希望の灯火
希望の灯火
王城の一日というものは繰り返される既視感で構成されているものだ。
そんな言葉を残した哲学者がいたそうだが、現実的に私はそんな平坦な日々とは無縁の忙しい日々を送っていた。
ノーザ王国近衛師団長といえば国王直属の王族警護隊でもあり、騎士の中で最も栄誉あるとされる役職に就いいると言えるのは間違いないものの、その職務の実態は本分の警護からメッセンジャーと多岐にわたる。声を大にして言えることではないが、国王の個人的な相談という名の愚痴の相手をするといったものまで大事な職務なのだから、たまる一方であるストレスを上手く発散できない者にはなかなか務まるものではなかった。
そして一個師団である以上、隊全体の訓練も欠かせないわけで、全体の合同訓練の指示や個別指導などやる事だけは山ほどあるのだ。
夜明けより少し前に起床して、訓練用の防具に身を包むと城の中庭で朝の鍛錬を行う。
あくまで自主鍛錬であり参加自由なのだが、これを欠かすような人物は幸いにも今の隊員にはいなかった。
充分な柔軟体操と走り込み。実際にに剣を構えての素振りや、儀礼用の型の練習に至るまで思い思いのメニューをこなす隊員の中には実践形式の模擬戦を好むものを少なくない。
いくら刃を潰した訓練用の模擬剣といえど、それを振り回して戦うのだから一組でもそれ相応のスペースが要求されるので、同時に模擬戦に入れるのは大抵は二組まで、多くても三組がいいところだろう。
今も私は熱血に燃える隊員に請われるままに、彼らの模擬戦を観戦しながら自らも柔軟体操をしているところだ。
「ハアアア!」
気合の声と共に最上段から大剣を振り落としたのは配属間もない若い隊員だった。確か名前はジャック……だったろうか?
対するは配属後三年ほどの、まあ言ってみれば中堅どころの隊員であり、適当な具合に力の抜けた隊員で、まだ中年というには若いものの、もうじき二十代も中盤に差し掛かろうかというダンだ。
ダンはジャックの掛け声と共にやや小ぶりの逆三角形の盾――俗にいうカイトシールドを自身の身体の前に滑り込ませながら、半ば自分から大剣へと当たりに行くように踏み込んだ。
金属が滑るような音と共に踏み込んだ勢いにそのまま自らの体重を上乗せして体当たりをしたダンに、十分な振り抜きをする前に重い両手剣を受け流されたジャックは簡単にバランスを崩されることとなり、大きく上体を大剣に引っ張られお辞儀でもしているかのような体勢になってしまっている。
「死に体だな」
私が内心思ったことを口にしたのはダンだった。彼は体当たりそのままにカイトシールドをさっさと放棄したものだからジャックはたまったものじゃない。金属製の盾の重みも加わって完全に転倒した時には、ダンは片手持ちから両手持ちに切り替えたロングソードをジャックの首元に突き付けていたのだった。
「勝負ありだな」
悔しそうな表情でダンを見上げるジャックも、私のこの言葉に項垂れるようにがっくりと頭を落とすと、ダンがすかさず手を差し伸べて倒れた彼を引き起こしていた。
「まあなんだ、そんな表情をするな。なかなかいい上段斬りだったぞ」
「……ですがこうしてあっさりと負けました」
激しく落ち込むジャックは配属間もないということで、少しばかり焦っているのだろうか?
