つぶらやと新人A~考察するポスティング効果~
2017年 3月17日。
ぬくい昼下がりのこと。つぶらやは新人Aと共に、会社近くの町中を歩いていた。両手にはチラシの入った紙袋。見ての通り、ポスティングである。
前回、新人Aにポスティングを丸投げしたら、日が暮れても彼が帰ってこなかったのである。電話をかけると「もう少し、もう少しで終わりなんです!」と息も絶え絶えになっていた。仕事熱心なのは大いに結構だが、他の業務のしわ寄せがみんなに来てしまうレベルではいただけない。
誰か手を貸してやれということで、白羽の矢が立ったのが、つぶらやだったのである。
あの血のホワイトデー。逆ギレした女上司相手に闘争と逃走を繰り返したら、今回の生贄に任命されてしまったのである。
何がなんやらという方は、前作「つぶらやのホワイトデー〜考察する男子力〜」を参照されたし。
ちなみにこの新人A。カワイイのである。
特定が怖いので、詳しくは書かない。紳士淑女の皆さんの、想像力にお任せする。
淑女の皆さんが「カワイイ! 弟になって!」と思い、紳士の皆さんが「その善人面、今すぐ死に顔に変えてやるぜ!」と思う容姿。それが新人Aだ。
そして、その隣にいるのがつぶらやだ。
もし、町中で紙袋を下げた二人組。その片割れが新人Aのようなルックスなら、その隣にいるのがつぶらやだ。外回りとして恥ずかしくない格好をしているはずなので、皆さんの想像した容姿であることを祈るばかりである。
見かけたら、コメントなりメッセージを送ってほしい。百パーセントごまかすであろう。
「つぶらや先輩。すいません、僕のせいで大事な時間を……」
「いんや、構わん。この前は俺も悪かった。運動もしたかったし」
同僚Aなら、つぶらやの穴も、死ぬ気でやれば埋めてくれるだろうし、後で缶コーヒーの一本くらいはおごってやろう。
つぶらやの会社はポスティングを頻繁に行っている。というか、それ以外の宣伝広告にも手間暇をかけている。
ウェブサイトやポスター、折り込み広告を作る専門の設備とスタッフが存在。内容に関しては少なくとも月一回の更新をかけているし、目玉商品が出れば、その宣伝に余念がない。おそらく人件費の次に、宣伝広告費がくるだろう。製作費を差し置いて。
この方針。人によって真っ二つに意見が分かれると思う。
宣伝広告を削って、製作費に充ててクオリティアップを狙うべきだ、という声があるだろう。
分かる。非常に分かる。若きつぶらやもそうだった。
しかし、何年も社畜として勤めると意見が変わってくるのだ。
仮に、宣伝広告費をすべて製作費に回して、万病を治すエリクサーの開発に成功したとしよう。つぶらやの会社に勤めるみんなは健康改善。家族におすそ分けして、家庭円満。知人に紹介して、感謝の声に満ち溢れる。
しょぼい。
あまりにもしょぼい。
内輪で盛り上がっている間にも、世界では千、二千とエリクサーを必要としていた大事な命が失われていくのだ。宣伝をしなかったばっかりに。
エリクサーがあれば、助かったのに。更に多くの人に喜んでもらえたのに。ただの自己満足に終始してしまった。宣伝をしなかったばっかりに。
エリクサーに及ばぬ商品なら、なおのこと外に出なくては、必要な顧客に出会えない。
「なろう」なら最高のクオリティの作品を作り、座して運命の相手を待つのもありだろう。
しかし、ビジネスで最高のクオリティの作品を作り、座していたら「倒産」という運命の相手に出会いかねない。
ゆえに、宣伝広告を怠るべきではないのだ。
「よし、新人A。問題だ。どこから配る?」
つぶらやが足を止めたので、新人Aも止まった。
今、周りはマンションに囲まれている。特定が怖いので、詳しくは書かないが、おおよそ大・中のマンション、二階建てのアパートに取り囲まれている立地だ。
ここまで一枚も配っていないので、紙袋はパンパン。
「一番大きなマンションから行きます! ある程度、チラシがはけそうだし」
「前回の経験からなら、そう考えるだろうな。ところで、今回のチラシは誰を対象とした商品の紹介だっけか?」
「えーと、小、中学生のいるご家庭向けのものです!」
「グッド。じゃ、大きなマンションを見てみるか」
つぶらやは新人Aと一緒に大きなマンションをぐるりと回る。
つぶらやが見るのは、主に駐車場と洗濯物だ。前者で住んでいる人の家計。後者で家族構成を大まかに把握する。配るチラシと検証してみて、優先順位を決めるのだ。
「どうだった、新人A」
「ええと、高級車がたくさんありました。そして、ほとんどの部屋のベランダにワイシャツが干してあります」
