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じわり、滲むは甘い苦しみ

作者:

 ふわり、と鼻をくすぐる香りに、知らず胸が高鳴る。それは淡い恋の始まりのようでも、微かな希望に対する期待のようでもあった。

 けれどもそれは一瞬のこと。すぐさま周りの濁った空気に霧散され、僅かな名残すら与えぬまま忽然と消えていく。そのたびに、わたしは暗く深い穴に突き落とされたような絶望を覚えるのだ。

 空っぽでつまらない現実を突き付けられ、慌てて我に返るわたしの姿は、なんと滑稽で無様なことか。わたしがもし当事者でなく、何も知らない傍観者であるとするならば、確実に笑い転げているに違いない。

 この心に今も宿る残骸は、傍からしてみれば至極くだらない類のものであろう。それこそ、馬鹿馬鹿しいと一息に笑い飛ばしてしまうくらい。

 それなりにしあわせだった、あの頃に囚われたままのわたし。ちょっとした過去の面影をちらりと目にしただけで、とくり、と甘く胸を高鳴らせ……何度も裏切られ続けてきたにもかかわらず、少しも学習することなくまた愚かな期待を抱く。

 ――もちろんあの人が、こんなところにいるはずなどない。偶然の再会なんて、そんな少しの希望もない。

 懐かしくも胸を切なく引き絞る、あの香りを身に纏い微笑んでいたあの人には、もう二度と会えない。

 そう、分かっていても……。

 それでも、心のどこかで願わずにはいられないのだから、なおさら笑止千万、本当に可笑しな喜劇である。

 ただ淡く、優しく、穏やかで……それなのに、これまで生きてきた中で一番強烈で、あれから幾度季節を巡った今でも打ち消すことのできない、唯一の想い。

 そんな初めての感情を、わたしに植え付けたあの人。

 想いを伝えることは終ぞないまま、わたしはあの人と――あの頃の想い出と、決別せざるを得なくなった。

 自分の選択を、後悔しているわけじゃない。あの時あぁしていれば……なんて考えても今更遅いけれど、別の選択を取っていたところで、結局最終的に辿り着く場所は一緒だった。

 どのみちあの人に心を寄せた、あの時点で既に決まっていたのだろう。いずれこの苦しみと向かい合うことになるという、どの方向にも捻じ曲げようのない悲しい運命が。

 つまりわたしの敗北は、初めから決まっていたということだ。

 そうして負けを認めたわたしは、今も変わらぬ苦しみ――それは一種の罰のようでもある――を、甘んじて受け続ける。

 行き場のないあの頃の想いを完全に消すことなどできないまま、今日も心の奥底でしつこく燻らせるのだ。

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