鵜狩雷蔵
プロローグにあたる部分になります
「脈が四回半、搏動する時を『一呼吸』
『一呼吸』を『分』とし、それを八つに割ったものを『秒』と呼ぶ
『秒』を十に割り、『糸』
『糸』を十に割り、『忽』
『忽』を十に割り、『毫』
『毫』を十に割り、『厘』
『厘』極まるとき、『雲耀』となる」
☆☆☆
『ジゲン』という言葉を頭に思い浮かべたとき、人は何を連想するだろう。
三次元、異次元などの空間の広がりを表す『次元』を思いつく人が大多数だろうか。
学生であれば、学校の授業時間を表す『時限』を連想するのかもしれない。
はたまた、大泥棒の相棒であるガンマンが浮かび上がるかもしれない。
剣の道を歩む青年、鵜狩雷蔵はそのどれにも当てはまらなかった。
『示現』流。
薩摩の豪傑、東郷重位を流祖とする薩摩藩御留流剣術を雷蔵は連想するだろう。
七つの歳に出会って以来、厳格な祖父の元で鍛錬を積み続けた結果、示現流は彼の血肉となった。
鍛錬を通して得た強靭な肉体、身体の運用法、そして克己の精神は彼を大いに成長させた。
結果、雷蔵は剣道において優秀な成績を修め、スポーツ名門校の推薦枠をも勝ち取らせた。
しかしながら、雷蔵は永らく違和感を覚えていた。
示現流はあくまでも古流剣術。
すなわち、人を殺傷する殺人術。
心と身体を鍛え、稽古を通じて人間形成を目指す「道」の理念とは相容れないことは自明の理であると彼は常々感じていた。
「祖父より受け継がれた『剣術』を試したい」
ある日、ふとそんな考えが雷蔵の頭を過ったとて、不思議ではない。
☆☆☆
「キェェェェェェェェェェェェェェィィィィッ!!!」
大気を揺るがす怒号が剣道場に轟く。
「猿叫」と呼ばれる示現流特有の掛け声は、常軌を逸した気迫をぶつけることで敵を萎縮させる効力を持つ。
小心者ならばショック死をも起こせるやもしれぬと錯覚させるほどの裂帛を受け、相対する選手は勿論、その場で試合を見守っていた全ての人間が硬直した。
「剣術」を行使すると腹に決めた雷蔵がそんな致命的な隙を見逃すはずもなく、一切の躊躇もなく斬り伏せた。
ドゴォン!という落雷の如き爆音と共に竹刀は叩き折られ、床にめり込むように対戦相手である剣道部部長は地に伏せていた。
「うわァァァァ!!!!」
「部長!? しっかりしてください!……嘘、意識が……!?」
「下手に動かしちゃ駄目だ! 頭を打っているかもしれない! こういうときは確か……」
「誰かぁ! 救急車ぁ! 救急車を呼べぇ!!!」
阿鼻叫喚となった剣道場のど真ん中で、雷蔵は激しい虚無感に襲われていた。
全日本剣道大会優勝者、すなわち日本における剣道に携わる男子高校生の中でも最強である部長を打ち倒したことに何も感慨も感じられなかったのである。
「鵜狩ィ!!! テメェ、頭湧いてんのかぁ!? 練習試合で何してやがるんだよぉ!!!」
呆けたように突っ立ていた雷蔵に憤怒の形相の副部長が詰め寄った。
面と手ぬぐいを脱ぎながら、雷蔵は凛とした視線で迫る副部長に視線を向けた。
「『示現流でも何でも使いやがれよ、自称古流剣術伝承者(笑)』と部長は仰っていました。したがって、自分は『剣術』を使用する許可をいただいたと認識しております。その結果、実力及ばず倒れたとて、それは自己責任かと」
「自己責任だぁ!? ブチ殺すぞ、キモオタがよぉ!? ジゲンだが何だか知らねぇが、『剣道』のルールを守りやがれってんだよ!!!」
「しかしながら、自分は『剣術』を使うと宣言し、相手の了承を得て、その上で試合に臨みました。自分が『剣道』の規則に縛られる理由はないかと」
「馬鹿かテメェは!? ルール上はテメェの反則負けだなんだよ! 故意に負傷させる行為が認められるわけねぇだろうが!!!」
「存じ上げています。『剣道』においては反則に値する行為であれど、『剣術』においては敵を斬り伏せることが唯一無二の勝利条件なのです」
「……もういい……鵜狩、テメェは二度と剣道部に来るんじゃねぇ。勿論、このことは学校側に報告させてもらうからな」
「了解です」
何の未練もないように雷蔵は小手と銅と垂を脱ぎ捨てて、スタスタと剣道場の出入口へと歩いていく。
恐怖と困惑、そして怒気と憎悪を孕んだ視線を一身に受けながら、雷蔵は去っていく。
やがて、下駄箱へとたどり着いたとき、その場にいる人間を見回すように振り向き、発言した。
「散々馬鹿にしていた古流剣術に敗北した気分はどうだ? 剣道家諸君、自称古流剣術伝承者は何時でも何処でも相手になるぞ」
これは……
溜まりに貯まった鬱憤を晴らすために精一杯の皮肉を込めて放たれた、今まで見下され続けてきた剣道部員達に対する宣戦布告であった。
しーん、と数秒ほど剣道場は静まり返り、やがて激情を露わにした部員達の咆哮が響いた。
「奴をここから帰すなァ!!!」
雷蔵は竹刀を握りしめ、示現流における唯一無二の構え、「蜻蛉」を取り、不敵に笑った。