続81 始まる最後の難関
ひどく冷たくて渇いた空気、棘のようにチクチクとする乾燥がまとわりついて肌が荒れていく。汗も血の気も引いて喉がキュッと締まる。緊張と不安と恐怖の三色が砕けて混ざり、胃の中で積もるようだ。
胃袋がゴリゴリと削られるような痛みが止まらず、眩暈で意識が飛びそうになる。
まだ、まだ春日父と対面していないというのに。
「そんな緊張しなくていいのよ兎月君、ほらほらたくさん食べて」
目の前のテーブルには美味しそうなハンバーグがジュワジュワと音を立てている。普段なら匂いにつられて腹の音が鳴るが今この状況で食欲など沸くわけがない。
デミグラスソースを浴びて肉汁溢れるハンバーグのジューシーな音色を掻き消すようにして銀フォークのカタカタ震える音が響く。手の震えも止まらない。
おいおい将也よ、君は一体どれだけ緊張しているというのだね?
渇いた口内と肌、なのに背中だけは汗でびっしょりと濡れている。背中全体を覆う湿り気を口元へ送り届けたいくらいだ。胃が痛い、腹が痛い、心臓が痛い。
「兎月君、美味しい?」
「あへあへ」
「兎月、おかしいよ?」
あまりの緊張に精神が狂いそうだ。どうしてこの親子はのほほんと夕食の感想を求めてくるんだ。俺もう絶命寸前だぜ? いつ心が壊れても不思議じゃない。
精神の変調に感化されて身体的にも歪みが生まれてきた。動悸が激しくなり、変に息苦しい。ジジイがレボレボの西川さんみたいに踊った後ぐらい呼吸が荒れている。ジジイ死んじゃうって、生足魅惑のマーメイドとか言ってる場合じゃねぇ。
ニコニコと微笑む春日の母親と俺の横でサラダを取り分けてくれる春日。ここに春日父の姿はまだない。とても静かで穏やかな空間なのだろう、普段ならば。だが今日ここへ赴いた目的を考えるとそんな気楽な雰囲気に浸っている余裕など皆無。
もうじき、仕事を終えた春日の親父さんが帰ってくるのだ。それを考えただけでもう、ううううぅぅぅぅ、死ぬ。絶える。
「あらぁ、それにしても改まって挨拶に来るなんて兎月君も律儀だね」
いつも通りニコニコと優しい笑みを浮かべるお義母さん。おっとりとした口調で嬉しそうにすら見える。
まあこの人には知られているからなー。そして認めてもらえている。
問題はやはり春日父、あの馬鹿親父にどう話を切り出すかが最難関であり全てだ。
……と言っても、俺がスーツ着て話がしたいとなればあのおっさんも気づくだろう。俺が、俺達が何を報告するのか。
「ごめん春日、ちょっと来て」
「?」
へたれ魂が灼熱の如く燃え盛る。全ての細胞が言っている、「お前さんこれマジ洒落ならへんで?」と。
いやいやおかしいだろ今思えば! なんで俺こんなことしているの?
結婚の挨拶とか成人した社会人がするのが普通だろ、なぜ高校生のガキが大舞台に立っているんだ。訳が分からないよ。俺がへたれ体質でなくてもこの場では逃げたくなるに違いない。
現実からも逃げるようにして春日の手を引いて部屋から出た。
「どうしたの?」
かつて春日家の運転手と金田家の執事が激闘を繰り広げた広い廊下。
春日は無垢な瞳と口調で俺に問いかけてきた。
「あの、その、さ……やっぱり言うの?」
「うん」
そして俺とは対照的に何一つ迷いのない春日。「え、逆に言わないの?」といった表情をしている。なんてお気楽なんだいっ。
「ま、また今度でもいいだろ?」
「今がいい。早く言いたい」
早く言いたいって……RGのあるある早く言いたいみたいな感じ?
