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雲燿の太刀

「やってしまったな……」


 夕闇の中、鵜狩雷蔵うがりらいぞうは縁側にて項垂れていた。

 彼は、今は亡き祖父が運営していた古い道場へと逃げるように足を運んでいた。

 示現流の稽古は「猿叫」の煩さも相まって騒々しいことこの上ない。

 ゆえに、道場主の希望もあって、道場は山中に設置されていた。

 残暑が厳しい9月の頭に過ごす環境としては涼しげであり、快適である。

 しかし、そんな秋風が息吹く中でも、雷蔵の心境は優れない。

 何故なら……


「部員を全て叩きのめしてしまった……騒ぎが大きくなり過ぎた……退学は間逃れないだろう……」


 ☆☆☆


「剣道」への宣戦布告の後に、激情に駆り立てられた部員達が我先にと雷蔵へと襲いかかった。

 しかし、その竹刀や木刀の打ち込みは終ぞ、雷蔵の道着に掠ることすらも叶わなかった。

 示現流の理念は、全身全霊の力を初太刀に注ぎ込むことにある。

「意地」と言われる気合いの全てもって振るい、後に来る反撃を一切考えず、唯只管に切りかかるのである。

 示現流が「二の太刀要らず」と呼称される所以がこれにある。

 神速の踏み込み、稲妻に準える太刀筋、そして殺意をも伴った気迫、相対する敵がこの何れをも上回ぬ限り示現流を肉体と魂に刻んだ雷蔵が打ち負ける道理もない。

 十五人もいる部員達も、三人が斬り伏せられたときにはもう、その技量と気迫に萎縮してしまい、一部は蝋に塗り固められたのごとく硬直していた。

 しかし、今まで散々蔑み、見下してきた相手に勝負を投げ出すわけにもいかず、誇りも矜持も何もかもをかなぐり捨てて部員達は雷蔵に特攻した。

 人海戦術は勿論のこと、ある者は猿叫に対抗するよう慟哭し、ある者は竹刀を投げつけ、ある者は組み伏せるために足元へと突進した。

 無論、その一切は徒労に終わり、一人残らず斬り伏せられた。

 十五人中残された最後の一人である副部長は自尊心を微塵に砕かれ茫然自失となった。

 逃げることも叶わずに経緯を見続けていた女子マネージャー三名はその惨劇のあまりの凄惨さに失禁した。

 最後の一人を切り捨てようと、じりじりと間合いを詰めていた雷蔵は剣道部顧問の怒号によって我に返る。

 周囲を見回すと、騒ぎを聞きつけた大勢の野次馬が剣道場で勃発した大乱闘を見物していた。

 多種多様のスポーツのユニフォームに身を包んだ生徒達が、困惑と軽蔑と憐憫を含んだ視線を向けてくる。


「こうして人はドロップアウトするんだな……」


 誰かがそう呟いた。

 その言葉に剣道家達から向けられたあらゆる剣戟よりも深い衝撃を受け、雷蔵は竹刀を取りこぼした。

 瞬間、屈強な体育教師達によって彼は組み伏せられた。


 ☆☆☆


 剣道場で起こった出来事の後、雷蔵の記憶は朧げであった。

 教師達の怒鳴り声をぼんやりとした頭で聞き流し、飛んできた両親と共に土下座していた気もする。

 初めて父親に殴られた気もする。

 何やら母親が泣いていた気もする。

 しかし、心に満ちるのは今までに築き上げてきた功績を打ち壊してしまった後悔ではなく、絶望的な虚無である。

 生前、敬愛する祖父は口を酸っぱくして以下のように語っていた。


「示現の心得、曰く『刀は抜くべからざるもの』。即ち、迂闊に示現の剣を見せびらかし、無益な闘争を生む事は避けるべし。御祖父ちゃんとの約束也」


 厳格な祖父の視線が宛ら昨日の事のように想い浮かぶ。

 雷蔵にとっての剣の師であり、人生哲学をも教え給わった師でもある祖父は、死後においても彼にとって最も影響力を持つ人物である。

「剣道」で頂点を極めた名門剣道部員達は若気の至りもあり傲慢であった。

 雷蔵が語った古流剣術の尊さを一笑に付し、現代剣道の技術の合理性の優秀さを主張したのだ。

 しかし、彼とてその程度の悪言で感情を露わにするほど軟な鍛錬を積んできた訳ではない。

 雷蔵の神経を逆撫でたのは、敬愛する祖父に対する侮辱であった。


「ボケ老人の妄言に踊らされんなよ、現代人」


 故に、示現流でもって斬り伏せた。

 雷蔵は己が矜持を貫き通したと胸を張って主張できる。

 しかし、結果的には祖父の言葉に反する行動を取ってしまったのもまだ事実。

 加えて、退学になっては名門高校まで進学させてくれた両親にも申し訳が立たない。

