異常な日常
異常な日常
人は異常を異常と感じられなくなった時、果たして正常という言葉と価値観にどれほどの価値が残るのだろうか?
今まさに繰り広げられている光景は異常であったはずの光景。にもかかわらずそんな光景に私はどこか慣れきってしまっていた。
薄絹を通して抜ける光があるといえ、部屋は薄暗い。部屋の半ばより急速に影を落とす闇の中からも、そこに立つ者の姿は案外くっきりと見えるものだということを、改めて認識させられる。
私の前に立つ少女は顔をやや伏せながら、自らの手でメイド服のスカートをたくし上げると、やや歪な皺を寄せる白い三角の下着を露呈させ、震える声で言うのだった。
「……お願いします」
「いけませんね、このような状態でお願いするのですから、もっときちんとお願いしなければ。大丈夫、わたくしも手伝ってさしあげますから」
彼女の背後から顔半分だけを覗かせたリーリカは、彼女に囁くようにそう告げると、細い手を後ろから廻すと、小さく震える少女のスカーフを解き、視えもしない筈なのに器用にブラウスのボタンを次々と外していった。
そして四つ目のボタンを外したとき、ブラウスの中からたまらず零れ落ちたのは、予想を遥かに上回るほどの果実だった。
声にならない声を上げる、聞こえない筈の少女の声も、私の耳には良く届く。
吐息交じりの喘ぎにも似た彼女の叫びがこの異常な空間を加速させているのではないかという錯覚を感じているのはリーリカも同じなのではないだろうか?
細められた黒い瞳は妖艶な光を僅かに溢し、耳元で囁く口元からは水音だけがやけに鮮明に聞こえてくる。
「わたしの……を……てくだ……い」
リーリカに促されるままにそう懇願する少女に私はゆっくりと近づくと、たくしあげられたスカートの内側へと手を差し入れる。ほんのりと籠る体温を感じながらそっと下着に触れると、彼女が身に着けている下着は僅かに光を発するのだった。
「早速取り掛かっているようだな」
いつの間にか開けられたドアの前に立ち、そう声を掛けてくる人物を振り返れば、逆光の中でコントラストを強めた白いドレスアーマーをきた騎士であり、この部屋の主の姿があった。
「レンさんはやくドアを閉めてください。さすがに彼女が可哀想ですよ?」
「ああ、そうだった。まあ、どのような場面を見ようとも、見ていないことにするくらいの心得は城に暮らすものなら持ち合わせているが……」
「それは解ってますから先にドア閉めましょうよ」
のんびりとドアを閉め、ふたたび薄暗くなった部屋の中で、あられもない姿で立たされれたままの彼女はレンさん付きのメイド――カーミラさんだ。
まだ王城に上がるようになって二年ほどというので恐らく私と同じくらいの年齢であろうこのカーミラさんは、他の多くのメイドたちと同じく一代位の下級貴族の娘なのだという。
そして下級貴族の娘と一言でいってもその経済状況は千差万別であり、例えば私がよく知っている同じ立場、いや、立場だった娘といえばグローリー男爵公子であり、今はフレバー子爵公子の妻であるミリアちゃんだ。
再び貴族籍を確かなものへとした彼女だが、男爵公子の頃から下級貴族にしては経済状況に恵まれており、むしろ下手な中級貴族よりも羽振りは良かったのではないだろうか?
