続73 転がり落ちる
柔らかい誘惑を振り払い、絡まった体を振りほどく。急斜面に戸惑いながらもなんとか体勢を整えて日下部と対峙。今のは危なかった。あと少しで快楽に誘われて取り返しのつかないことになっていただろう。フレンチなんとかをした時点で既に取り返しがつかないと思うけど。彼女がいるだろうがボケ将也ぁ。理性よ、よくぞ踏ん張った。決意よ、よくぞ燃え上がってくれた。あと少しで欲望のまま全てを欲しているところだったのを耐えてくれた。少しは成長しているじゃないか。自分の成長に涙が零れ落ちそう。最後の最後、崩壊しかけた理性の壁を支えてくれたのは二人の手だった。一人は春日、そりゃ彼女だから当然脳内にも出てくる。無言で無表情ながらも「何テメー浮気してやがる」といった鬼オーラを手の平から壁へ放つ姿が脳裏に浮かんだのだ。す、すいません。ただ今絶賛不仲ですが脳内に現れて引き止めてくれてありがとう。そしてもう一人、火祭さん。
「悪いが日下部、ヘタレでも譲れない決意ってのがあるんだい」
あの日、火祭と傷つけた。中途半端な決意と優しさで、最悪の形で、一心に想ってくれたあの子を傷つけた。あの時した後悔をもう一度味わうつもりか。それだけは絶対嫌だろ、絶対に繰り返したくないだろ。だからこそこうして日下部を振りほどけた。ヘタレでも、馬鹿でも、犬体質でも、曲げられねぇ想いってのがあるんだよ。どうだっ!
まぁ少し揺れたけどね。我ながら意思が弱い。……もう少しもにゅもにゅしても良かったかも。はっ、何を本音言っている! いや本音ぢゃないよ!? くうう、いやらしさが米太郎レベルだよ!? 気を静めろ、精神統一しろ。米太郎に成り下がるつもりか。あんな勘が鋭いだけの野菜馬鹿になるわけにはいかないだろ。
「じゃあ俺行くわ」
さて、それじゃあ春日捜索の続きをやっていきますか。とりあえず一番下まで降りよう。たぶん水川と倉田が待っている、と思う。彼女らにも手伝ってもらうのはどうだろうか。ナイスアイデア、頭冴えまくりング。火祭にも協力を願うのもアリだ。彼女なら華麗な滑りで見事に探してくれるだろう。そもそも火祭は春日と同じ班なわけだから火祭を見つける=春日いるじゃん!の等式となる。そうとなれば火祭も探そう。拙いながらも足でスキー板を装着。日下部と一緒にいると過ちを犯すかもしれん。その姿を他人に見られるわけにはいかないし、してもならない。日下部に別れを告げてスキー板を滑らす。逃げよう、元偽カノに近づいてはならぬ。あの感触は名残惜しいが仕方ない。仲直りしたら春日に頼んで揉ませてもらおう。きっとぶん殴られるだろうけど。
「ま、待ちなさいって言っているでしょ」
「だからなんで平然と並走するんだよ!?」
またしても隣には日下部、距離を詰められてあっという間に並ばれた。どうしてそういとも簡単に追いつけるんだよ。なぜ女の子はスキーが上手いんだ? おかしいよ、スキースキル高過ぎるってば。滑ることに関しては俺と米太郎の専売特許のはずだろ。ホモ野菜コンビに任せてくれよ。お前雪国育ちだったっけ? 遊び場はいつも雪山でイエティと戯れていた、みたいな話を仮交際の時に聞いた覚えはなかったけど。
「くっ、だが逃げる!」
薄情と言われるかもしれないが全てを受け入れる程ハートに余裕はない。矮小な人間なんでね、来るもの拒まず的な寛容な御心は持っていないです。そもそも人は一人なんだ。そういくつも気持ちを抱えて生きていける程器用ではない。一つの人体に一つの心、それが人間だ。鋼の錬金術師さんも同じようなこと言っていただろ? なんかそーゆー風な良い言葉を言っていた記憶がある。今すぐ解消したい件を終えたら会いに行くよ。お、なんかモテ男みたいな台詞っ。実際にはクズ男なんですが。
こうなったら……左に曲がる。直線で振りきれないなら左右に揺さぶるのみ。スキー板を左前方へ向けて移動方向を変える。頑張れ将也、水川に出来るならお前にだって出来るはずだ。左へと逸れていき、日下部との距離が開く。
「待ちなさいよ」
「もう嫌ぁ!」
開かず、ピタリと横へつかれる。左右の移動も完璧な日下部さん。もう嫌だこの子。仮に左右へ華麗にターンを決めても振りきれないのでは? まるでスターウルフじゃないか。どれだけ旋回しても後ろにつかれる気分。フォックス、後ろの敵をなんとかしてよ~!とスリッピーが叫ぶのが聞こえるようだ。テメーの敵はテメーでなんとかしてくれスリッピーさん、俺も自分の相手は自分でなんとかするからさ。
これで駄目なら、せいっ。スキー板を捻じ曲げるようにしてさらに左へと避けていく。これどうだ……ってまだついてきやがる。どれだけ逃れようとしても日下部は真横にピッタリとつく。
「負、けて、たまるか!」
こうなったら意地でも逃げきってみせる。さらにさらにスキー板を左へと傾ける。もう傾斜に対して垂直にする勢いだ。下へ滑っていくというよりは横へ流れていく形になる。が、日下部も同様にして食らいつく。何このしぶとさ!? いい加減にし……って、あ、
日下部を引き離すのに夢中で前を見ていなかった。気づけば横の林に向けて突っ込んでいた。雪に覆われた林、滑れるように整備されていない林の中は、とてつもなく急斜面で……
「あ、ちょ、日下、あぁあ!?」
「え?」
いきなり方向転換出来るわけもなく二人並んで林の中へと突っ込む。その途端、ガクンと体勢が崩れ落ちた。これ、斜面というかほぼ崖なんじゃ……うおっ!?
