけてから、再びこの惨状へ目をやれば、新たに自分の眷属として迎え入れられる小娘――こと、マイアはすっかりオモチャとなっていた。
おおよそ石鹸とは信じがたい奇怪な魔法に生み出された泡は非常によく滑る。クリームのように泡立てられた妹ちゃん特製の石鹸で身体中を撫でまわされた生贄は既に意識朦朧といったところだろうか? 何かに耐えるように幾度も身体を小さく震わせていた彼女に、クレアと名乗ったメイドが邪な炎を瞳に浮かべ背後から襲い掛かる。
「耳も綺麗にしなくてはいけませんね」
もっともらしい事を言うメイドと、その行動の乖離が激しい。
何故耳を洗うのに、舌で舐めとる必要があるというのだろうか?
背後からの奇襲に仰け反ったマイアの隙を見逃さないクレアは自らの服が泡まみれになるのも構わずに抱き付くように腕を回すと、それまでかろうじて守られていたマイアの最後の砦をあっさりと抜いて見せた。
「!!!」
光を失いつつある瞳を大きく見開いて、一際大きく跳ねたマイアはぐったりとそのままクレアに抱き留められて、あとは得物に群がるネコ科の猛獣たちがマイアを蹂躙する。
……恐ろしい光景だわ。
くわばらくわばらと心の中で呟いて、捕食に夢中な猛獣の巣と化した浴場から身を翻し立ち去るのだった。
――狂った猛獣たちの、次なる標的とならない事を祈りながら。




