2.部員、約二名
市立花川高校。市内トップの偏差値を誇るこの高校の中庭には、天使の噴水と呼ばれる噴水がある。
名前の由来は噴水の四隅に天使が据えられているところから来ている。四人の天使は、それぞれが別の表情を浮かべている。
北の方角の天使は喜びを、東の天使は怒りを、南の天使は哀しみを、西の天使は楽しさを、それぞれ司っている。
つまり、喜怒哀楽。人間の基本的な感情。
――怒りや哀しみも、人間にとっては基本的な感情。それを押し殺したりせず、喜びや楽しさと同じくらい大事にしてほしい、というのが、設計者の意図らしい。
しかしそんな意図に気付いている生徒が、いったいこの学校に何人いるのだろうか。
何しろ、この学校に通うこと三年目の俺が知ったのが、つい先日のことなのだ。それくらい、高校生にとって噴水の装飾の由来など、どうでもいいことなのだ。
何となくその話をしたら、しかし、目の前の女生徒は知っていた。俺の目の前で、無表情で本を読んでいる一年生、季野涼子は知っていた。
彼女が読んでいるのはミステリーだった。題名は「聖女裁判」。俺が貸した本だ。
俺が読んだのはかなり前なので内容はうろ覚えだが、確か、善行ばかり行っていた女達が次々と誘拐される話だったと思う。
ふと、季野が本から顔を上げ、俺に訊いた。
「先輩は、犯人わかりましたか?」
季野の指は、ページの中程に掛かっている。
「いや、わからなかった。というか、……いや、何でもない」
危うくネタバレするところだった。確か犯人なんていなかった。誘拐は、女達の自作自演だったはず。理由は忘れたが。
「…なるほど。犯人がいないパターンですか。それとも、そもそも事件ではないとか」
一人、うんうんと頷く季野。
「自分で確認したほうが面白くないか?」
「先輩を揺さぶるほうが面白いです」
なんと。俺が揺さぶられるだけで、小説の面白さに勝ってしまうのか。
「それは光栄だな。俺で楽しんでくれて」
「静かにしてくれますか。私、本を読んでいるんです」
「…………」
なるほど。では静かにするとするか。カバンから文庫本を取り出す。
放課後。校舎の一階の隅にある教室で、俺と季野はそれぞれ持参した本を読んでいた。
三年生の俺と、一年生の季野。普通なら交わることがない二人が、何の疑問も持たず、二人きりの教室で放課後を過ごしている。
それは、俺と季野が読書部だからだ。そして、普通の教室の半分ほどの広さしかないこの教室は、読書部の部室。
読書部はその名の通り、本を読むことが活動内容の部活だ。いや、本当はそれだけではないのだが、最近は読書しかしていないので、あながち間違っていない。
花川高校の生徒は、何か一つ部活に籍を置かなければいけない。この、籍を置かなければ、というのがミソで、積極的に参加しなくてもいいということを表している。
いわゆる幽霊部員でも構わない、という意味だ。じゃあ部活に入る意味がないじゃないか、なんてことを言う人がいるかもしれないが、それは学校側に言ってほしい。ちなみに俺の見解は、部活動が盛んな学校として見られたいから、だと思う。
幽霊部員は、月に一度の予算報告会の日と、年に一度、九月に行われる文化祭の日だけ部員の一員として活動すれば、そのほかは来なくてもいいことになっている。あと、三年生は受験を理由に、部活に入らなくてもいいことになっている。
読書部にも幽霊部員がいる。一年生に二人と、二年生に一人。今は六月。まだ二回しか顔を合わせていないため、一年生の名前はおぼろげだが、確か二人とも男。二年生は女だ。名前は澤野。
澤野は最初の半年こそよく来ていたが、日が経つにつれ部室に来る頻度が減り、一年が経つ頃には全く来なくなった。したがって、澤野と季野は面識がほとんどない。
季野が入部してきた時も、長くは続かないだろうと高を括っていたが、現在に至るまで、学校がある日はほぼ毎日部室に来ている。
しかし、ほぼ毎日顔を合わせている俺達だが、学校外で会ったことは一度もない。あくまで部室内、広くて学校内で完結している関係なのだ。
「…………」
すっかり見慣れた無表情で、季野は小説に没頭している。
俺は椅子の背もたれに寄りかかると、SFの世界へと旅立った。