人生最悪の日 - 二
俺はひたすら浩輔の後をついていく。何せ初めての土地で、右も左も全く分からない。ましてや浩輔の彼女の家など全く知らないのだ。だが、とりあえず電車賃さえ手に入れば家に帰れる…その思いだけで渋々浩輔の後を歩いていた。しかし、そんな思いも向かう途中ではすっかり忘れ、浩輔と他愛もない雑談をしながら歩いていた。すると、浩輔が突然立ち止まった。ふと周りを見渡すと、そこにはカラオケボックスがあった。すると浩輔が突然、
「ちょっとここで待とうぜ。」
と俺に言ってきた。俺は察知した。さすがに彼女の実家で金を借りるって訳にもいかないので、ここで待合せる事にしたんだな。なるほど、なるほど。全てを悟った俺は、とりあえず、
「わかった。」
と返事をした。
さすがに商店街のど真ん中とあってか、沢山の人が、俺達の目の前を通り過ぎていく。浩輔の彼女を待つ間、俺たち二人は実りのない会話を続けていた。暫くすると、遠くから二人組の女子が歩いてきた。と言っても、俺からしたら、ただの通行人Aと通行人Bである。俺は、そんな二人には気にも留めず、浩輔と話を続けていた。しかし、その通行人AとBは、こちらを窺いながら歩み寄って来る。なんだ?カラオケにでも入るのか?そんな目でチラチラと二人の方を見ていると、俺の視線が気になったのか、浩輔も同じ方向を見た。
すると浩輔は突然、
「おーっ!」
と喜びながら、その二人に向かって手を振り出した。すると、こちらの様子を窺いながら歩み寄ってきていた二人も、一人が浩輔だと分かったのか、
「あーっ、久しぶりーっ!」
と言いながら、駆け寄ってきた。しかし、どう見ても浩輔の彼女ではない。いつもの事ではあるが、目の前の状況が全く理解できなかった。俺は今の状況を浩輔に説明させようと試みるが、その隙を全く与える事もなく、浩輔と通行人との会話が始まった。
「浩輔君久しぶりー。元気だった?」
「当ったり前よー。俺が元気じゃないわけないじゃん。純も元気だったか?」
なるほど、名前は純と言うのか。理解した。俺の中で、通行人Aは『純』へと昇格した。
「私?私も元気だったよー。でもビックリしたー、まさか浩輔君から今日連絡が来るなんて思ってなかったからぁ。」
何?待て、待て。浩輔は彼女に連絡したんじゃなかったのか?すると浩輔はすかさず、
「今日、たまたまこっちの方まで遊びに来ててさぁ。『純、どうしてるかなぁ?会いたいなぁ。』って思って連絡したんだよねー。」
オイッ、さらっと嘘をつくな。そもそもそんな予定、俺等の中になかっただろう。しかしそんな思いもよそに、馬鹿そうな会話は更に続く。
「えーっ、ホント~!嬉しいぃ~。今日はたまたま茜と二人で買い物に来ててぇ。そしたら突然携帯に公衆電話から着信あったから、なんだろう?って思って出たら浩輔君だったからぁ。ホントにびっくりしたよぉ。」
どうでもいいが、この純って子の話し方がどうも鼻につく。そして、通行人Bが『茜』であることも理解した。だがこれも、今の俺にとってはどうでもいい。まずはこの状況を説明してほしい。そう思い浩輔の肩を掴み、
「あのさ…。」
と話しかけると、この純という女が間髪を容れずに、
「立ち話もなんだからさぁ、取敢えずカラオケ入ろうよぉ~。」
などと言い、空気も読まずに友達を連れて店の中へと入っていった。それに釣られてか、浩輔も何事も無かったかのように、中へと入っていこうとする。俺は、この無神経な奴の肩を強引に引き寄せた。そして、
「おい浩輔、何お前中に入っていこうとしてんだよ。お前も俺も金持ってねーのにカラオケなんか行けるわけないだろう!こんな事、小学生でもわかるぞ?どーすんだよっ!」
