鳶色の二人
鳶色の二人
幅の狭い寝台が左右に配されたこの小さな部屋も、この船の中に限れば贅沢な空間を占有した部屋であることは間違いない。
そんな部屋の中、寝台に座りぼんやりと舷窓から果てなき海を見ている彼女は灰茶色の髪に夕日の色を混ぜながら、佇んでいた。
「どうしたの? サラ」
「いや、別にどうというものでもないさ。ただ――」
「ただ?」
「なんだろうな、お前と別れてからというもの、これまでアタシは厄災の緋眼を討つために、ただそれだけの為に生きてきたんだ」
横目でチラリとこちらを窺い、すぐに窓の外へ視線を戻したサラはまるでそのまま暮れる陽とともに闇に溶けて消えてしまいそうにも感じた。
「ごめんね、サラ」
「どうしてルーシアが謝るんだ?」
「私のせいで、サラにそんな道を歩ませてしまったのだもの……でも、できればエリスさん、ううんマリスの事も恨まないであげて欲しいの」
「大丈夫だよ、ルーシア。それにアタシだってあいつらがそれぞれの正義の為に動いたのは解る。ただ……突然失われた目標に、どう対応していいのか情けないことにわからないのさ」
「私は本来ならばあのままマリスの意識に呑まれて消える筈だった。でもこうして今もまたサラの傍に戻ってこれたのは、エリスさんだけでなく、マリスが私の事を、本気で吸収しなかったからだと考えているの」
決して嘘ではない。私と言う個を自覚する意識は、一度はマリスによって消化されかけていたのだ。
しかしある時を境にその干渉が弱まった、どころかほとんど消えたのだ。
以来私は彼女の意識の底にありながら、ルーシアとしての自己を認識しながら、彼女と語り合ってきたのだ。
「厄災の緋眼……いや、マリスはそうかもしれないが、むしろアタシが気にかかるのはエリスの方だな」
「エリスさんの?」
「ああ。色々とアタシ達には見えない事情を見たそうだが、それでも果たしてエリスは、それを知らずとも同じ道を選んだのではないだろうかってね」
エリス・ラスティ・ブルーノート。私と同じ名を持つハイエルフの少女。
私が彼女について知ることは少ないけれど、彼女がマリスや私と同じラスティの神子でありながら、一線を隔していることは間違いない。
どこか感じる懐かしさを、彼女は出身が同じ世界だからと言っていたけれど、恐らくそれだけではないのだろう。
なにより私は、自分が元居た世界のことなんか、全く記憶にないのだから。
気が付いたときには既にこの姿であり、それでも自分が地精霊であること以外は何も覚えていない。偶然サラによって保護された私は様々な事を彼女の下で学んだ。
無論学ぶまでも無く、本能的に起こそうとする行動もあったのだけど、それは内なる声が囁くのだ。
――欲する者に、母なる慈愛をと。
「エリスさんの事はまだあまりわからないけれど、彼女が何か真っ直ぐに生きようとしているのはわかるわ」
「そうだな、アイツは出会ったときからそうだった。素直で、人を疑わず、それこそ見ているこっちがヒヤヒヤしそうな位だったよ」
「ふふ。サラらしい感想ね」
「馬鹿、茶化すなよ。ただ、エリスがビジターなのはすぐに分かったんだ。同時に他のビジターと違うという事も」
「うん」
「なにより、過去の記憶を持つビジターなんて聞いたことが無いだろ?」
丁度先程考えていたことを改めて口にされ、私は少しばかり自分の記憶を辿ってみても、どうしてもこの世界で気が付いたときより前の事は思い出せなかった。
「そうね、でも……声を、聞いた気がするわ」
「声?」
「そう、声よ。とても悲しそうな声だった」
そこまで思い出したとき、唐突に目の前にフラッシュバックしたのは真っ白な世界で、声を聞いた。
『新たな波紋とならんことを』
「あらたなはもんとならんことを」
「おい、大丈夫か?」
軽く身体を揺すられ我に返ると、いつの間に移動したのか私の目の前に移動したサラに両肩を掴まれていた。
「あれ? わたし今何か言っていたかしら?」
「ああ、確か、新たな波紋とならんことを。だったかな?」
「なんか、真っ白な世界で聞いた気がするの」
「真っ白な世界だって?」
「どうかしら? いや、でもそんな感じよ」
「そうか。多分それはエリスの言っていたラスティの世界だろう」
驚いた。まさかサラから聞けるとは。どうやら以前にエリスさんから聞いていたらしいのだ。
エリスさんがラスティと意志を繋げることができ、その対話の際には白い世界で行われるのだという。
「ラスティの……世界ね」
一度思い出してしまえばその光景は普通に浮かび上がるものの、私にはその一言以外にラスティの言葉は無かったようだ。
若干のさみしさを感じながらも、心のどこかではそれに安堵している自分を見つけてしまう。
「何か思うところがありそうだな」
「ううん、そんな大層なものじゃないの。ただ……エリスさんは本当はとんでもない重圧を感じているんじゃないかって」
上手く言葉に出来なかったけれど、同じ身の上でありながら、あからさまに期待されているものが違うと感じた私は、彼女が背負ってしまった運命というものの大きさに眩暈を覚えるのだ。
「そうかもしれないな。でも……きっと大丈夫だ。今のアイツには、支えてくれる奴がいる。それに、アタシらもいるだろ? 確かに個人的に思うところはあるけれど、マリスだってなんやかんや言ってエリスの事が放っておけないんだろう」
「そうね」
「そうだ。だから、エリスが崩れてしまわないように、アタシらがあいつの助けになればいい。ほんとに不思議な奴だよ、エリスはさ。不思議と手を貸したくなっちまうんだ」
彼女にまつわるエピソードを聞いた限り、規格外の片鱗を思わせるポテンシャルを感じる物の、同時にアンバランスに薄い自覚にハラハラとしてしまう。
そしてそう思うが故に、つい手を貸してしまいたくもなり、助けを求めたくもなるのだった。
「ちゃんと私とサラを再び引き合わせてくれたしね」
「どういうことだ?」
「ううん、なんでもないのよ」
朝もやのとある街を思い浮かべながら、彼女の持つ可能性に賭けた勝負がこうして予想以上の結果をもたらしたことは、言ってみればルーレットでディーラーの総取りとなった結果に近く例えられるだろう。
それが例え私の意志ではなく、他のもっと大きな意志によって導かれていたとしても、彼女と言う因果の塊こそが、その結果に吸い寄せられたのだろうから。
話しているうちにすっかりと日も暮れて、暗くなった部屋にカンテラの灯りが灯る。
燃え始めのやや強い油の匂いはすぐに薄れ、代わりに微かに香る柑橘の芳香が私の胸に飛び込んできた。
急速に退行するサラの鳶色の瞳に微笑みを返しながら、私は胸元の紐を緩めながら柔らかい灰茶色の髪を抱きしめるのだった。




