死を待つ少女
予想以上の文字数になりましたので3話ほどに分割です。
死を待つ少女
暗く湿ったその場所は、空気までもが饐えたような臭気を含んでおり決して居心地がいいとは言えない環境だった。それもそうだろう。ここはリオン王城の地下牢に続く廊下なのだから、快適空間である筈がない。
長い廊下を進んだ先、明るい一角に出ると、臭気は和らいだものの温度が低くなっていることに気が付いた。
「陛下! またこのようなところに……それになんですか、そのお嬢様方は。まさか牢に入れられるような事をした訳ではないですよね?」
「お努めご苦労。そんなこと当然だろう。それよりまた異動命令を辞退したそうだが、いい加減に陽の当たる場所に出てきたらどうだ?」
「アッシはこんななりですからね、ここがお似合いなんでさぁ。 人目につく場でこんなポンコツがうろうろしていたんじゃ王城の品位が落ちるってものですぜ。それにここなら滅多に人目もない。仮に昼寝していたとしても咎められることはないでしょう」
「まあ、好きにしたらいいさ、だが気が変わったならいつでも配置は替えてやる。その事だけは覚えておいてくれ。それより例の娘の牢の鍵をくれ」
どうやら詰所となっているらしいこの一角は、彼の縄張りらしい。入ってきた廊下から直角に曲った先には鉄格子がはまっており、その先は階段となっているようだった。つまりはここは地下牢区画の入り口であり出口ということだ。
臭気は鉄格子の奥から上がってくるものの、部屋を見上げれば天井に近い場所に小さな通風孔がいくつか設けられているようで、燃やされているかがり火の熱によって温められた空気を排出され、高さの違う場所に設けられた通風孔から新たな空気が入り込んでいる様だった。
牢屋番とおぼしき人物は色白な肌の中に、更に異質に白くなった箇所が顔面の半分にも迫ろうかという程に広がっており、そちら側の眼球は失われている様だった。
「またあの娘に会われるのですか? 無駄だとは思いますけれどね」
「ああ、だが今回はひょっとすると……それに、これは名目上は処刑だからな」
「ほぉ? その割にはまた随分と似つかわしくない顔ぶれで来ましたね。とてもそんな血生臭い場に赴くような面子には見えませんが――いえ、いいでしょう。これがそこの鍵、こっちが娘の牢の鍵でさぁ」
粗末な机の上に並べられた武骨な鍵を王は手にすると、階段前の鉄格子を開錠して私たちを促した。
複雑に響き合う靴音を伴って、私たちが来たのは鉄格子の嵌った牢屋ではなく、まだ階段の途中にあった木製のドアの前だった。
王はそのドアを丁寧にノックしてから持っていた鍵を差し込むと、ゆっくりと回しドアを開錠する。
「調子はどうだ?」
そう言いながら入る王に続くと、この部屋が身分の高いものの為に使われる座敷牢だというのが覗えたのだ。
誰もいないかのように静まる室内の一角が鉄格子で区切られているものの、中には比較的きちんとした寝台と、最低限のプライバシーの保たれた簡易トイレのほかに小さなテーブルや椅子までも置かれている。決して広くないけれど、人が過ごすには最低限必要なスペースはあり、鉄格子よりこちらにもテーブルと椅子が用意されていた。
そして問題の少女は、鉄格子の向こうにある椅子座り、静かに祈りを捧げていたのだった。
「これが先程話した娘、マイア・リキュールだ」
国王は死刑囚となっている彼女を救うため、私達に引き合わせたのだ。
◇ ◇ ◇
それは一時間ほどまえの話。
私とリーリカがレン・ラヴィナス近衛師団長の部屋から戻るとマリスがアリシアさんに髪の乱れを整えられていた。
一応マリスの身柄は手配が正式に解除されるまで私の預りということで、私の部屋に寝台を用意されることになっているのだけれど、これは珍しい光景だ。
「ただいま。一眠りするんじゃなかったの?」
「そのつもりで寝ていたところを起こされたところかしら。そうそう、妹ちゃんにも出頭命令が出ているのよ。休む暇はないかしら」
「出頭命令ですか?」
リーリカがマリスの言葉に首を傾げているとアリシアさんは手を止めてそれを訂正する。
「国王が相談があるとの事で、マリス様とエリス様、それとリーリカ様の三名で私室へ来て欲しいとのとの事でした」
「王様の私室へ? 一体どういう事かしらね」
「そこまでは……すぐにマリス様の用意も整います。終わり次第ご案内致しますので少しお待ちください」
再び手を動かし始めたアリシアさんはマリスの長い後ろ髪をいくつかに分けると三つ編みをいくつか作るとそれを使い更に編み込んでいく。髪で髪を束ねたようなマリスの白い髪はレースで縁取りをされたようにも見える。
「あ、可愛い」
「あ、あんまり可愛いとか言うんじゃないかしら」
「いや、でも似合ってるし。ねぇ? リーリカ」
「そうですね。今度エリス様も試されますか? やり方は見ていましたので大体覚えましたし」
「寝癖で拡がってしまうので応急処置ですが……でもエリス様も髪が長いですからお似合いになるかと思います」
そんな事を話してる間にも準備は整い、私達は国王の私室へと案内されたのだった。
ノーザ国王の部屋は窓の外に海を望める日当たりの良い部屋だった。勧められたソファーは大きなもので、適当に寛いでくれと言われてもなんとなく何処に座ったら良いのか迷ってしまうのはこの世界にやってくるまであまり大きなソファーに座ったことが無いせいだろうか?
全員が席に着いたところで国王はこんなことを切り出してきたのだ。
「不躾な事を承知で聞くが、吸血鬼とは血を飲まなくても平気なものなのか?」
勿論誰もがこの質問はマリスに向けられたものだと解っているけれど、その答えを知りたいのは国王だけではなかっただろう。
少なくとも私達と合流してから――というよりも、私が成体としたマリスの身体に戻って以降、彼女は吸血行為を行っていないように思う。
吸血鬼といえば吸血と不死性の二つがまず題材に上がるほどの、むしろ吸血鬼足らしめんとするためのファクターだ。吸血しない吸血鬼は既にアイデンティティーを失っているともいえるし、それでは果たして何者なのだろうか? という事になるからだ。
「本当に不躾かしら。でもそうね、いい機会だから少しだけ吸血鬼が何者であるかという事を教えてやるかしら」
少しだけ目を閉じて、再び美しい緋眼を開くとマリスは少し長い話になるかしらと前置きして、ゆっくりと語りだした。




