続9 別荘4
「兎月」
「何?」
「……ぎゅ」
「……」
「ぎゅー……」
「……」
「……って、して」
「……」
「しなさい」
「はいはい……」
「ん……」
なんてやり取りを小一時間しているが、なんかすごくないですか? こんなラブラブ臭えげつない会話やら抱擁をずっとしている。……うん、ちょっと昔を振り返ってみるけど、春日と俺って主従関係だったわけですよ。冷淡で理不尽な春日に振り回されるヘタレな俺、そんな二人が今となってはこうして恋人になってイチャラブモード全開でくっつきまくっているのだ。四月の頃には予想だにしなかった、つーか予想なんて出来るわけもないことが今起きているのです。ただの主人と下僕でしかなかった俺達が今となっては……そう考えると、しみじみ趣深いものを感じますなぁ。などと昔の思い出を味わいながらも今現在、過去最高レベルの幸福感を味わっている。いやぁ、春日との出会いに感謝。「アンタ、今日から私の下僕ね」なんて運命もクソもない最悪な出会いだったけど。
「そろそろ寝る?」
「……まだ」
「えー……」
現在、時刻は十一時前くらい。就寝時間にはまだ早いが、これ以上イチャイチャしていると俺の意識がヤバイ。いや今も十分にヤバイけど、さらに別のエンジンがかかってしまうとそれはさすがにマズイよね。不肖ながらもワタクシだって男なわけで、こちとら二人だけで宿泊が決定した段階でソワソワしまくりなんです。そこにアホの親友の的確だけど認めたくない後押しがあったり、こうやってずっ~とくっついていると……はっ!? いかん、いかんぞ俺! 道順を誤るな、こういうのは正しい順序を追って行うものでその場の流れに身を任せちゃいけないんだって。つまり理性を保てってことだよっ!
「……もっと」
「い、いやぁ、さすがにこれ以上は……もう寝ましょうよ、ね?」
「嫌」
「え、えー?」
なのに春日さんときたら、そんなことなんてお構いなしと言わんばかりに普段以上に、異常に、すっげー甘えてくる。今現在は、春日の髪の毛を拭き終わり、そこから春日が倒れてきて俺が後ろから抱き抱えているポジションを維持している。春日の全身を俺が胸部と両腕で受け止めて、そりゃもう密着なんて言葉を越えるレベルで二人の距離はゼロに等しい。その状態でソファーの上でイチャイチャと……これがずっと続くと、いくらヘタレな犬体質の俺でも目覚めるしまう劣情ってものがありまして……犬が狼になっちゃうよ!? って言いたいんですって。俺としては素早く就寝へと意識を落としたいのですが……
「……兎月」
「痛い痛い、なぜに首!?」
こちらの本心をくすぐるように春日のテンションはさらに上がっていく。寝たがる俺の名を不満げに呼んで頸部を掴んできた。なんで不満そうなんですか、早く寝ましょうよ。つーか後ろから抱き止めている俺の首を正確に掴むってどんだけの精度ですかおい! ぐぇ、喉が締まる……と思ったら、さほど痛いわけではなく、春日は俺の首を掴む手を自らの顔の近くに、俺の視点から見れば自分の喉元が春日の顔に持っていかれた。チラッと視界に入る春日の顔、そして……潤んだ唇、見れ隠れする綺麗に並んだ白い歯、そして蜜のような唾液で眩く光るルビー色の舌……そんな春日の口がゆっくりと小さく開いて……
「かぷっ」
「……」
「……ん」
「……」
「と、とひゅき……」
「ぐ……ぐ、ぐっ……」
ぐおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおっおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおっぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? あ、あははははははははっはははははははははははあぁぁぁぁぁぁんんんんっ! ゾクリと首元をなぞる生温かい濡れた感触と皮膚に食い込む謎の物体! い、今……な、何が……!?