「そうだな。ということは、金持ちが多い。しかし、仕事着ばかりということは、住んでいるのは独身貴族が大半と判断していいだろう。そのマンションに小、中学生はいそうか?」
「……ノー、です」
「断定は危ないが、的外れでもないだろう。じゃあ、ここから見える中くらいのマンションはどうだ?」
「ええと、いかにも子供向けのパジャマとかが干してありますね」
「さっきみたら、三輪車とかもあったぞ。自転車の数も多かったから、学生の乗り手も多いだろ。まずは中型を優先する。ついてこい」
「りょうか……じゃなくて、かしこまりました!」
敬語になりきれていないフレッシュマンを見ると、つぶらやも若い頃を思い出す。
「よし、こんなところでいいだろ。次の区域に行こう」
「つぶらや先輩。アパートはいいんですか?」
「ああ。あそこは手狭で、家族もあんまいなさそうだ。後回し、後回し」
「で、でも、まだたくさんチラシがありますし……」
新人Aは前回のポスティングが、トラウマになっているようだ。
効率を優先する病気。俗にいう「ばら撒きシンドローム」にかかってしまっている。
とにかくチラシを配ればいい。そうすれば怒られない、という強迫観念。
これにかかってしまうと、ポストがあれば手当たり次第にチラシを投げ込む奴になってしまう。挙句の果てに、こっそりチラシを捨ててしまうことすらある。
結果、製作スタッフの汗と涙の結晶が、半分も効果を発揮せずに闇に葬られてしまうのだ。それは一銭の価値も持たない。金と時間と人生の無駄だ。
つぶらやは新人Aが大好きだ。読む人はどのような意味でとってくれても構わない。
とにかく、つぶらやはこんなところで新人Aに、折れてほしくも、腐ってほしくもないのだ。
「新人A。俺たちの仕事はなんだ?」
「り、利益を出すことです」
「そうだな。利益ってのはどこから生まれる? お前のポケットから湧いて出るのか?」
「こ、顧客の方々からです」
「顧客のいない家庭に見境なくポスティングする。それが利益を出すと思うのか?」
「……」
「泣きそうになるな。俺もそうだった。怒られたくない一心で、意味のないことをした。でもな、そんなの誰も喜ばないし、望まない。俺たちを必要としてくれる人に、このチラシを渡す。それが今の仕事だ」
「……はい」
「この前は一人でポスティング、ありがとう。助かったよ。だから、今日からはもうちっと賢くなるんだ。俺たちの仕事はチラシを無くすことじゃない。俺たちの存在を、新しい顧客に伝えることだ。忘れるなよ! 次からはお前主導でターゲットを探せ。俺はそれに従う」
「はい!」
それからの新人Aは、つぶらや以上に獅子奮迅の働きを見せた。
元ができる奴なのだ。コツさえ掴めば、その鋭い嗅覚で、つぎつぎとターゲットを見つけていく。しまいには、つぶらやからある程度チラシを奪い取っていったくらいだ。
「先輩、今日はありがとうございました!」
「ん、お疲れ様」
「今回のポスティングで、たくさんお客さんが来るといいですね」
「いんや、無理だろ」
「ええっ、そんなあ。夢のないこと言わないでくださいよ」
「ま、来たとしたら、もうけものと考えた方がいいな」
つぶらやは新人Aに話す。
ポストの中に雑多に入ったチラシ。それはたいてい流し読みされて、ポイ。ひどい時には何も見られずに、ゴミ箱行きもあり得る。
そのような環境で、一回こっきりのポスティングが、どれほどの意味を持つだろうか、と。
「継続は力なり。何度もポスティングして初めて効果が期待できるんだ」
「た、確かに同じ店のチラシが、短い期間で何回もポストに入っていたことがあります」
「そうやってさ、名前だけでも覚えてもらわないと意味ないんだよ。知られていないって、この世に存在しないってのと、同じだぜ」
つぶらやと新人Aは、軽くなった紙袋を両手に、会社への道を急ぐ。
気持ち、長くなり始めた昼の時間も、そろそろ終わりを迎えようとしている。どこかでカラスが鳴き、空は切なくなるくらいに赤く染まっていた。
無邪気に笑う新人Aを見ながら、つぶらやは「なろう」の皆さんを思う。
いったい、自分がどれだけの人に感想を送り、コメントを送り、メッセージを送ったか。
同じく、自分がどれだけの人から感想をもらい、コメントをもらい、メッセージを受け取ったか。
自分は、この縁に感謝をし、大切にしていかねばならないと、今回の件で強く感じた。
仕事でも「なろう」でも、出会いは繰り返すもの。
一度目は事故。二度目は偶然。三度目には気になるあの人。四度目からは運命だ。
つぶらやの社畜ロードは続く。続くったら続く。