駄目だ、この子の気持ちは完全に決まっちゃっている。こうなっては俺がいくら抵抗しても止まることはないだろう。進撃の春日だわ。
「パパに言ってなかったからクリスマス一緒に過ごせなかった……」
何その悲しげな声可愛いんですけど? 意味もなくキレそうなんですけど!?
いや言ったところで春日父が認めるとは到底思えないって。なんで春日は報告すればオールオッケー的な思考なのさ。
と、その時、
「たっだいま~。ママ、恵! パパが帰ってきたよ!」
玄関の方から響く声。楽しげで幸せそうな男の野太い声だ。
あー…………すごく帰りたい。
「ん……この靴は……!」
この人生、幾度と脱出魔法が使えないかと妄想していたが今はガチだ。天よ、神よ、どうか俺にルーラの力を授けたまえ~……って、何か音が近づいて、
「兎月いいいいぃぃ!」
「ぎゃああああぁ!?」
それは猛突する牛のようだった。
廊下を爆走する春日父、もとい般若。ま、豆。豆持ってこぉい!
思わず豆を投げる動作をしてしまうけど手が空を切って何も起こらない。
「なーぜ貴様がここにいる?」
気づけば眼前にまで接近していた。見て、この、圧倒的存在感。
スーツ姿のいかつい顔と目から火花が飛び散るばかりのギラギラ具合。猛獣だ、ここに猛獣がいます!
たまらず一歩身を引いてしまうがすぐに春日父が一歩詰め寄る。視線で殺されかけている。や、ヤバイ心臓止まりそう。
「パパ、お帰りなさい」
「うぅん! めぎゅみ~、ただいまだお!」
一瞬にして表情が変わった。えええぇ!?
春日の方を向いて満面の笑みを浮かべているではないか。その顔は穏やかで愛情に満ち満ちている。おっさんの笑顔程キモイものはないが。
「今日ね、兎月とご飯食べるの。いいでしょ?」
「勿論だよ恵~。ささっ、急いで準備してくるよ!」
春日の親父さんは手を叩いて喜びルンルン♪とスキップする。ハイジみたいだ。容姿的にはアルムおんじなのに。
と、俺を見てまたしても般若の鬼面を被る。怖っ。
「貴様は私が来るまで一言も喋らず待っていろ。何かしたら……分かっているだろうな」
そう言って大股で廊下を歩いて行った。
……ど、どうなるの? 殺されるの、処されるの? おしーえておじいさんー!?
だ、駄目だ。結婚の話を言う前からメンタル全壊だ。精神面で完膚なきまでにボコされた。
な、なぁ春日、やっぱり言うのはやめて……
「パパあのねっ、兎月と結婚する!」
……………………え゛?
「…………ぃ、今、何と、言った……?」
振り返る春日父。その顔は……もう、般若どころの騒ぎではなかった。
鬼と悪魔と死神とヤクザを煮詰めて抽出してブレンドしたみたいな、とても表現出来ない禍々しい顔をしていた。怖い、シンプルに怖過ぎる。
それに……あー、えっと、恵さん?
なぁんで今言うの!?!?
え、え、え!? 俺か、俺がおかしいのか!?
今ここで言うのがベストタイミングだったのかおい!?
「なんで今言ったんだよ!?」
「……早く言いたかったもん」
もん、じゃねーよ!
腐ってやがる早過ぎたんだ、より早かったよ今!?
一応は父親の許可を得てさぁ今から食事しつつタイミング見計らって話を切り出そう、はぁ、次回が大変だな、の流れだったよね!?
って、そんなこと言ってる場合じゃ……ぁ、
「恵、そしてクソ虫。話がある」
またしても目の前に君臨する凶暴な顔つきのモンスター。あとさりげなくクソ虫って言われた……。
「恵、こっちに来なさい。クソ虫、面貸せや」
地獄の底から響く低い声。春日父はオーラを纏ったままリビングへと入っていく。
……もう逃げ場とかない。ルーラ習得だなんて戯言で現実逃避している間もない。
「兎月、行くわよ」
「……あへあへ」
観念して春日と共にリビングへと入っていく。




