5.持つべきものは箒じゃなく
「……はぁ」
放課後には、親の敵のように降っていた雨もすっかり止み、雲の隙間から顔を出した夕日が人の少ない教室を赤く照らす。
「……はぁ」
何度吐いたか分からないため息と共に、俺は俺を含め四人しかいない教室に残っていた。
部室に行くのが嫌で教室に残っているのではない。幸か不幸か、今日は掃除当番なのだ。
箒で、教室の隅まで念入りに掃く。他の掃除当番の生徒が早く帰ろうと形だけの掃除をする中、まるでそれが天から与えられた使命だと言わんばかりに床を掃く俺は、さぞ浮いていることだろう。
だから俺は三人に言った。
「後は俺がやっておくから、もう帰っていいぞ」
その言葉を聞いた二人の女子生徒は足早に教室を出て行き、残った男子生徒(中学校が同じだったから、特別仲がいい)は怪訝そうな顔を浮かべて俺に近付いてきて言った。
「今日のラッキーアイテム、箒なのか?」
「違う。しかし仮にそうだったとしたら、掃除なんかしないで一日中箒を抱えてるよ」
まぁ、そんなことはしないが。どこの魔法使いだよ。
俺の冗談に苦笑しつつ、男子生徒(名前は黒井)は箒を壁に立て掛け、考える仕草をした。
「じゃあ……あれか。読書部の珍しく幽霊部員じゃない部員と喧嘩した、とかか? でも、それならすぐ帰るよな」
「読書部員の普通が幽霊部員みたいな前提で話すな」
全く人聞きの悪い。
「で、幽霊部の幽霊部員じゃない部員となんかあったの?」
「いつの間にか部名が変わってるぞ。それだと、正規の部員が幽霊部員みたいじゃないか」
俺も箒を壁に立て掛けた。別の時間稼ぎが出来たから、もう掃除をする必要はない。
「名前なんだっけ? 一年だよな。確か」
「季野」
「女だよな。確か」黒井は遠い目をして言った。
「あぁ」
「……女と密室で二人っきり。何もないわけないよな!」
勢いよく親指を突き立てる黒井。ノリノリだな。
「密室って言うな。部室だ。それに女とも言うな。女子だ」
こう言い換えたら普通のことみたいだ。『女子と部室で二人っきり』 ほら、たまにあるシーンに早変わり。
「女子のほうがもえるな!」
「知るか。お前の性癖は知らん」
もえるってどっちかにもよるしな。燃えるか、萌える。
「まぁ、とある事情があって、部室に行きづらい。せめて心の整理がつくまでは」
なんて言って、整理がつくのはいつになるのか。
「何、告白でもされたか?」
「それはない」
俺は即答した。黒井のにやけ顔に腹が立つ。
「そういえば数学のとき、すごい携帯鳴ってたじゃん。しつこく愛の告白でもされたんじゃないのか?」
愛の告白というか、恋の告白だ。いや、恋愛だから両方か?
しかし、俺に告白したという黒井の予想は、全くもって的外れだ。
普通の感性を持っている人なら、好きな相手に恋愛相談を持ちかけはしまい。……あれ?季野って普通の感性の持ち主なのか?異常としか思えないんだが……。
「季野から来たメールは二通だけだ。他は違う人」
「二通も来たのか!」
しまった! 逆効果だ。
これは正直に話したほうが良さそうだ。幸いにも目の前の男、黒井はモテる。恋愛の話は得意と見るから、何かアドバイスしてくれるかもしれない。
「あぁ、二通来た。それも立て続けに」
覚悟を決めたら、なんだか堂々としてきた。
しかし黒井はここぞとばかりに茶化しにくる。
「立て続け! きっと、『私は先輩が好きなんです!』あぁ! そんな言葉だけじゃ伝わらない!『いつも先輩のことを想っています。先輩! この燃え上がる気持ちを受け取って! そして、私と一緒に愛の炎を燃やしましょう!』とか書いてあったろ!」
……すごい。さすが恋愛のプロだ。即興でここまで出てくるとは。
しかし残念ながら、俺に来たメールはそんなに情熱的ではない!
俺は無言で携帯を取りだし、季野から来た一通目のメールを黒井に見せた。
「これが実物だ」
「これは……相談?」
黒井は明らかにテンションが下がっていた。
「愛の告白じゃねぇじゃん!」
「まぁ待て」
俺は今にも掴みかかってきそうな黒井をなだめ、二通目のメールを見せる。
「二通目だ」
「……恋愛相談。好きな人でもいるのか? その一年」
黒井は落ち着いてきた。自分がしたかった恋愛の話になったが、少し毛色が違ったので困惑しているといった様子だった。
「俺とそんな話は一度もしてないんだ。だから余計、気持ち悪い」
俺の心中とは裏腹に、黒井はあっさりと言った。
「別に、普通に行けばいいじゃんか。下級生が上級生に恋愛相談。普通だろ。異性だからって、変に気負わなくていいと思うけどな。年長者の余裕ってのを心に持っとけよ。向こうもそれを望んでると思うぜ。人生の先輩からの、年上ならではのアドバイスを」
黒井はそう言うと、箒を掃除用具入れに戻し、俺の肩を叩いた。
「その一年、部室で待ってんだろ? 早く行ってやれよ」
かっけぇ、黒井! いや、黒井さん! 尊敬するっす!
「黒井、サンキューな。恋のキューピッド役に徹してくるよ」
「まぁアドバイスしてる内に好きになっちゃうってのは、よくある話だけどな」
「…………」
俺は颯爽と帰っていく黒井を見送ってから、箒をしまった。
よし、行くか。後輩が、相談があると言っているんだ。それが自分の不得意なジャンルであろうとも、親身になってやるのが先輩だろう。
そう意気込んだが、部室へ向かう途中、さっきのは嘘です、なんてメールが来ないかと期待してしまっている辺り、やはりまだ黒井のようにはいかない、と思うのだった。