第八話 ふふ、はははっ! では今後を楽しみにしてますよ、ナオヤさん
「はは、はははっ! これはおもしろい!……お嬢さん、レシピを売るつもりなら、おおよそ適正価格ですよ。ガレットは単価が低い分、それ以上出す人はいないでしょう」
「え……?」
「ただし、よく考えるように。レシピを売るということは、同じ味の店ができるかもしれないということです。今後、営業許可をとって場所代を払っても、ガレットは売れなくなるかもしれません。ナオヤさんが、同じ味の違う店を出した場合は」
ガレットのレシピを買い取る。
俺がそう言ったのに「こんなにもらえない」と言い出した女の子。
このお金をもらわなきゃ、娼館で働かされることになるのに。
困った俺を助けたのは、いままでガレットを売っていた少女に詰め寄り、クロエを煽っていた商人ギルドのギルド長だった。
ニヤニヤと、まるで値踏みするかのように俺を覗き込んでくる。実際値踏みしてるんだろう。
俺はどうするつもりなのか、商売人として俺にどれだけの価値があるのか。
たぶんギルド長は、俺を見極めるためにこんなことを言い出したんだろう。
「さあ、受け取るんだ。明日のことは明日考えればいい」
迷う少女の手に、俺はお金を押し付ける。
「商売するのに許可が必要で、お金を払わなきゃいけないこともある。どんな形でも稼ぐには規則を守らないと。娼館で働くんじゃなくて、明日も商売がしたいなら……受け取るんだ」
正直に言えば、商人ギルドのギルド長は優しいとさえ思う。俺とクロエと少女の心情は別にして。
三年分の場所代なのに、金額は俺の給料の半月分、三年目社員の平均月給程度。
おそらく遅延に対する割り増しもない。
払えないなら働き口を紹介して分割も認めている。仕事先はアレだけど。
しかも商人ギルドのギルド長は、なぜか俺の提案に乗ってくれた。
なぜかというか、ターゲットをガレット売りの少女から俺に変えたんだろう。
俺が単なる同情で金を出したのか、それともこのチャンスを自分の利益に繋げられるのか。
要は俺を、アイヲンモール異世界店の新しい店長の手腕と能力を見極めるいい機会だと思ったわけだ。
エグい。
ぶっちゃけ、ガレットのレシピの利用方法は思いついてない。
「わかり、ました」
少女は、震える手で俺からお金を受け取った。
「そちらの取引は成立したようですなあ。では三年分の場所代をいただいて、支払い証書をお渡ししましょう」
ギルド長が少女の手から硬貨を取り去り、いつの間にか横いた護衛っぽい鎧姿の男に預ける。
手に持っていた書類にサラサラとサインして、少女に書類を手渡した。
「これで支払いも終了ですねえ。今後食品を販売する際は、商人ギルドに申請して場所代を納めるように。まあガレットのレシピを売ったようですし、今後も商売できるか知りませんが」
「そのへんは俺とこの子が話して決めますよ。ゆっくり話し合います」
「ふふ、はははっ! では今後を楽しみにしてますよ、ナオヤさん」
最後にニンマリと笑って、ギルド長は馬車に乗り込んで去っていった。
残されたのは俺とクロエと、ガレット売りの少女だけ。
「あのゲスが、引き下がった……だと……?」
「まだ、お金が、残ってる……」
二人の女性は呆然としてる。
「あー、クロエ。とりあえずガレットとジャムはポーチに入るか? それからキミ、一緒にキミの家に行っていいかな?」
「ああ、入るぞナオヤ。待て! まさかナオヤは少女の家に行って! 『助けてやった礼をもらわないとなあ』などと言って少女を襲う、いやそれどころか少女の母親とその場にいた私までもッ! くっ、殺せ!」
「ないから。代金を払ったガレットのレシピを教わりに行くだけだから。活用方法は思いついてないんだけどさ」
それに。
ギルド長は同じ味で別の店を出せるって言ったけど、それは間違いだ。
俺は、ジャムのレシピを買ってないから。
ガレットだけ再現できても買ってくれる人はいないだろう。
そりゃアイヲンモール異世界店には、日本で売ってるジャムもあるだろうけど。封鎖された棚に眠ってるジャムを使えば代用できるかもしれないけど。
いまのところ、俺にその気はない。
「はあ、ほんと甘いな俺。これで商人ギルドのギルド長に目をつけられたわけだ。ああ、名前を知られてたし最初から目をつけられてたか」
いまさら顔が引きつってくる。
アイヲンモール異世界店の商売敵、商人ギルドはなかなか手強いらしい。
まあ、とりあえず。
「おおおおお! 支度金があって助かりました! ありがとうアイヲンちょっと見直した! でもいまので使い切っちゃって明日からどうしよう!」
「……あの、だ、大丈夫ですか? 騎士さま、お連れのお兄さんが」
「少女よ、気にしなくていいぞ! ナオヤはときどきこうなるんだ!」
「誰のせいだと思ってんだよ! お前らだよお前ら!」
「そ、その、よくわからんが、すまん」
「ごめんなさい……本当に、ありがとうございます」
「お、おう、わかってくれればいいんだ。でもクロエはあとで反省会な」
「まままさかナオヤ! 反省会を名目に狭く暗い部屋に私を押し込んで! 逃げ場を失った私を襲い」
「そういうのいいから。俺ちょっと疲れちゃっていま相手できないから」
クロエの言葉を遮る。
ふうっと大きくため息を吐く。
「んじゃキミ、家に案内してくれるかな? キミのお母さんとも話しておきたいし」
「その、ウチは人を招待できるほどキレイじゃ……」
「あー、いいっていいって。俺もクロエも気にしないよ。クロエの部屋の方がぐちゃぐちゃっぽいし」
「な、なな、なんでわかったナオヤッ! さては私を尾行して部屋を覗き」
「家はここから近いのかな?」
「はい、裏通りですけど、少し歩いたところに」
また何か言い出したクロエを無視して、俺はガレット売りの少女と一緒に歩き出した。
アイヲンモール異世界店に帰るのは少し遅れて、夕方のピークに間に合わなくなりそうだ。
……まあ大丈夫か。ピークって言っても重なるお客さまは10人ぐらいだし。少なすぎてツラいです!