近衛に配属されるだけでも大したものではあるのだが、自信をもった若者がこうしてあっさりと高くなった鼻っ柱をへし折られるのも近衛隊に配属された者なら誰しも通る道なのだ。
無論大半の者がそこから再び立ち上がり、更なる技術を身に着けていくのだが、中にはぽっきりと折れてしまい志半ばで近衛を去ってしまうものも居るにはいる。
そんな彼らに共通した空気を僅かに感じさせるジャックには、ダンも手を焼いているようで、ダンはこちらを見ると、無言でフォローを促している。
――やれやれである。
「ジャック」
名を呼ばれた彼は慌てて身体についた泥を払い敬礼で直立不動の態勢をとるのだか、そんな彼に対して私は手で制しながらため息交じりのアドバイスを授ける。
「いい、そんな固くなるな。今の戦いの反省点は解っているか?」
「斬り込みにもっと鋭さがあれば……」
その回答に声を出さぬ苦笑の表情で彼の後ろから見ているダンに心の中で悪態をつきながら、出かかる溜息を飲み込むと私は続けるのだった。
「確かに鋭い攻撃は確かな武器となる。が、今お前がすべきは対戦相手をしっかりと見る事。つまり観察して、相手の戦い方を予測、想像することだ」
「想像、ですか?」
「そうだ。我々近衛は如何なる事態にも陛下をお守りするのは役目だ。そして一国の王を狙おうという者達が、見た目通りの戦い方をしてくるなんてことは稀な事。先程のお前もダンが盾をそのまま放り出してくるなんて考えもしなかったのではないか?」
「……」
「図星のようだな。いいかジャック? 我ら近衛とは、守るべき対象を長く守ること、撃退できれば言うことないが、それが困難な場合は少しでも護衛対象を逃がすための時間を稼ぐのが役目となる。両手剣使いのお前は最前線でのアタッカーとなるが、アタッカーこそ高度な知識とパワーコントロールを必要とされるのだ。真っ先に倒れるのがアタッカーの役目ではないからな。我が隊では個人の武器の使用を極力本人の希望に沿った形で認めているが、攻を旨とする立ち位置に立ちたいのならば、後の先を良く学ぶんだな。私から言えるのはそれだけだ」
一気にそれだけ言って、私は踵を返すと控室へと向かった。
辺りに漂う香ばしい香りは焼き上がったパンだろうか? まずはかいた汗を清めるべく身に着けた訓練用の装備を脱ぎ去って所定の位置に戻すと、私は自室へと戻るのだった。
◇ ◇ ◇
「お帰りなさいませレン様。用意は出来ておりますよ」
部屋に戻った私を出迎えてくれたのは、師団長付きの給仕のカーミラだ。私が奥の部屋へと移動すると既にそこには手拭とタライに湯が用意されており、白い湯気を立ち昇らせていた。
「背中をお拭きいたしますね」
自室という事も有り人目を憚ることなく全裸となった私はタライで手拭を絞るとじっとりと汗ばむ胸の下から拭いてゆく。
そうしてる間にもカーミラは手馴れた様子で首筋から背中へと何度も手拭を濯ぎ絞りなおしては丁寧に拭き上げてくれた。
「暖炉に火は熾してありますがお寒いでしょう。今もう少し強めて参ります」
既に季節は冬であり、暖がとられているとはいえやはり身体を清めればその場から体温が奪われていく。いつの間にかざらついた肌も急速に滑らかさを取り戻していくのは、暖炉の火力を上げた為だろう。
小気味よくはぜる薪の音を聞きながら、昔日に思いを馳せれば寒空の中行水していた記憶が蘇り、大分耐性を失った現状に私は苦笑するしかなかったのだった。
「お着替えの用意が出来ております」
「ああ、助かる」
礼を言いつつ小さく小さく畳まれた布塊を手に取れば、広げてもまだ小さいソレに足を通していく。ここ半年ほどですっかりと定着してしまったこの下着は巷ではまだまだ品薄の高級下着だった。
庶民の中にも決して安くないこの下着は爆発的に普及しており、噂によれば恋愛成就の呪いまで掛かっているのだとか、根も葉もないうわさが絶えない品なのだが、私は既に存分な数の替えを手にしていた。
「羨ましい限りですわ」
「お前ももっているのだろう?」
「ええ、ですが普及タイプのものだけです」
「高価なうえに品薄だからな」
普通に作られた下着としての下着である普及タイプ。そして今私が着用しているのは、装備化が施された装備品だった。装備化が施された高級タイプのものは王都でもまだまだ希少品であり、たまたま成り行きで物好きな国王から下賜されたこの城の女官たちの中でも、ここまで大量にそろえている者は私を置いてないだろう。
「ですが、今朝早くに沖にリオンの暁号の姿が確認されたそうですので、私期待しているんです」
「そうか……エリス様が戻られるか」
「はい、きっとあと数刻の内には港の早鐘が鳴る事でしょう」
「確かにエリス様ならその要求には応えてくださるだろうが――」
――自重しろ。という言葉をなんとか飲み込んで、私は嬉しそうに宙を見つめる夢見る乙女を見守った。
世に出回っている装備化されている下着を、装備化している張本人――エリス・ラスティ・ブルーノート。エルフの王女にしてラスティの神子である。この城に私室を許されているノーザ国第一級の国賓でもあり、特別領まで有している人物が戻ってくるのだ。
そんな身の上だというのに、彼女は身分問わず分け隔てなく接することで、城務めの女官や給仕の娘達には絶大な人気を誇っていた。非公式ではあるが給仕の娘達の中では有志による "エリス様お世話し隊" なる奇怪な一団が生まれているのだとか。
そして彼女が戻ってくるとなれば、この忙しい日常は更に加速度的に忙しさを増すのだろうと、私はあまりうれしくない予感を確かなものへとさせるのだった。