「「う、うげええええええええぇぇ!?」」
……げほ、げほっ。目を開けばスキー板とストック、そして日下部の姿。っておい日下部!? だ、大丈夫か? 慌てて駆け寄って体を起こす。たわわな胸、じゃなくてゴーグルを取って頬をペチペチ叩く。おい起きろ、寝るなぁ! 寝たら死ぬぞ!
「う、うん……?」
「おお気がついたか」
「ここ、どこ?」
俺も知らないっす。日下部の意識も戻ったところで現状を確認。真上は空、下は雪、四方には林。それ以外は何もない場所だった。やや傾斜がかっており、真っ直ぐは立てそうにない。……どうやら落ちてしまったようだな。上を見上げるが、スキー場は見えない。リフトのロープも見当たらない。
「俺達転がり落ちてきたんだな」
「……これって遭難って言うの?」
恐る恐る尋ねる日下部。まあそうだな、世間一般で言う遭難ってやつだ。その意を込めて俺は首を縦に振る。すると瞳にどことなく不安な色を浮かべる元偽カノさん。普通に考えて不安だよね。雪山のどこか奥、いや奥かどうかさえ分からない。そんな場所で遭難したのだ。気が動転してもおかしくない。携帯を取り出してみるが見事に圏外。大声を出して気づく場所に誰かいるとは思えない静けさ。まさに遭難、絶望の淵に立っていると言って間違いない。
「ねぇ、どうしよ将也……」
「とりあえず鼻摘み花探すか」
「何それ?」
あぁん? 知らないのかよ。鼻摘み花と言ってだな……あ、違う。日摘み花だったか。幻の花でさ、それを見つけたら助かると思う。以前火祭と二人で遭難したことがある。混乱して不安で体力的にも限界を迎えようとして、その時に日摘み花を見つけた。するとどうだろう、俺達は救助されたのだ。なんという幸福の花、奇跡の花だ。それを見つければ助かるはず。さあレッツ捜索。
「……あ、駄目だ。あの花は金田リゾートにしか生えていないんだった」
「意味不明なことばかり言わないでくれる?」
眉間を小突かれた。痛い、そして怖い。小突くなら普通側頭部だろ。側頭部への小突きがセオリーだろうが。なぜ眉間を狙ったし。下手すると眼球直撃の恐れがあるじゃん。さすがに眼球小突かれたら泣くよ? 角膜がぁ!と絶叫するに違いない。さて、これからどうすればいいだろうか……。携帯は圏外、近くに人がいそうな気配はなし、眉間が痛い、寒い、と。状況はこんな感じ。
「んー、雪山の中を闇雲に歩くのは危険かもな。どこか休める場所を探そうぜ」
よく分からないけど現在地を把握していない状態で雪山の中を歩くのは良くないと思うんだ。慣れていない雪原という足場、体力は奪われ力尽きる恐れがある。救助を待つのが一番安全でしょ。スキー板とストックを拾う。
「な、なんだか将也落ち着いているね」
そうか? 一度遭難したことあるから慣れたのかな。積んだ経験がこうして活きるとは。人生で二回も遭難するってことあるんだね。初回は孤島の森林で二回目は北の雪山、なかなかガチの遭難じゃないすかー。あははは。
「ほら早く行こう。どこも怪我していないよな?」
「……足が痛いかも。将也おんぶしてよ」
「そっか大丈夫か、良かった」
「無視するな!」
それだけぎゃあぎゃあ騒ぐ元気があるなら大丈夫さ。それにおんぶは出来ない。歩きにくい雪の上、加えて両手にはスキー板とストックだ。残念ながらお前を背負う余裕はない。後ろで文句を垂れる日下部は無視して傾斜をゆっくりと下りていく。歩きにくいなぁ、雪ってキツイ。一歩踏みしめる度に雪は聞き慣れない音を立てて沈み、そこから足を抜くのも地味に大変だ。ガチガチのブーツを履いているから余計にしんどい。うへぇ。
「ねぇ無視しないでよ! 馬鹿将也!」
悪態を吐きながらもちゃんとついてくる日下部。普通に歩いている。何が足痛いだよ、嘘つくな。このワガママ女子は嫌なことは他人に押しつけようとする。その辺の性格は変わっていないんだなぁ……この気性の荒さに何度翻弄されたことやら。溜め息が白い息へ変わるのを眺めつつ歩くしかなかった。