俺がそう言うと、浩輔は不敵な笑みを浮かべ、
「大丈夫。全部話はつけてあるから。」
と言い放ち、二人の後を追っていった。全く以て納得がいかない。できる事なら一分一秒でも早くこの場を立ち去りたい。しかし、浩輔になけなしの百円を貸したばっかりにこうなってしまった…。俺は自分の不甲斐無さを噛みしめながら、三人の後を追う事にした。
部屋に入り、席に着くと、やっとそれぞれの自己紹介が始まった。浩輔は相変わらず、俺を落とすような紹介をする。まぁ、こんなことは日常茶飯事になりつつあったので、俺は何とも思わなくなっていた。それよりも今の状況が全く説明されないことに、俺は終始不貞腐れていた。しかし周りは俺が不貞腐れている事など気にも留めずにカラオケを楽しんでいた。
「浩輔君、歌、超うまぁ~い!」
「いやぁ~ん、浩輔君、カッコイイ~!」
なんとも耳障りな声が、俺の耳を度々襲ってくる。その声が聞こえる毎に、俺の機嫌はどんどん悪くなっていく。あっ、決して誤解しないで頂きたいのは、浩輔が終始チヤホヤされているのを羨ましく思っている訳ではない。こういう空気の読めないタイプの女性が大嫌いなのだ。
俺が煙草を吹かしながら不機嫌そうに座っていると、茜という子が俺に話しかけてきた。
「晃君は歌わないんですか?」
この子は純って子と違って至って普通な感じだ。折角話しかけてきてくれたのを無碍に断るのも悪いので、
「うん。俺、あんまりこういうノリ得意じゃないから。」
と、やんわりと断った。一瞬茜は残念そうな顔をしたが、またポツリと、
「実は私もこういうのあんまり得意じゃないんです。」
と、苦笑いをしながら答えた。そして、
「じゃぁ、苦手な者同士少しお話でもしませんか?」
と言ってきた。普通に話す分には俺も特に問題はない。だいぶ今さら感はあるが、俺はその子と他愛もない話を始めた。話を聞くと、純と茜は昔からの幼馴染みらしいのだが、高校になってそれぞれ違う高校に進学したため、今日会うのは久しぶりの事だったらしい。
茜は純と会うのを凄く楽しみにしていたらしいのだが、まさかこんな事になるとは思ってもいなかったと。
そりゃそうだ。俺だってこんな事になるとは微塵も思っていなかったのだから。なんとも申し訳ない。
「なんか、本当にごめんね。せっかく楽しみにしてたのに、うちの奴が邪魔しちゃって…。」
「全然大丈夫…って言ったら嘘になるけど、でもこうやって新しい人と知り合うのも、今は悪くないかって思ってます。」
「そっか。そう言ってくれると助かるわ。」
隣では、相変わらず間抜けな二人が人目も憚らずイチャイチャしている。俺達はと言うと、それぞれの学校の話や部活の話など、純粋な高校生活の話で盛り上がっていた。
暫く話をしていると、茜がカラオケのリモコンを持ち出し俺に差し出した。
「せっかくだから、一曲ぐらい歌いませんか?」
「えっ?」
俺は驚いた。ついさっきまで、こういうノリはあまり好きではないと言っていたはずなのだが。俺は疑問に思い、
「どうしたの、急に?こういうの好きじゃないんだろ?」
と問いかけた。すると茜は、
「んー、あまり好きじゃないけどさっきからあの二人ばっかり歌ってるし、正直飽きちゃったなって。せっかくだし、一曲歌いません?」
と返してきた。うーん、なんとも気が乗らない。しかし、浩輔と純の二人の遣り取りを見ているのも、俺も正直飽きてきた。勧めてくれたのを無理に断るのも気が引けるので、俺は一曲歌うことにした。リモコンを手に取り、あれこれ悩みながら選曲する。やっと決まった一曲を、リモコンで入力する。それと同時に、ちゃんと入ったかどうかを確認する。すると画面には、『五曲目…。』の文字が表示される。その瞬間、俺と茜は同時に顔を見合わせ、『やれやれ…。』と言わんばかりの表情を互いに浮かべた。
