高貴な共犯者
高貴な共犯者
きちんと整えられた寝台の脇に置かれた椅子に座る少女は、今もまだ目を閉じたまま祈りを捧げている最中だ。明るめの亜麻色の髪が目立つのは、何も黒いワンピースを着ているからだけではないだろう。やや強めの癖っ毛は肩より少し下に掛かる程度の長さがあるが、真っ直ぐに矯正したならもう少しばかり長い事だろう。しかし折角の端正な造りの顔も、顔色はお世辞にも良いとは言えない状態だった。
「マイア・リキュール、今一度問おう。周囲の者の嘆願通りに、刑の軽減を受容れるつもりはないかね?」
狭い石造りの部屋にノーザ国王の声が反響する。
穏やかな口調で、ゆっくりと彼女に向けられた問いの後、少しの沈黙を伴ったのち捧げていた祈りが終ったらしい彼女は落ち着いた声でゆっくりと返事をするのだった。
「国王陛下、何度も申し上げましたが、私が行ったことは紛れもない母殺し。どのような理由があろうとも、決して許される事のない罪なのです。何度も足をお運び頂いているというのに申し訳ありませんが、法に則った裁きを下していただきたく思います」
「貴族の親殺しは極刑。お前はそれを知ったうえで、それを望むというのだな?」
「はい」
短い返事と共に、胡桃色の瞳が王を捉えると、僅かにその瞳が揺れた。
先のやり取りから国王が単身で来ていないだろうことは解っていたようだが、流石に彼女も目を開けた先に、予想を超える人数の、また見当もつかないこの顔ぶれに驚いたという事だろう。
国王はそんな彼女の様子を敢えて無視すると、やや芝居がかった様子で顎に手を当てながら彼女に言い放つ。
「そうか。しかしそれで幼い弟はどうなる? 既に父親は無く、狂気に取りつかれた母親も殺され、たった一人の肉親となった姉も、その母親殺しの罪で処刑されたとなれば、家族の愛というものを知らずに育つことになるのだぞ?」
砂をすりつぶす僅かな音を立てるのは、彼女の黒い靴だろうか?
「母親を奪っておいて、一体どのような顔をむければよいというのですか」
「随分と自分勝手な娘かしら」
俯き震える声で吐露する彼女を追い立てるようにマリスが冷たい言葉を投げかける。
「どなたか存じませんが、貴女には関係のない事でしょう?」
「そうね、確かにアタシには関係のない事かしら。でも母親を自らの手にかけてなお、逃げる事なく向き合い続けてきたそこの娘には、あなたはどう映っているかしら?」
マリスの言葉に押されるように、一歩前に踏み出したリーリカは漆黒の瞳を静かにマイアへと向けたまま、彼女の様子を暫く窺うとおもむろに口を開いた。
「逃げるのですか?」
ただその一言だけ。感情も込められず、事実だけを確認するかのようなリーリカの言葉はストレートだった。そしてそれ故に目の前の少女に深く突き刺さる。
瞳が揺れ、肩が震える。押し寄せるような感情の制御を試みるように二言三言何かを言いかけてはそれを辞め、小さく息を吐きだすと感情を殺した声でリーリカに応戦する。
――そう、応戦。今この場で繰り広げられているのは戦いなのだ。
◇ ◇ ◇
この座敷牢に移動する前、ノーザ国王は一つのレクチャーをしてくれた。
「エリス様。王たるものがなぜ尊ばれるか分かるだろうか?」
判る筈もない。なにせ私が生まれた国では王制ではなかったし、世界をみても古来よりの王制を行う国など大分数を減らしていたのだから。
政治の世界とかけ離れた場所に生まれ育った私はただ作られたシステムの中で日々暮らしていただけだ。
「残念ながらよくわかりません――いえ、漠然とした考えはありますけど、生憎と私にとっての王制とは絵物語の題材のようなものでしたので。封建的な概念が無かったわけではありませんけれど、実体的には目上の者を敬う程度のものでしたので」
「なるほど、では少し質問を変えよう。王の為すべきこととはなんだろうか?」
「民を導くことですか?」
「そうだな、それも大事な役割だ。しかしそれだけではまだ及第点には足りないな。国を富ませ、威信を確固たるものとして、民を守り、民を導く。どれも大事な要素ではあるが、本質はもう少し違うところにあるのだ」
つまりはノーザ国王が引き出したい答えは、表面的な実務や役割のことでなく、もっと別の面を捉えた答えなのだろう。
「……責任、ですか?」
「そうだな。少しばかり足りないが、まあいいだろう。責任の肩代わりこそが本質なのだ。政も諍いも何かを決定、行動するためには大きな責任を伴うものだ。皆が納得するのであれば問題にならないが、残念ながら不満を持つ者は必ず出るものだ。そういった不満の矢面にたつのは責任を負った者、つまりは王が決定を下すなら、その全ての責任は王の責任となる。そうすることで人々は責任から逃れられるからな。稀に自由と勝手をはき違える者も出てくるが、王の決定に従って行動している限り、民は責任からは自由なのだ」
「王制から脱したいという声も上がるのですか?」
「あるぞ? あまり数は多くないがな。だがそれは安定した国においてはまず実行されない。先程も言ったが何かをはき違え、勘違いした愚かな王が悪政を働かない限りは、人とは楽に生きたい生き物なのだ。その点では王というものは何をするにつけても責任が発生するものだ、事の大小に関わらずな。そして時として部下の命を秤に掛けなければいけない事もある」
息の詰まりそうな話だった。もし仮に、どちらを選んだとしても人の命が失われることがあった場合、私にその決断が下せるのだろうか? 自分の命を掛け金にすることは出来たとしても、他人の命を掛け金に変えて、負け勝負の判っているゲームへと臨まなければならないとして、拾うべき命の選択をできるのだろうか?
「……まあ、例えばの話だ。そう重く受け取るな。幸い今の世は戦時ではない。厄災の緋眼の脅威すら、今は無くなったのだからな」
「それはアタシに対しての嫌味なのかしら?」
「いやまさか。その逆さ。そなたとエリス様の間でどのような事が有ったのかは聞かない。結果として私は部下に無謀な命令を出さずに済むのだからな。そなたの事はいずれ他の国でも同様に手配が解除されよう。天変地異にむざむざと部下をけしかけたい王などいないからな」
「誉め言葉と受け取っておくかしら」
そうやってやや有耶無耶に終わってしまったレクチャーではあったけれど、今目の前で行われている論破合戦も、結果如何では一人の少女の命を奪うものとなる。
勿論ノーザ国王はそれを回避するために私達――特にマリスに期待しているのだけれど、できればそれぞれが納得したうえで解決したい。
――吸血鬼であるマリスに死刑囚を生贄として捧げることで、彼女の眷属としてマイア嬢を生かす。そんな解決法を提示された私たちが、ノーザ国王に唯一条件として出した事でもあるのだ。
その結果はじきに出る事だろう。
そして私たちは国王の共犯者となるのだ。
私達は彼女を助け、そして彼女の今後の人生について責任を負うのだ。