「ぐ、ぐおおぉぉ!?」
春日が首元に噛みついてきた。まるでライオンが獲物を一撃で仕留めるかのように生物の弱点である頸動脈付近を噛んでいる。し、死ぬ……いや物理的じゃなくて精神的に。そりゃ当然の如く春日が人を食いちぎる程の顎の力を有しているわけなく、春日の噛みつきはむしろ弱々しく子猫がじゃれて甘噛みをするように弱くか弱く、それは心地好いと錯覚してしまうぐらい甘く淡く緩く、俺の意識を浸食していった。噛まれた首元から毒のように全身へと巡るみたいに、春日の愛情が体全体を満たしていく。い、いくううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?
「とひゅき」
「か、噛みつきながら名前呼ぶなよ」
「ん……」
名前を呼ぶのが難しいと思ったのか、話そうとせず離そうとしない春日。待て待て将也よ、ここで最後のタイムアウトを取ろう。いいから一刻も早く冷静になるんだ。瞬息する時間もかけるな、とにかく落ち着くんだ。じゃないと……もう身も心も持ちません! こちとら大至急で作ったボロ小屋みたいな理性の要塞なんだ。それを首に甘噛みだなんて核爆弾をぶつけられたら微塵もなく吹っ飛ぶわ。とりあえず状況を整理しよう。今日だけで何十回としてきて最早、反復作業でしかないが状況把握は大事だ。脳を使うことで少なからず意識が遠のくのだから。まず別荘で二人きり、そして二人でイチャイチャ、そして春日が俺の首に噛みついてき……はああぁぁぁあぁうわああああぁぁぁぁ!? 状況リピートしたところで寧ろさらに冷静さが消えていくううぅう!
「か、春日……は、なしてくださぁ、い……」
「……」
混乱と喜びと衝動で弾け狂う全身は灼熱の業火を腸に直接ぶち込まれたように熱くなって、呼吸する息は熱風になっているような気がした。ヤバイ、これは本当にヤバイよ。春日的には甘えているつもりかもしれないが、この噛みつきってのは相当の破壊力だ。理性なんざとっくに掻き消えた。噛みつきによる困惑と麻痺だけが体を抑制する働きとして機能しているだけで男としての本能は既に暴れ出している。今度は俺が噛みつきにかかるのも時間の問題だ。ヤバイ、さすがにヤバイ。これ以上は描写出来るシーンじゃなくなる。とりあえず誰か米太郎の封筒持ってきて。そのケアは大事……じゃ、なくて! まだ! まだ、粘るんだ将也! 再三訴えてきたが、こういうことはちゃんと段階を踏んでお互いの気持ちを確認した上ですることであって決して今みたいなノリと流れでやっていい代物じゃないんだ。だから俺の中の狼よ、まだ暴れ出さないでくれ。頼むから!
「春日、離してぇ」
「嫌」
「そこをなんとか」
「……んーっ」
「うおおおぉぉぉ?」
理性の残り香でなんとか懇願するも春日の了承を得ることは出来ずそれどころか事態は悪化した。両手で俺のシャツの襟を掴み自身の身を寄せてくる春日。両足を折りたたんで全身を丸めるようにしてこちらへ詰め寄る。これによりさらに密着することとなり春日の華奢で柔らかい体は見事に俺の懐へと収まった。猫が狭いところに無理矢理入るような形で。そしてようやく噛みつきをやめてくれたかと思いきや、今度は頭で俺の顎を押し上げてくる。なんだこれ、どんなスキンシップですか。ふんわりとした春日の髪の毛の感触が顎にクリーンヒット、続いて痺れ効果を持っているんじゃないかってくらいのシャンプーの良い匂いがしてきた。ものすごく、頭がクラクラする。いや……マジでこれ本当にガチでヤバイんじゃ……
「……♪」
春日さんの方は俺の葛藤なんざ知ったこっちゃねーなご様子で、これまた猫のようにゴロゴロと鳴いていらっしゃる。あ、か、ん……もう駄目だ……。ここまで我慢してきたが、もう限界です。俺だって我慢するつもりだった。鋼鉄で作りし堅牢な理性の檻に本能の狼を閉じ込めているつもりだったが、どうやら檻は鉄製ではなくトイレットペーパーの芯で出来ていた。あの芯ってフニャフニャで脆いよね~、ということで理性なんざ完全に壊れた。
