続75 覚悟と優しさ
春日はお嬢様。家はお屋敷、父親は会社の社長。見た目もお嬢様と呼ぶにふさわしい容姿端麗ぶりで。勉強もできて、まあ性格に難はあるけど総合すれば成績優秀で大富豪の完璧な美少女。
そんな春日と付き合っている俺はどうだろう。
何か秀でたものはなく、どこにでもいるような庶民。平々凡々でモブキャラと呼ぶにふさらしい俺が春日と付き合っているのは周りからすれば非常に滑稽かもしれない。
ぶっは、不釣り合いカップル乙。と馬鹿にされて当然だ。
日下部がそう言うのも理解出来る。
……けどさ、そうじゃないんだよ。
「前にバイトの休憩中に言っただろ。そんなの関係ないんだよ」
「……」
身分差なんて重々承知だ。問題点なんてパッと思いつくだけでもたくさん出てくる。その気になれば一晩中悩んでしまうことだろう。
でもさ、そうじゃないんだよ。いつまでもウジウジ悩んでも仕方ない。いつまでもヘタレやっているわけにはいかない。
そんなことより、何より、かけがえのない思い。俺が春日のことが大好きってこと。付き合う理由がこれだけじゃ駄目なのか?
「春日といると心地好いんだ。傍にいるだけで落ち着ける、幸せだなぁと思える。それが付き合う理由として不十分だなんて俺は微塵も思わない」
理不尽で暴力的で何考えているか分からないことも多々あって無口で無表情で無愛想で。うへぇ、春日の悪いところ挙げるの簡単。
でもそれをひっくるめて、全て含んだ上で俺は、
「春日が好きだ。色んな意味を含めて、ただそれだけのことだよ」
こんなこと普段だったらぜってー言えない。恥ずかしくて顔から湯気が出る。
今は……なんでだろ、すんなり言えた。
雪山の寒さが沸騰する心を冷やしてくれているみたいだ。
ははっ、こんな状況なのに春日のことばかり考えている俺って相当だな。遭難とか命の危険に瀕すると大切なことを思い浮かべてしまうってのは本当みたいだ。春日のこと好きなのに、何が別れようだ。馬鹿言ってんじゃねぇよ俺。
……絶対に帰ろう。このまま春日と終わるなんて嫌だ。
お、なんか元気出てきた。気力回復シャキーン。
「……私はどうなのよ」
心に活力が戻ってきた時、体の右側が温かくなった。
気づけば隣には日下部。
さっきまで向かいの壁にもたれかかっていたのに今は俺の横にピタリとくっついている。その瞳は……見たことがあった。
あの日、バイト帰りにこいつがしていた目。
「……私、高校に入れば新しい出会いとか素敵な人に出会えると思ってた。中学生の頃、周りの子は楽しげに恋愛トークしててね、その中に入れない自分が浮いているようで嫌だった。だから高校生になったら頑張ろうって思って、でも今のうちに経験出来ることはしておこうと思って」
洞窟の外は吹雪。
ごうごう、と吹きつける風の音が洞窟に響く中、耳元の傍で聞こえる日下部の声は弱々しくもハッキリと聞き取れた。
喋る日下部、動く唇と左手。手袋の上から感じる日下部の手の感触。そっと乗せてきた日下部の手は、じんわりと暖かかった。
「少しカッコイイ風の男子がいた。テキトーに付き合うならこいつかな、と仮交際を申し込んだ。遊び程度、ううんそれにも満たない程度の相手。付き合うってのはどんな感じか知るだけの都合の良い相手」
「そうだったな」
「最初は中学を卒業するまでの練習相手だった。別れてからも大して気にしてなかった。でも……別れて、高校生になって、一年、二年と過ぎて……気づいた」
日下部は続ける。
さっきまでの偉そうな態度も、体調が悪いフリも、コロコロと表情を変えることもなく、俯いたまま自分の思いを吐き続けるだけだった。
右手にさらなる熱がのしかかる。日下部がさらに強く握ってくる。
「高校生になって色んな人と出会った。素敵な人に出会って、好きになって、付き合う……そんなこと、一度もなかった。期待してた高校生活は思ったよりも平凡で味気なくてつまらなくて……。うん、そこでやっと私は本当の気持ちに気づけたのかな」
視線が合う。揺れる瞳は定まって俺をじっと見つめる。
「私は、将也といた頃が一番好きだったってこと。高校生とか、素敵な出会いとか、楽しい高校生活、そんなのよりも、将也と一緒にいた時が……好きだったの」
「日下部……」
「ただそれだけなの。私は、ただ、将也のことが好きだった。今でも、好きなの」
それは一瞬のことだった。
日下部が乗せた手が急激に強くのしかかる。
ぐい、と上体をこちらに寄せて密着してくる日下部。熱が覆いかぶさり、白い息が鼻先にかかる。先程まで見ていた瞳はすぐ目の前にあり、視界いっぱいに映る日下部の顔。抱きつかれ、上からおおいかぶされて、ただでさえ近い二人の顔は、次第にゼロへと近づく。
日下部の潤んだ唇が徐々に俺の方へと……
「いやさせねぇよ!?」
「な、なんでよ!?」
寸前のところで左手を挟んで日下部の顔面をシャットアウト。
おいテメこら! 何しようとしていやがるっ。
真面目な話をし始めたと思ったら突然襲いかかってきやがって。ぐおおマジあぶねー!
