第九話:秋山の自習
第九話
隣の席からペンが紙を走る音が聞こえてくる。淡々とした音で、聞いている者を睡眠の世界へと誘ってくれる睡魔の誘惑だ。
「自習中だろう?」
「しっ、うるさい」
自習中だと言うのにこの羽津学園とやらは一切騒いでいない。俺が以前いた学園では自習中はやいやいとうるさかった。今ではいい思い出だ。
「秋山何してんだ」
「小説書いてる」
「小説かぁ…ラノベって奴か?」
「違うから」
親の仇でも見るような目で見られた、何故だ。
すごく怒っているのかしらと思ったらそうでもないらしい。再び彼女は白紙にペンを走らせて微笑みを湛えたりしている。うん、怒ってはいないようだ。
「大まかなストーリーはどんな感じなんだよ。そのぐらいは教えてくれてもいいだろう?」
怒られないように小声で話しかけてみた。
ペンを止めて何やらメモ帳を眺めている。
「…十年前に通っていた学園に久しぶりにやってきた二人は思い出の部室へ向かう。すると、そこには死体が…」
「ミステリーか」
「ううん、ホラー。その後、警察に通報して部室に入るとそんな事はなかったの」
目の下にクマが出来ているのを見ると彼女のセリフに箔がついた。ホラーミステリーか、どんな感じなんだろう。
「へぇ、結論はどうなるのさ」
「それは秘密。まだここにあるから」
そういって秋山は自分の頭を叩いていた。
まだ構成中なのだろう。
「ああ、夜の学園に侵入したのはこれに生かされていたのか? それならまぁ、協力できたんだよな」
「うーん、あんまり」
「そこは嘘でもうんと言ってくれればよかったのに」
秋山は少しだけ笑ってまた執筆活動を再開させた。
「……」
彼女の真剣な横顔はかなり、いい。説明なんて出来ない代物なのだ。端的に言うのなら、魅入られる。
この表情を見られるのなら夜中に学園に侵入したのも良かった気がしてならない。
「ん? 別に俺が侵入しなくてもこの横顔は今日になれば見ることができたのか」
そう思うと何だか損した気分だ。何もしなくて得を得られるのならやっぱり、そっちの方がいいと思う。
「怠惰を枕にするのはやめた方がいいよ。怠惰は諦めとか妥協を生むから」
目の下にクマを作っている人が言うと説得力があった。
「でもさ、妥協しなかったらいつまでたっても小説なんて完成が見えないんじゃないの?いい文章にすれば、この表現をどうにかするんだ…とかさ」
澄みわたる青空を澄み切った蒼い空になどといったものか。
「他の人はどうかしらない。私は私の頭の中の妄想を文章にして他の人に伝えたいだけだから。これでご飯を食べて生きて行こうなんて思っていない、私の自己満足」
「ふーん? それでいいんだ?」
「自己満足だから誰かに読んでもらわなくてもいいの。小説をひとつ完成させるごとに満たされる気持ちは……多分、凄い快感だよ」
悦に入ったその表情はどこか一般人から逸しているみたいだった。
「あのさ」
「うん?」
「ううん、何でも無い。もう夜の学園なんかに呼び出されることは無いのかと思っただけだよ」
それはそれで残念だ。
それなりに楽しんでいたのも事実だったから悲しいものがある。
「したいの?」
「え?」
女子からしたいなんて言われたらちょっとだけドキッとするだろう?しないか。
「まぁ、ちょっとはね」
「ふーん、そっか」
秋山はしばらくの間ペンを置いて、何かを考えているようだった。
さすがに俺もこの雰囲気に流されて自習を始める。
漢字テストも近いうちにあるし、漢字でも覚えておくかな。
「うん、出来た」
薔薇の漢字を覚えたところで隣から声が上がる。
「書き終わったのか?」
「まぁ」
「それ、どうするんだ?」
「後でパソコンに打ち込んで見直すの。誤字とか脱字を」
彼女の話によると、文字を打ち込む時よりそっちの方が大変らしい。
てっきり、秋山から『呼んだ後に感想が……欲しいの』とでも言われるのかと思えばそんなことはなかった。
ちょっと残念だ。