「ごめん。俺、もう……」
「……?」
自分の意志じゃ加減出来なくなった腕に力が入る。全身に伝わる愛しい感覚、目に映る愛しく可愛らしい華奢なパジャマ姿、耳を侵す甘ったるい愛しの鳴き声、鼻をくすぐる愛しさ抜群の香り、それらが全て頭の中に情報として蓄積されていき意識が混濁した深淵に倒れていく。そして五感のうち唯一感覚を持て余している舌先が痙攣したようにブルブルと震えて我慢出来ないとばかりに春日の口元へ……
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ! せいっ!」
飛び出す前に、舌先も狼も飛び出す前に、本能の荒波に溺れて何もかもをノリと流れに身を任す寸前でヘタレ精神と胸の奥にある大切な想いが理性を蘇らせてくれた。沈みかけた意識を蘇生、体が思うように動かせる! そう思った瞬間には筋肉が素晴らしい躍動を見せた。春日を離してソファーから転げ落ち、そのままローリングしながら距離を置くように部屋の端へと後退する。あ………危っなかったあぁあぁぁ。あと一歩で未知の世界フロンティアへと進むところだった。春日のフロンティアへ俺のフロンティアがフロンティアするとこだったよ! 何言ってる自分でもサッパリだけど意識と理性がはっきりしているなら問題なし!
「兎月……む」
「いやー、はははっ。ごめん、眠たくて仕方ないっす。てことでお休みなさい!」
「待って」
「グッナイです!」
次命令されたら抵抗出来ない。今の春日は異常なんだ、何してくるか分からない。いくら二人きりの初夜だからって流れに全てを委ねるのは間違っている。こーゆーことはきちんと段階を踏んでからですね……つまり俺は寝ますってことだ! 愛しの彼女さんが二言目を発する前にリビングから脱出。逃げるように二階へと駆け上がって日中掃除した寝室部屋へダイビングする。我ながら大したスピードだったなと思うよ。未だ鳴り止まない鼓動のビートを抱えたままベッドの中に潜りこんで必死に睡魔を呼び寄せようとする。おい睡魔、テメーいつも授業中にやって来る感じで今来いやぁ! お願いだから俺を寝かせて、頼みますから!
「……寝れん」
つーか寝れるはずがないでしょ。さっきのことがなくても現在この別荘で春日と二人きりってだけで緊張するんだからさ。いやー、ホントさっきはヤバかったな。一度は暴れかけたが何とか抑えることの出来た自分がすごいと思う。プラス同時に悲しい。あの寸前で俺を叩き起こしてくれたのが他の誰でもないヘタレな体質だったからだ。下僕を卒業したはずの今となっても俺にはヘタレ魂が根付いているようで、なんとまぁ嘆かわしい。本能を抑えこんだなんて良い風に聞こえるが実際はやるのが怖くて逃げただけでしかないんだ。フロンティアに足を踏み入れるのが不安で、ちゃんと上手くやれるか怖かった。春日に拒絶されたらどうしようとか未経験のことに手が出なかったんだよなぁ。うっ……すげー情けない。安定のヘタレっぷりだな俺。はぁ……もう何も考えたくないよ、一刻も早く眠りにつきたい。
「……兎月」
「……」
ドアが開いた。そうだ、ちょっと忘れかけていたが俺ってば春日をリビングに置き去りにしたままだったな。ドアの開く音、床が軋む音、足音がベッドの方に近づいてくる音、外で豪雨が降り注ぐ音、俺の心臓が激しく暴れる音、耳いっぱいに広がって鼓膜が破けそうになる。う、うおおおぉぉ、春日がこっちに来てるー!?
「兎月」
「……ぐ、ぐー」
ここでも見事なヘタレを発揮。なんと寝たフリをし始めた俺。なんつー古典的で典型的でアホ的な寝息を立てているんだよ馬鹿野郎っ。
「……ねぇ」
「んー、ムニャムニャ」
「……」
ヤバイ、疑われてる? 誰か自然な寝息のつき方教えて!