「お前今キスしようとしただろ」
「そ、そうよ」
「ふざけるんじゃないよ! シリアスなノリなら何しても許されると思うなっ」
左手に力を込めて日下部の顔面を退ける。この、このっ。
そう何度も唇奪われてたまるかっ。体を横へと逸らして日下部から離れる。
あぶねーマジあぶねー! 何真面目な話している中で襲おうとしているんだお前は。咄嗟に左手で防いだ俺もすげーよ。ナイス反射神経。火祭との鍛錬が役に立った気がするぞ。
「……で、お前は何言ってるのさ」
「将也のことが好き。今の彼女と別れて私と付き合って」
シンプルにまとめてきやがったこいつ。しかも春日と別れろと。
……中学の頃から無茶言う奴だったけど、まさかここまでとは。
春日以上の理不尽ぶりだ。
「だから俺と春日は似合わないって何度も言ってきたのか」
今の彼女と別れてヨリ戻そうと。そう言いたいわけだな。
……まあ、世間一般ではよくある話かもな。そして実際にそうする奴らもいる。
けど、俺は違う。
「ごめん、それは無理だ。春日のことが好きだから」
「……駄目」
「駄目じゃない」
「駄目なの!」
日下部が声を張り上げる。
狭い洞窟に響き渡り、奥の方でこだまする。
……さすがに俺でも分かる。今、こいつが、演技じゃなくて本気で叫んだことに。
日下部は本気だった。今にも涙が零れそうな潤んだ瞳で必死にこちらを睨んで口をぎゅっと噛み締める姿を見れば分かる。
こいつがこんなにも激しく感情を表すなんて……。
「ねぇ、付き合ってよ。私には、将也しか、いないの……」
「だから無理だって」
「な、んでよ。こんなに、お願い、してる、っ、のに……っ!」
遂に涙が流れ落ちる。途端に溢れ出る。
ボロボロと涙を流しながらも日下部は喋るのを止めようとしない。泣きながらいつもの命令口調で言ってくる。
その姿を、昔に見たことがある。
嘘の恋人として付き合えと迫ってきた日下部を可愛くないと言ったら日下部は泣いた。その姿を見て思わず了承した。
……でも、今回は駄目だ。俺には春日がいる。お前と付き合うことは出来ない。
「日下部のこと好きだった。仮交際だったけどあの頃すげー楽しかった。もし、もっと早く言ってくれたら…………いや」
……何言おうとしているんだ俺。
またそうやって中途半端な優しさでどうにかしようとしているだろ今。
もっと早く言ってくれたら? だったら付き合えた? それを言ってどうする。
今、目の前で泣いている日下部をどうしたいんだよ。逃げようとするな、ハッキリと言え。それが今俺がすべきことだ。
出しかけた言葉を飲み込み、息を吐き出す。白い息がゆらゆらと宙を流れて、その向こうに見える日下部の泣き顔。
……受け止めろ、優しさに逃げるな。
日下部との思い出が大切だから、春日のことが大切だから、ケジメをつけろ!
「俺には今、好きな人がいる。一緒にいたい、ずっと寄り添っていたい大切な恋人がいる。だから日下部、お前とは付き合えない」
「……っ、駄目」
「駄目じゃない」
「だ、だぁ、駄目なのっ!」
「駄目じゃない!」
「…………う、うぅ、ぁあ……いやぁ……!」
涙どころか鼻水も垂らして、でも日下部は喋ろうとする。必死に言葉を紡ぐ。
仮交際していた頃にも見たことのない、悲しげな表情だった。
……いいんだこれで。これが一番、良いはずなんだ。
ブレるな、目線を逸らすな。……こいつのこんな姿、見るなんてな………っ、っと、こっちまで泣きそうに、って?
「将也ぁ……!」
「日下部……」
日下部の涙と鼻水が頬につく。
抱きついてきた日下部を払えなかった。
その気になれば避けれたけど、そうしなかった。出来なかった。
俺の背中に両手を回して声を上げて泣く日下部。
温もりが、痛い。
……ごめんな。お前は、こんなにもなって必死に想いを伝えてくれたのに。
「ごめん日下部。そして、ありがとな」
中途半端な優しさは駄目だって覚悟したばかりなのになぁ。……火祭の時と何も変わってねぇよ俺。やっぱ馬鹿だ。
でも、今はいいよな。これくらいなら、きっと。
泣きじゃくる日下部をぎゅっと抱きしめた。




