第三話 んじゃ行きますか! アイヲンモール異世界店、店内巡回だ! 営業時間外らしいけど!
「はは、ははは……」
乾いた笑い声が出る。
アイヲンモール春日野店の勤務を終えて帰ろうとしたら、異世界。
たしかに「アイヲンモール*%#店」に異動する辞令が出てたし、店名の文字が読めなくてどうすんのよこれ、とか思ってたけど。
明日から、アイヲンモール異世界店の店長。
しかも半年は連絡が取れないから、責任者として自由にやっていい。
「ほんとなんなのコレ! 採用面接で調子に乗った俺をぶん殴ってやりたい!」
だって新卒の採用面接で「異世界に行けるとして」とか言われたら意味不明な質問をして受け答えを見るパターンかと思うに決まってるじゃないすか……。
頭を抱えてしゃがみ込む俺、谷口直也24歳。
どれだけの時間、グチグチ言ってただろうか。
俺は立ち上がって歩き出した。
コロコロ付きトランクや見覚えがある家具、段ボールが積まれたカゴ台車に向かって。
光る落書き、おっと、伊織さんいわく〈転移ゲート〉は見えない。
伊織さんが立っていた場所を何事もなく通り過ぎた。
カゴ台車のもとにたどり着いた俺は、さっそくストッパーを外して中身を確かめる。
「本当に、ウチにあったはずの家具だ。段ボールの中は……俺の服だな」
カゴ台車は幅1mちょっと、奥行きは1mないぐらい、高さは170cmぐらい。
使わない時は折り畳める大型のタイプで、倉庫やバックヤードでよく見かけるヤツだ。
二台並んだカゴ台車の中には俺の家の家具や家電が積まれ、段ボールの中には服や本が入っていた。
「俺の私物が完璧に異世界に持ち込まれててやったあ!……ってなるか! なんで他人の家に勝手に入ってんだよ!」
いなくなった伊織さんに向けてぶちまける。
あの超巨乳に向けて欲望を、じゃなくてプライベートスペースに踏み込まれた怒りを。
プライベートスペースというか俺の家だけど。
「しかもちゃんと母屋の物は混ざってないし! さっすが天下のアイヲン、有能だね! ハハッ!」
俺の両親は、俺がまだ幼い頃に交通事故で死んだらしい。
俺は物心ついたときから、爺ちゃん婆ちゃんに育てられてきた。
高校生になると「自分の空間が欲しいじゃろ」って爺ちゃん婆ちゃんが敷地の中に離れを建ててくれた。
それから俺はもう10年近くそこで暮らしてきた。
婆ちゃんは高校の時に、爺ちゃんは大学の時に他界したけど、母屋には移らずにずっと。
「はあ、この封筒開けるのが怖いんですけど……後にするか」
カゴ台車には封筒が貼られていた。
俺が見落とさないように、正面にしっかり株式会社アイヲンの封筒が。
けっこう分厚いし、中を見るのは後まわしにする。
なにしろもうすぐ日付が変わるほどの深夜だから。
「とりあえず今日の寝床を決めないと。テナントの空きスペース使っていいって言ってたし、中に入ってみるか」
朝からアイヲンモール春日野店で働いて、夜に帰ろうとしたら異世界だった。
休息を求めてるのは体か頭か。
どっちもに決まってる。
「うわ、ちゃんとカギも懐中電灯も用意されてる。……んじゃ行きますか! アイヲンモール異世界店、店内巡回だ! 営業時間外らしいけど!」
独り言の声が大きいのは、疲れた体と心を奮い立たせるためだ。
さっき見かけたデカくて角付きのウサギが怖いとか、屋上にいたドラゴンが怖いとか、異世界だし謎の生物が怖いからじゃない。
断じて違う。
「でもちょっと武器になりそうな物を持って行こうかな! 念のためね、念のため!」
自分に言い聞かせて、俺はカゴ台車を一台押していくことにした。
いざって時に身を隠したり、押してぶつける武器として。
「似てるけど、やっぱりアイヲンモール春日野店じゃないんだよなあ。微妙に造りが違うし」
カゴ台車をガラガラ押してバックヤードから出た俺は一人呟く。
一見すると似てるけど、アイヲンモールは店舗によって造りが違う。
俺が通ってきたバックヤードは、アイヲンモール春日野店とは違っていた。
「異世界かどうかはともかく、知らない間に移動したことは間違いない、かあ。おーい、誰かいませんかー?」
伊織さんいわく「アイヲンモール異世界店」。その店内は薄暗い。
照明がぼんやり店内を照らす、営業終了後の夜間照明モードだ。
俺が出たのは、本来なら専門店が並ぶテナントスペースのどん詰まりで、エスカレーターがある吹き抜けの空間だった。
俺の問いかけに答える声はない。人気もない。
「警備員は見当たらない。シャッターは閉まってる。人がいないのを気にしなければ、営業時間外のアイヲンモールなだけなんだよなあ。ほんと、異世界って意味わからん」
店内に響くのは俺の独り言と、カゴ台車をガラガラ押す音だけ。
吹き抜けに面したテナントも通路の先のテナントも、どこもシャッターが下りている。
格子状のシャッターから奥を覗くと、中のテナントスペースには何もなかった。
俺は吹き抜けの上を見上げる。
「アイヲンモール春日野店と同じ三階建てか。ってことはフードコートがあるのは二階で、スーパー部門は反対側。さて、今日はどこで寝るか」
目の前に置かれたお客さま用のソファが疲れた俺を誘惑してくる。
でも俺は、それを無視してバックヤードに戻った。
エレベーターを探し当てて二階に上がる。
「ほんとに異世界ならモンスターがいるかもしれないからね! いや実際いたんだけど! 飛び立ってなきゃ今も屋上にはドラゴンがいるんだけど!」
ブツブツ言いながら、俺は二階のテナントスペースのシャッターを開けた。
予想以上の大きな音にビクつく俺。
上を見る。
「ドドドドラゴンにビビったわけじゃないし! そりゃ疲れてるし眠いけどざっと見てまわるし!……トイレが使えるかだけ」
がらんとしたテナントスペースにカゴ台車を押し込んで、中に積まれていたマットレスを下ろす。
手前にあった段ボールも下ろす。
ベッドは分解されてもう一台のカゴ台車にあったけど、今日は組み立てない。そんな体力と気力は残ってない。
「よし! 寝床と着替えは準備OK! シャッターを下ろせばモンスターも入ってこれないだろうし、安全な寝床は確保した! 最低限だけどなあ!」
はあ、我が家が恋しい。
爺ちゃんが気を利かせて風呂とトイレまで付けてくれた離れに帰りたい。
まあ帰っても何もないんだけど。私物は勝手に持ち込まれたから。
シーツもセットしてないむき出しのマットレスの誘惑を振り切って、俺はデカい懐中電灯を手に、通路に出ていった。
シャッターは半開きで、いざという時は駆け込めるようにして。
「店内の巡回……今日はもうトイレだけでいいや。むしろトイレだけは確かめておかないと」
独り言が多いけどしょうがない。
むしろ静まり返った薄暗いアイヲンモール異世界店を独り言なしで歩けるヤツがいたら教えてほしい。代われ。
ブツブツ言いながら、俺はトイレが使えるかどうか確かめに行った。
もし使えなかったら、大きい方は大変なわけで。
「電気も使えるんだしイケるイケる! きっといつもの清潔で快適なアイヲンモールのトイレだって!」
薄暗い夜のアイヲンモール。
デカい懐中電灯を握りしめて、俺はトイレに向かう。
トイレが使えますように、誰も、何もいませんようにと祈りながら。ビビってねえし!