三十分程待っただろうか。漸く俺の順番が回ってきた。イントロが流れ始める。俺がマイクを手に取ると、浩輔ではないと分かった途端に純が席を立ち、部屋を出た。何とも分かり易い。俺の事は全く以て『アウト・オブ・眼中』ってわけだ。それはそれで有難い。そんな事は構わず、俺は歌い出す。
曲の一番を歌い終えた頃だっただろうか。浩輔も突然席を立ち、部屋を出て行った。これもなんとなく想像はついていた。歌っている途中、横目で浩輔を見ていたが、すぐさまの欠伸の連発。他人には全く興味のない利己主義者だ。いや、ここでは『利己主義者達』と言っておこう。
俺が曲を歌い終えると、茜は律儀に拍手をくれた。しかし、その拍手がなんとも空しい。暫くすると、直ぐに次の曲が流れ始めた。俺と茜は顔を見合わせた。
「あの純って子、なかなか戻って来ないな。」
「そうだね。多分お手洗いだとは思うんだけど。」
俺と茜は、流れる曲そのままに、暫く待つ事にした。曲の中盤に差し掛かったが、純はまだ戻って来ない。部屋の中で只々悩む二人。戻ってくる気配も無いので、とりあえずリモコンの停止ボタンを押して、曲を止めた。
数秒待つと、次に浩輔が選曲した曲が流れてくる。俺と茜は更にそのまま待つ。しかし、こちらも帰ってくる気配が一向に感じられない。俺は再びリモコンの停止ボタンを押した。
「あの二人、全然戻って来ないね。」
「そう…ですね。どこに行ったんだろ?」
「俺、見て来るからちょっと待ってて。」
俺はそう言い残し、一旦部屋の外へと出た。そして、二人の行方を捜す。フロントに行くが、二人の姿は見当たらない。外に出て辺りを見渡すが、近しい所に二人の姿は無い。
『まさか、アイツ等…。』
俺は二人とで行方を晦ましたのではないか、そんな事を考えながら部屋へと戻る。部屋に戻ると茜が、
「二人、見つかりました?」
と訊いてきた。俺は静かに首を左右に振った。しかし茜はそんな俺を見ても、心配そうな顔一つせず、微笑みながら座っていた。俺は不思議に思い、
「アイツらいなかったんだよ?」
と問いかけると茜は、
「大丈夫ですよ。だって純、荷物置いて行ってるんで。」
と笑顔で答えた。俺は唖然とした。しかし、それと同時に、茜も流石に純って子の扱いには相当慣れている事を理解した。そして茜は、
「時間が勿体ないんで楽しみましょう!」
と珍しく茜も自ら曲を入れ出した。それから俺達は、出て行った二人の事などすっかり忘れ、カラオケを楽しんだ。
それから三十分程経った頃だろうか。部屋に備え付けられているインターホンから終了間近の連絡が入った。するとその数十秒後、浩輔が部屋に戻ってきた。戻ってきた浩輔は、席に座るが、何故かソワソワしている。曲が流れていても、『心ここにあらず』といった感じだ。それから間もなくして、純が戻ってきた。純はこれといって変わった雰囲気ではなかったが、心做しか表情が艶っぽくなっている気がした。全員が揃うと突然浩輔が、
「もうそろそろ時間だろ?ぼちぼち出ようぜ。」
と自分から言い出した。普段であれば浩輔が最後の最後まで歌い、店員に催促されるまで部屋を出ないのだが。その浩輔が自分から?何か怪しい…。そう思いながらも俺達は部屋を出た。
部屋を出たのはいいが、そもそも俺等は金がない。支払いの事が気になり、俺は前を歩く浩輔の肩を叩いた。浩輔が振り向くと俺は小声で、
「オイ、ここの金どうすんだよ?」
と囁いた。すると浩輔は、
「大丈夫。話はつけてあるって言っただろ?安心しろ。」
と返してきた。