 雷蔵は人生という「道」の中で立ち往生しているような心境であった。

 虚無に支配された心でぼんやりと夕日を見つめ、やがてそのような心を滅却すべく重い腰を上げ、日課である鍛錬に勤しんだ。


「とりあえず、稽古をしなければ。これからのことを考えるのはその後でもいい……」


 ☆☆☆


『立木打ち』

 示現流に伝わりし、苦行にも喩えられる基本稽古である。

 地に立てた丸太を「蜻蛉の構え」(利腕上段に垂直の構え)から、袈裟斬りの形で右より左より気迫を込めて打ち込む。

 通常の木刀の強度では耐え切れぬほど苛烈であるために、雷蔵は祖父が鹿児島より取り寄せた特注のユス(柞)の木刀を用いている。

 示現の流祖である東郷重位は朝に三千回、夕に八千回という言語に絶する苦行を乗り越え神速の太刀筋をその身に宿したという。

 立木打ちを重ねることで、刃の太刀筋、握り、腰の座り、そして何よりも気迫を練り上げる。

 雷蔵が誇る神速の太刀筋は、朝夕共に七つの頃から稽古を一日も欠かさず継続し身に付けたものである。


「キェェェェェェェェェェェェェェッッッッ!!!」


 人の背丈ほどもある樫の木の丸太を雷蔵は打つ。

「猿叫」を轟かせ、四百匁(約1.5kg)もあるユスの木刀を精根尽き果てまで打ち込む。

 その打ち込みは腕力のみならず、肚の底より湧き出る「気」を刀に宿らせることを要とする。

 熟練の示現流剣士は一呼吸の間に三十の剣戟を打つことが出来ると言われているが、今日の雷蔵の打ち込みの速度はそれに届かんとしていた。

 頑丈な樫の木の丸太は抉れ、摩擦熱より煙が上がっている。


(……まだだ! まだ遅い! 御祖父ちゃんの太刀筋には到底追いついていない! 今日だ! 今日こそ『雲耀うんようの太刀』を手に入れるんだ! 何もかもを失った今ならば、剣に全てを捧げられるはずッ!!!)


 絶望的な虚無感を振り切るために、雷蔵は一心不乱に打ち込みを続けていた。

 常軌を逸した気合が全身より放たれ、周囲を舞い散る木の葉がその剣気に当てられ粉々に爆ぜた。

 十年にも及ぶ稽古の集大成とも言える集中力をここ一番に発揮した結果、雷蔵は新たなる扉を開く。

 打ち込みが五千を超えたその瞬間に、雷蔵の剣に「神秘」が宿った。


 ビガッッッ!


 と稲妻のような轟音と主に、樫の木の丸太は右袈裟より両断された。

 真剣どころかレーザーやウォータージェットによる切断面のように滑らかな面を見て、雷蔵は祖父の言葉を思い浮かべる。


 「脈が四回半、搏動する時を『一呼吸』と言う

 『一呼吸』を『分』とし、それを八つに割ったものを『秒』と呼ぶ

 『秒』を十に割り、『糸』、『糸』を十に割り、『忽』、『忽』を十に割り、『毫』、『毫』を十に割り、『厘』

 『厘』極まるとき、その太刀は『雲耀』となる

  これ即ち示現の奥義也」


 自顕流の極意とは、打ちこむ太刀の速度が「雲燿」、すなわち稲妻に達することにある。

 雷蔵は十年の歳月の修行を得て、示現の極意を会得した。


「……やったのか……俺は……極意を体得したのか……やったぞ、御祖父ちゃん。俺はやってのけたぞ!!!」


 途端に力が抜け、雷蔵は地べたに倒れ伏した。

 道場内は老朽化が進んでいるために、野外で鍛錬を行っていた雷蔵は黄昏の空を仰向けに見上げた。

「雲燿の太刀」の影響が残っているのか、ぎゃあぎゃあと煩く森の野鳥が騒いでいる。

 木々の間を飛び回る野鳥を何気なく見つめていた瞬間、小さな体に銀色の影が貫通した。

 重力に従い落下するその亡骸に両の手で受け止め、雷蔵は怪訝な顔で観察した。


(今のは一体……銃声は聞こえなかった……まさかこんな小さな椋鳥ムクドリを矢で射抜いたというのか……?)


 亡骸に刻まれた巨大な風穴を見て、雷蔵は確信する。

 弓術の奥義の限りを尽くして、野鳥コレを射殺した者がいると。

 ガサッと草むらを掻き分ける音が聞こえ、雷蔵が目を向けると、其処には一人の物憂げな少女が居た。


「それは私の獲物です。返していただけますか?」


 剣術に打ち込む現代の示現流剣士、鵜狩雷蔵と

 弓術に取り憑かれた少女、花桐白羽はなぎりしらはとの運命的な出会いであった。

ヒロインの登場です

もう少しで異世界に行きます

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