第一話 谷口直也さんの勤務先はここ、アイヲンモール異世界店となります
「待て待て。なんで異世界なのにアイヲンモールがあるんだ? というかここホントに異世界?」
思わず大きな声で独り言を言ってしまった。
キョロキョロして、誰にも聞かれなかったことを確かめる。
まあこの状況なら、おかしな人と思われてでも、誰かいてくれた方がうれしかったんだけど。
「とりあえず中に入るか。外にはデカいウサギやドラゴンがいるし。それにしてもいきなりドラゴンって! 最初にドラゴンっておかしいだろ!」
駐車場からアイヲンモールの屋上を見上げる。
アイヲンの屋上看板の横に、丸くなった生き物の姿が見える。
赤い鱗、畳んでいるのに胴が隠れるほどの大きな翼、額から生えた角、トカゲのような顔つき。
「ドラゴン、だよなあ。それともトカゲが進化したかな? ハハッ」
現実逃避は止めよう。
どう見てもあれはドラゴンだ。
月は青くて、天の川は渦を巻いてて、まわりは森で、屋上にはドラゴンがいて、アイヲンモールはここにある。
あ、正面入り口の方は森じゃないみたいだ。
「何だコレ……百歩譲って異世界なのはいいけど! アイヲンモール浮きまくりだろ! いや異世界もよくねえし!」
アイヲンモールに向かって叫ぶ。
ライトアップされた、見慣れた夜のアイヲンに。
「あれ? ライトアップ? おかしくない? 電気どうなってんの?」
そうだ。
ここが異世界だとしたら、明かりがついているのはおかしい。
とにかく俺は、従業員出入り口からアイヲンモールに戻ることにした。
駐車場は空だし人気はないけど、もしかしたら誰かいるかもしれないし。
さっき出てきたばかりの従業員出入り口からアイヲンモールのバックヤードに入る。
入ってすぐに、シャッターが閉まった搬入口が見えた。
トラックが運んできた荷物を下ろす場所は地面が、というか地面に描かれた落書きがぼんやり光っていた。
「怪しいのはこの落書きだよなあ」
さっきここを通った時に小さな揺れがあった。
朝にはなかったはずの落書きは、そのタイミングで光り出した。
すぐ横の通路を歩いていた俺の足元も。
アイヲンモール春日野店にいたはずなのに、揺れと光のすぐ後に外へ出たら異世界だった。まだ半信半疑だけど。
状況を考えたらこの光る落書きが怪しい。
そう思って俺は落書きに近づいた。
円と図形と読めない文字が描かれた幾何学模様に。
「……まさかコレ、魔法陣ってヤツ? はあ、マジなんなんだろ。アイヲンモールはあるし電気はついてるしなのに異世界って」
「お疲れさまです」
「あ、お疲れさまでーす」
「無事に渡れたようですね。では着任後の業務について説明します」
「あっはい。よろしくおねが……はい?」
いきなり話しかけられた。
さっきまで誰もいなかったのに。
突然、当たり前のように、話しかけられた。
「お客さま、こちらは従業員用の通路で……じゃなくて! ちょっ、アナタ誰ですか!? これなんなんですか! ここマジで異世界ですか!? もうほんとアナタが誰でもいいんで何か知りませんか!?」
「もちろん知っていますよ。私は谷口さんの業務を説明するために来ました。初めまして、ではないですね。人事部の伊織です」
「伊織! 伊織さん! 俺に『アイヲンモール*%#店へ異動』って店名が読めない辞令を出しておいて問い合わせに答えない無能人事さん!」
「あの時点でお話ししても信用されませんから。ちなみにあれはこの国の文字です。さて、谷口直也さん。ここはアイヲンモール異世界店です。異動お疲れさまでした。着任した谷口さんの今後の業務ですが」
「いやいやいや説明すっ飛ばしすぎだろ! 『ここはアイヲンモール異世界店です』じゃなくて!」
動揺して詰め寄る俺を前に首を傾げる無能人事、じゃなかった伊織さん。
なにか不足があったでしょうか、みたいな疑問顔でこっちを見てくる。