受付に着くと、純と茜が支払いをしている。浩輔はというと、そんな二人に目もくれず、颯爽と二人の後ろを通過していった。それを目の当たりにした俺は、慌てて浩輔の後を追った。
店の外に出ると、浩輔は部屋にいた時同様何かソワソワしている。そんな浩輔に対して俺は、
「浩輔!これは一体どういう事なんだよ!」
と問い詰めた。すると浩輔は、
「だぁーかーらぁー、話はつけてあるって言っただろう?あいつ等が払ってくれる事になってんだよ。時間も潰せてよかっただろ?」
と言い返してきた。それを聞いて俺は、
「よかっただろ?じゃねーよ!突然呼びつけてカラオケ行って、その上金まで払わせて。お前、何考えてんだよ!」
いつもの調子で浩輔を怒鳴りつけていると、純と茜が店から出てきた。それに気がついた浩輔は、サッと純の方へと近づいて行った。そして、
「純、今日はありがとな。楽しかったよ。また今度遊ぼうな。」
と声をかけた。すると純は、俯きながら恥ずかし気に、
「私も楽しかった。今度は二人っきりで遊ぼうね。」
と浩輔に返した。それとは裏腹に、後ろで茜が訝しげな表情で浩輔を見つめていた。間もなくして、俺の視線に気がついたのか、茜は俺にも視線を向けた。しかし、その訝しい表情は変わることは無かった。その表情を見て俺は、純と茜の間で何かがあった事を察した。それと同時に俺は両手を前で合わせて頭を下げ、ジェスチャーだけで『ゴメン!』と謝った。その後少し話をして俺達は別れた。
二人と別れた後、浩輔は急ぎ足で歩き出した。俺も、浩輔を追うようにして歩き出した。俺は歩きながらも、別れ際の茜の表情が気になって仕方がなかった。俺は、その原因が何だったのかを知りたくなり、浩輔に話しかけた。
「なぁ、浩輔。純とお前、後半全然部屋に戻って来なかったけど何してたんだよ?」
「なんだよ、突然。なんでそんな事聞くんだよ?」
「なんでって。そりゃ、あれだよ。お前等がいない間、俺は茜って子と普通に話してたんだけど、店から出てきたら、スゲー怪しそうな表情でお前を見てたんだよ。」
「それで?」
「それだけならまだしも、俺まで同じように怪しい目で見てきてさぁ。」
すると、浩輔から予想だにしない返事が返ってきた。
「そんなの俺は知らねーよ。ただ、俺達は外でちょっとイチャイチャしてただけだよ。」
「なっっ!」
俺は絶句した。浩輔は続けて、
「前会った時にさぁ、なんか俺、アイツに妙に好かれちゃってさぁ。たまたま近くだったから、連絡したら来るかなー?って思ったら本当に来てさぁ。『金無いからカラオケ奢って!』って聞いたらフツーに『いいよっ。』て言うもんだから。」
「言うもんだからって…。」
「んで、トイレはホントたまたまだったんだ。トイレから出てきたら偶然バッタリ部屋に戻ろうとしてる順と出くわしてさぁ。そしたら純が、『二人でちょっと外出ようよ。』って言うもんだから。で、外でちょっとチュッチュしてたってわけ。」
とにやけ顔で答えた。それを聞いた俺は何も言えなかった。いや、何も言えなかったではない。正確には呆れ果てて言う気が失せたのだ。これ以降俺は一言も発すこと無く、只々浩輔の後をついて行った。
しかし、まだ腑に落ちない。確かにこの話を茜が純から聞いたのであれば、浩輔に対して怪訝そうな顔をするのは納得出来る。しかし、何故その表情を俺にも向けたのだろうか…。そうされる覚えが全く無い。きっと他に何か別の理由があるのでは…。そんな事を考えながら歩いていると、浩輔が、
「晃、まだ次があるんだから、サッサと行くぞ!」
と俺を急かし、浩輔は足を速めた。
「次があんのか?」
俺は浩輔に問いかけたが、その問いには聞く耳も持たず、足早に次の場所へと向かっていった。