続70 滑り落ちた虚言
うぐく、きがけけぇ、うおっ……かゆうま!? 気づけば転倒していた。顔面に降り注ぐ白い粉、ウェアで覆われていない外気に露出している皮膚に雪がかかって冷たい。頭を起こして前を向けば、視界いっぱいに広がる白銀の世界。そう、ここはスキー場。修学旅行二日目、今日は一日ずっとスキーだ。スキーウェアを着て雪山へと足を踏み入れると前後左右どこを見ても白一色、なんて光景だ。太陽が反射して眩しいよ。下から太陽光を受けることがあるなんてビックリです。真夏日の通学路でアスファルトの反射による熱光線なら体験済みなんですがねぇ。雪山か、狩りをするゲーム世界では何度も訪れていたが実際にリアルにガチで来たのは初めて。フルフルさんにはお世話になった。同人誌的意味も含めて。あっ、ホットドリンク忘れた。だがしかしスキーを始めた途端に体温は上昇。思った以上に体を使う大変なスポーツだ。ノリで滑れると思ったけど難しいものだ。小鹿の如く震える両足、ヤンキーと対峙した時みたく引ける腰、コケる時には「あんっ」とか弱い声を漏らす。女子力抜群な俺である。スキー板を八の字にしてもスピードは落ちず、腰が引け過ぎて尻餅をつく始末。
「おいおい何やってるんだよ将y」
猛スピードで米太郎が滑走していった。次の瞬間には盛大にコケてダイナミックに雪へダイビングしていた。スキー板は外れて二メートル横へ刺さる。速度超過で事故を起こす自動車を見た気分だ。お前だって満足に滑れてないだろーが。
「ぶはっ、雪がウェアの中にぃ!? 寒い!」
「下手くそ過ぎるだろ。インストラクターのおじさん呆れ顔でこっち見てるぞ」
「くっそー脳内シミュでは華麗な滑りが出来たのに。そもそもこういうのって主要キャラは滑れるはずだろ」
あ、それ俺も思った。こんなイベントでは上手く滑れないと話が進まないはずだ。主人公達がグダクダ練習している姿を見て何が面白いの? 転倒してヒロインのパンツしゃぶるラッキースケベが発生するなら話は別だが。クソがぁ、予想以上に難しい。練習あるのみってか? せめて夕方までにはある程度こなせるところまでレベルアップしなくては。話が進まない。
「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だっ、スキー板とシンクロしろ」
再び滑り始める。外れた板を拾おうとする米太郎を弾き飛ばしつつ滑走。後ろから飛んでくる罵声を無視して懸命に滑っていると知り合いを発見。スキーウェア着てニット帽かぶってゴーグル装着の状態で人物の特定なんて難解、だがしかし分かる。昨日も述べたが、フィーリングの力だ。
「よお春日、調子はどうd」
手前二メートル前でバランスを崩し、勢いを殺せずに雪原へダイビング。スキー板が宙を舞う様子が、飛び散る粉雪の隙間から見て取れた。ぐはっ、米太郎と全く同じ失敗。春日にぶつからなかったのは幸いだ。お嬢様の冷めた瞳がゴーグル越しでも分かる。
「か、春日ぁ。手貸して」
「……」
投げ出された四肢でもがきながら助けを求める。けど春日は微動だにしない。電源オフなの?と問いかけたくなる程の静止。え、ちょ、こんな時でもスルー? ゴーグルで表情は良く見えないがこの子絶対無表情だ。やってくれるじゃあないかー。彼氏のピンチをただ眺めるだけというシンプルでありかつ冷たい態度。放置プレイが好みだと伝えた覚えはない、そしてそんな性癖は持っていない。はぁ、まあいいけどさ。手を貸してもらえる可能性は皆無なのでセルフで起き上がる。もがけ兎月将也! なんか刀解放の解号みたいになった。雪を払いのけてその場に座る。
「どうだ、滑れてるかい?」
「……」
反応なし。本当に意識はあるのか? 別世界に精神をリンクさせている疑いがある。今頃別世界で勇者として夢想する春日が思い浮かぶ。無表情でゴブリン蹴散らす姿は戦慄ものだ。ったく、こんな時ぐらい返事しろよ。修学旅行始まってからまともな会話してねーぞ。
「別にいいけどさー」
普段の生活ならこうして無言の時間に浸るのも悪くないがここは雪山。スキー場のど真ん中で黄昏に浸るのは少々場違いな気がする。せっかくの北海道だ、せっかくの初スキーだ、楽しまなくてどうする。時間は有限なんだよ。限られた時間内でエンジョイすることこそ至高であり全てだ。ちなみに個人的な意見になるが何の制限もない自由ってのは望んでいない、そんなものはつまらないと考えている。時間が制限されて様々な縛りがある上での自由こそ最高だ。少ない自由の中で試行錯誤して楽しむのが人生だと思っている。莫大な時間を与えられても何していいか分からないよ。てことで結論、今日は目一杯滑ろう。
「じゃあな、無理せず楽しめよ」
「待ちなさい」
挨拶もそこそこに再び滑ろうとしたら足を刺された。先の尖ったストックがウェアを貫通して肉に突き刺さる。ぐあっ!? 何しやがるんでい。ストックとは本来滑走する時に体のバランスを保持したり加速するのに用いられる杖のような形状の道具だ。それを銛のように活用する彼女。出ました理不尽暴力。暴力というか攻撃だ、悪意しか感じられない。