「不足だらけですから! 一言で次に行こうとしてんじゃないすか! もっと説明! ちゃんと説明してください!」
「なるほど、そういうことですか」
伊織さんがポンと手を叩く。
ふよんっと揺れる。
ジャケットを左右に押し広げる凶器が揺れる。
伊織さんの服装は黒いパンツスーツに白いブラウス。
髪をサイドでまとめて、シャープなメガネがちょっときつめなキャリアウーマン風だ。本社勤務の人事で、伊織さんの名前で辞令が出せるぐらいなんだ、キャリア組なんだろう。まあそれはいいとして。
俺の目は一点から動かせなかった。
首から下げた社員証を押し上げる、凶器。
ジャケットのボタンを留めてないのは、たぶんその凶器のせいだ。
でかい。
伊織と名乗った人事部の人、俺に店舗名が読めない辞令を出した担当者は、Gオーバーの超巨乳だっ……いまそれ気にするところじゃないから。
マンガみたいな巨乳から目が離せな……じゃなくて説明してもらうところだから。
自分に言い聞かせて、俺は無理やり視線を外した。
「まず谷口直也さんの勤務先はここ、アイヲンモール異世界店となります」
「そこ! そこから説明してください! 異世界ってどういうことですか! なんで異世界にアイヲンモールがあるんですか!? 当たり前のように言わないでくださいよ!」
「五年前、日本のとある場所と異世界が半年周期で繋がることが判明しました。この〈転移ゲート〉は繫がりを安定させる異世界の技術です。それでも短時間で切れてしまうのですが」
「俺が知らない間に日本がファンタジーだった件! それでなんでアイヲンモールがここに? まさか俺ごとアイヲンモール春日野店が転移した!? いやでも他に人はいないし」
「日本のとある場所とは、アイヲンモール春日野店。たまたま繋がったことを知った会社の上層部は極秘裏に決定したのです。『そうだ アイヲン、作ろう。』と」
「それ他社のパクリじゃん! そんで上層部の判断軽すぎかよ!」
「動かせない大黒柱すら動かす柔軟な事業展開が社是ですから。以来、繋がるたびに資材を運び入れました。そうして、アイヲンモール異世界店ができたのです」
「展開はやっ! 『できたのです』っておかしいでしょ! どれだけの資材がいると思ってんの! 建てた人は! 工事は! 異世界側への説明会は!? もうやだこの人……」
人事の伊織さんがマイペースでどこかおかしいことはわかってた。
何しろ勤務先が読めない俺の辞令のことを何回質問しても、ちゃんとした答えが返ってこなかったし。
それにしてもマイペースすぎるだろこの人。
とにかく、いま気にしてもしょうがないことはスルーして話を進める。
そのへんは後でゆっくり聞くとして。
「アイヲンモールが異世界にあるのはわかった、いやわからないけど後にして……なんで俺なんですか? というか帰れるんですよね?」
淡々と説明を続ける伊織さんの話をぶった切って、俺は一番気になることを聞いてみた。
アイヲンモール異世界店。
そこで働くように俺に辞令が出た。
俺は帰れるのか。なんで俺なのか。俺に秘められた力が宿っているのか。ひょっとして俺は知られざる英雄の家系で——
「日本と異世界は半年周期で繋がりますから、その時に帰れます。ただし途中で退職される場合は、タイミング次第で〈転移ゲート〉が繋がるまで待つ必要があります。繋がるのは半年周期ですから」
「あ、帰れるんすね。しかも退職OKなんすね」
この異世界がどんな世界かまだわからないけど、少なくともデカくて角があるウサギがいてドラゴンがいるわけで。
日本より安全ってことはないだろう。
でも、異世界に行きっぱなしなわけじゃない。
辞めても日本に帰れると知ってちょっとホッとした。
ホッとしたところで、俺は伊織さんに質問した。
さっきスルーされたことを。
「それで、なんで俺なんですか?」
俺の人生で一番長い夜は、まだ終わらない。