「寝てるの?」
「ぐー、ぐー」
「……」
しかし、兎月将也は気づかなかった。この時、自らが逃げの一手として寝たフリをしたことがただの実は悪手になってしまったことを。そして気づいた時には既に遅かったのだ……なんてナレーションが流れたような気がした。そう、俺はミスった。寝たフリをするということは春日から見れば俺は寝ているってことになる。寝ている、つまり動かないってこと。俺からすれば動けないってことになる。つ、ま、り……春日に何をされても抵抗が出来ないってことだ。
「……一緒に寝る」
「っ!?!?」
布団がめくられ、自分とは別の温もりがベッドの中へ入ってきた。おもわず身を縮こまらせたが声は出せない。不自然な寝息を立てることしか出来ない。うあああぁあっぁ!? 春日が隣にいるんだけど!? いや落ち着け、落ち着こう、落ち着けるか馬鹿! 一難去ってまた一難じゃないかチクショー。何事もなく俺のすぐ横にモゾモゾっと入ってきた春日。背中合わせかと思ったら俺の背中に手の感触が……こ、こっち向いてるの!?
「……」
「ぐー、ぐ、ぐー……」
必死に寝たフリ。うぅ、一体どうしたんだ今日の春日は。いつものクールで無愛想なあなたはどこに行ったの? いくら誰にも邪魔されない二人だけの空間だと言ってもここまでキャラが変わるものなのか?
「……あのね」
「……」
「兎月、ごめん」
「?」
「私、自分でも抑えられなくて……」
そう呟きながら俺の背中をきゅっとか弱く掴む春日。さっきみたいな強引な手つきではなく、意志を伝えるかのように優しくそっとこちらを気遣うみたいに繊細な指先の感触、そして温もり……。
「ふ、二人だけって考えると……頭が混乱したの……」
「……うん」
だよな。俺もそうだった。そりゃいきなりこんなことになったのだから混乱して当然だって。俺達はまだ付き合い始めたばかりでお互いのことを全て知っているわけじゃないし、二人だけの夜を意識しないわけがない。ああなってしまった春日は決して悪くないし、そうなって仕方ないもの。
「俺もドキドキしてたよ。ずっと春日と一緒にいて」
「……やっぱり起きてた」
「うっ」
え、もしかしてバレてた? うわ、それなら早く言ってよ。
「……ごめんね」
「なんで謝るんだよ。別に悪いことはしてないじゃん。春日も俺もちょっと興奮してただけだって」
そう、浮かれていた。もっと落ち着いて二人の時間を楽しめたら良かったのに、慌ててしまい不器用に愛情を伝えようとしてしまった。早く早くと急いでしまった。そうじゃないよね、俺達はゆっくりとお互いを知っていこうって、そうして二人、結婚することを決めたんだ。さっきみたいにイチャつくのは大いにアリだ。むしろ週一で味わいたいくらい。けどそこから先はもっと時間をかけて、ゆっくりとお互いの気持ちを確認してから。ただのヘタレだって言われたらそれでおしまいだが、それでもいい。ヘタレだっていい、俺は自分の気持ちと見つめ合えてから行動に移したい。その場の流れに委ねて目先の快楽に身を落とすのは嫌だ。それは春日だって同じだと思う。そうだよね。
「兎月……」
「ん?」
「……一緒に寝よ」
「もちろん」
気づけば静かになった心臓を撫でおろし、クルリと寝返りをうつ。春日と向き合う形になって、しっかりとその瞳を見つめる。暗くてよく見えないが春日の目もしっかりとした意志を持って輝いていた。そっと頬に手をつけ、優しく撫でる。くすぐったげな春日の声が耳を掠めて、手のひらにじんわりと温もりが広がって、気持ち落ち着く春日の匂いがする。もう言葉なんていらない、こうして触れ合っているだけで気持ちを確認することが出来て、お互いを知ることが出来て……もう十分だよ。
「ん……」
優しく頬を撫でて春日の口元へと自らの唇を近づける。嵐の中、轟音の中、暗闇に沈む二人の中、濡れた唇同士が熱を伝え合い、互いを潤いさせる。吹きつける強風と雨音の音が寝室に轟く、そんな中で俺と春日は音にもならない静かで甘くて幸せな口づけを楽しんでいた。
次回からはバリバリのコメディーに戻ります(汗)