少なからず彼女の両親は娘の教育や、身に着ける物にお金をかけることを惜しまなかったし、一応建前上のリーリカの給金は今もグローリー男爵家から支払われているのだ。
勿論私からも別途支払いをしているのだけれど、正直なところ旅の間にもっとも掛かる筈の宿泊費などが個人的な事情により殆ど発生しない事も有り、あまりお金を使う機会が無いのだった。
そして対極とはいわないものの、ここにいるカーミラさんの実家は残念ながらあまり裕福でないらしい。貴族家に仕えるメイドと違い、王城に務めるメイドたちの給金は国庫金から年金という形で支給されているものの、その金額は実はそこまで高くない。
ただ、結婚前の娘に箔をつけるのにちょうどよい事と、より貴族との婚姻を結びやすくなるという理由から王城で働くメイドの人気は高いらしく、このカーミラさんもそのような理由で王城勤務の貴重な切符を手に入れた数少ない者達のうちの一人だった。
「あ、あの……エリス様、わたしはいつまでこうしていれば……」
「あ、ごめんね」
慌ててはだけられた胸元からこぼれ落ちている柔らかい胸を包み込むようにして装備化を施すと、再び淡い光を発して、まもなく部屋は元の明るさに戻るのだった。
「さあ、これでいいわよ。どうかしら?」
「素晴らしいです。まるでなにも着けてないかのように軽いです」
嬉しそうに晴れて装備品となった下着の着け心地を確認すると、カーミラさんは大きくお辞儀をしていそいそと乱れた服装を正していく。
「すまないな、急にこんなお願いをしてしまって。職権乱用もいいところだが、アレはなかなか高価な上に希少だろう?」
「そうですね……もう少しコストが抑えられればいいのですけれど、私が装備化できる数は限られていますし、供給が間に合わなくなってしまいます。一応ベロニカさんも新たなサイズの拡充も行っているようなのですけれど、それはそれでベースコストが上がってしまう事になるらしくて」
「エリス様が気に病むことではありませんよ」
「まあ、それも分かってはいるんだけどね、リーリカ」
「でも、たしかにわたし共には高価ではありますけれど、この下着は本当に画期的です。比較的手に入りやすいシリウスと王都でもこうして品薄ではありますけれど、多少のサイズ違いでも欲しいという声はいくらでも聞きますから」
興奮気味に褒め称えるカーミラさんの言う通り、奇しくも私がこの世界にもたらしてしまったこの下着はいまや北の大陸だけにとどまらず、東や西の大陸でも噂になっていた。特にノーザ国とベロニカさんのタイアップで販売された装備化された高級品などは、どうも裕福な貴族が贈答に使うほどの人気らしいのだ。
個人的には、女性用下着を贈られるってどうなんだろう? なんて思わないでもないけれど、女性であれば体型を選ばない装備化した噂の下着は喜ばれるのだという。
そんな事を考えながら、ふと以前自分自身もこの下着をプレゼントしたことがあったなと、湖畔の街のあの活発な花屋の少女の事を思い出したりもするのだった。
……あの二人は上手くいったのかしら?
「まあ、とにかく無事に終わったのなら茶にしよう。エリス様は焼き菓子がお好きだと聞いたので先程厨房で用意するように伝えておいたのだ。カーミラも身支度が整ったなら様子を見てきてくれないか?」
「かしこまりました。では早速様子を見て参りましょう。……あの、エリス様。本当にありがとうございました」
「いいのよ、別に。どうせ夕食までの間は暇だったのだし。自室に籠っていてもうんざりするだけだろうから」
改めて深々と頭を下げるカーミラさんの後ろ姿を見送って、私はこの話を受けることに目を逸らして現実を少しだけ思い出す。自室に山と運び込まれているだろう、装備化をしなければいけない衣料品の処理には、一体何日掛かる事だろう?
予想はしていたものの、到着した日くらいはゆっくりと休みたいのが人情だ。
王との会談を終えた時、レンさんから申し出を受けるままにこちらに来たのは現実逃避の為でもあったのだ。
「本当に、不思議な方だな……エリス様は」
「そうですか?」
「ラヴィナス卿は恐らく、エリス様のその自覚のなさが不思議に思われるのですよ」
「自覚とか言われてもなぁ……」
「いや、その者の言う通りかもしれないな。人は皆己が何者であるか、無意識に自覚しているものだ。しかしエリス様を見ていると、その様子が非常に薄く感じられるのだ。そうだな、例えるなら見ている世界そのものが、もしかしたら違っているのではないかという程に――いや、深い意味はないのでわからないのなら気にしないで頂きたい」
ソファーに深く腰を沈め天井を見上げるようにそう言ったレンさんはそのまま静かに目を閉じ、何かを夢想している様だった。
レンさんの言う "何者" が、何を指していたのか。
このときの私にはまだ良く判っていなかったのだったけど、首を傾げる私に身を寄せるリーリカには、それが何を意味するのか、きっと解っていたのだと、後になって気が付くことになるのだ。