「んだよ、用件あるならさっさと言ってください」
「……」
はいはい、でしょうね。知っていましたよ。催促してもあなたが何も言わないことくらい熟知している。フルフルの行動パターンくらい熟知しているさ。あいつ単体のクエストなら死なない自信がある。話が逸れた、軌道修正しましょ。無視されたのに足を刺されて転倒、その上さらに無視ときた。いくら何でもちょっとムカつきますよ? 貴重なスキーの時間を潰さないでほしい。起き上がってゴーグルを外し、少し目を細めて睨む。
「スキーしたいから何も用ないなら行くよ」
はぁ、付き合い始めてからは多少素直になったと思えたのに。未だこのお嬢様の思考は理解しきれない。何をそんな不機嫌な顔しているのやら。
「……」
何も言わないので再びスキー板を平行にして滑る。すると両足の間をストックが割り込んできた。俺の持つストックじゃない、またしても嫌がらせだ。突如来た棒状の物体。そりゃあ怖いさ、慣れない操作で精一杯なのに乱入物に構う余裕はない。いとも簡単にバランスを崩して顔から雪山へダイブ。ひんやり冷たい白色の地面が迫って、冷たっ。ぐううぅぅ、体温が下がる。……いやさ、さすがにイラッとするよ? 今までもこんな風に理不尽な暴力は幾度となく受けてきたが今回はちょっと怒りそうだ。もう下僕じゃないんだ、主従関係が終わって何ヶ月経ったと思ってやがる。まだヘタレでウダウダ中途半端な行動しか出来ない俺だけど付き合い始めたのをきっかけに色々と頑張ってきたんだ。
「あのさぁ」
「うるさい」
無視されても、理不尽な暴力に悩まされても、自分なりに理解しようとした。時間をかけて付き合っていこうと、分かっていこうと。次第に春日も返事するようになって素直になって、あぁ心地好いなぁと思えてさ。なのに……春日は相変わらず暴力と無視で自分勝手なことばかり。それが春日だ!と割り切って過ごしてきたが今のはさすがに許せない。イラッとした、それは、堅固たる事実。心の中で思ってしまった。はぁ……俺が悪いのかねぇ。いや違う、これは春日が悪い。雪を払い、スキー板を踏みしめる。冷たい空気を口に含んで喉がひんやり冷める。そして吸い込んだ息を吐く。唇触れる息は白く湯気のようにゆらゆら消えていった。
「俺達もう別れた方がいいのかもな」
言った直後に気づいた。嘘でも冗談でもこれは言っちゃいけないやつだと。冷える体とは反対に頭は熱暴走を起こしていたみたいだ。怒りだけで言葉を殴り散らしてしまった。馬鹿か、そんなこと微塵も思っちゃいないのに。吐き出した息と言葉、それはまるで脳内を煮込んでいた熱だったようで、吐き終えて口を噤んだ時には頭はすっかり冷めていた。瞬間に気づく、なんてこと口走ってしまったんだ。
「あ、いや、今のは違くt」
すると体が勝手に動き出した。スキー板さん!? 何勝手に滑り出しているんすか! ズルズルと斜面を下っていくスキー板。それを装着している俺も一緒に滑り落ちていく。と、止まれぇえぇぇ! 八の字、八の字っ! 駄目だ止まらない。インストラクターのおじさんの教え通りブレーキ―の動作を試みるがスピードは下がることなく寧ろ軽快に速度を増していく。あれ、さっきまでどうやって停止していたんだ? マズイ、これは非常にマズイ!
「ああああ……あぁぁぁあ、終わった」
やっと止まった。春日と話していた場所から実に数百メートルは進んだ。どんだけ滑ったの俺!? 逆にすごいよ、よくもまあコケずに滑れたものだ。……いや、そんなこと言っている場合じゃない。その場の勢いで発してしまったとはいえ、別れようは言い過ぎだったよな……。すぐに訂正出来れば良かったけどこうして滑り落ちてしまったし。春日からすれば彼氏が別れようと言ってすぐ去ってしまった、そういう風に捉えられるだろう。うわぁ、やってしまった。何してんだよマジで。少しイラッとしただけで何を言っているんだ。思わずその場に倒れ込んでしまう。雪にめり込む頭部。……今更頭冷やしてどうする、今はもうとっくに冷えているだろ。嘘でも言っちゃいけないことってあるだろ。米太郎にブサイクと言うとかさ。まあそれは限りなく事実に近い嘘だけどね。なんだよ別れた方がいいのかもな、って。そんなこと全然思ってないだろ。つーか絶対別れたくない! じゃあなんで言ったんだよ俺。おいどうした、馬鹿なの? 馬鹿か兎月将也! うぅ、今すぐ訂正したい。そうだ、ここで春日が来るのを待っていよう。早く訂正しなくては。嘘だよっ、別れたくないよ!と告げなくちゃ。頭を上げ、雪山の上を見上げる。無数に降りてくる同じ格好をした同級生達。同じスキーウェアだけど俺なら見つけられる、フィーリングで探せ。
それから三十分、ずっと探し続けたが春日が降りてくることはなかった。




