続60 冬空の下で
日下部を泣かした、女子を泣かすなんてろくな奴じゃねぇ、だから殴る。これが店長の見解だった。せっかくの休日を返上してバイト来てあげたのにこの扱いはあんまりだ。日下部以上の涙と鼻水を出すくらい泣きたくなった、がしかし泣かないっ。この程度で折れる程メンタル弱いつもりはないんでね。頬の部位全てを襲う痛烈な痛みに悶絶しながらも必死に口を動かして弁明を試みた。接客以上に疲れた……。というかなんで俺が悪者になったの? 日下部に対して主観的至極まともな正論を述べただけなのに。男尊女卑の時代とは真逆、今では女性が大事にされ過ぎている世の中になってしまったようだ。それが女性の暴力化へと繋がったような気もする。俺の周りバイオレンスな女子しかいないし。
「じゃあ今日はお疲れ様ー、またよろしくねぇん」
散々説明してようやく誤解を解いて、それだけで終わり。特に詫びることなく平然とした顔で日下部の肩をポンポンと叩いてレジに戻っていきやがった店長さん。ちょいちょい、何かしら頭を下げるとかあるでしょーよ。A4サイズのレポート用紙二枚以上での謝罪文を要求します。まあ口には出しませんけどね。声高々に文句を言える程メンタル強くないです。店長さんが逆ギレしてまたビンタを食らうのだけは避けたい。文句を一切言わず寡黙なまま仕事をやり遂げて現在七時過ぎ、今日のバイトが終了した。さぁて、帰ってゲームするべ。
「将也、待って」
駅に向かって猪突猛進するつもりが誰かに呼び止められた。誰かって? たった今同時にバイトが終わった人物だ。
「悪いな日下部、俺には時間がないんだ」
「ウザッ、カッコつけないでいいから。ねえちょっと付き合ってよ」
別にカッコつけているつもりはないのですが。アニメとかで病気に苛まれて苦しみながらも主人公一行の為に囮として敵陣に特攻する時に言う台詞の意味で言ったわけじゃないよ。日下部に構っている暇はない。こいつのことだから今からカラオケ行こうとかご飯奢れと言うに違いない。誘われる前に断る、ガードの固い自意識過剰なOLが使う手段だ。新入社員歓迎会の一次会から「私二次会行きません」と言ってタクシー使わず電車で帰るパターンだな。なんとなく。
「今日友人の誕生日があるんだ。俺の家でホームパーチーするから急いで準備しないといけないからさ」
「変な嘘つかないでよ。別に、ただ家まで送ってくれたらいいの」
はあ、家まで送るねぇ。確かに現在時刻は七時を過ぎて辺りはすっかり暗くなっている。冬の時期の夕刻は短い、すぐに夜更けてしまう。夜道を女の子一人歩くのは危険なのは分かる。分かるが少し訂正を加えさせてもらおう。夜道をか弱くて可愛い女の子が歩くのは危険だ。もし仮にブサイクの女子が一人歩いてもマニアック嗜好の方しか食いつかない。そしてか弱くない女子、つまり先程ちょっと述べたバイオレンス女子だが、このタイプの女の子は自分の身を自分で守る。例えば火祭とか。あの子なら百人の変質者に絡まれても十分とかからずに蹴散らすだろう。百人の変質者が一斉に集うのもなかなかシュールな光景だな。とにかく日下部はきっと大丈夫だよってことだ。決して日下部がブサイクだという意味じゃないよ。あなた美人だようん。でも大丈夫だよ、根拠ないけど。
「じゃあな、百人の変質者に気をつけて帰れよ」
「なんで百人? いいから送りなさいよ。か弱い元カノのことが心配でしょ」
元カノじゃねーし。元偽カノだし。嫌だよ面倒くさい。こっちはバイト頑張ってお前の分までゴミ出しとかやって、その果てが冤罪的扱いを受けて掌底ダメージだぞ。心身共にボロボロだ。普段の学校生活でも春日に理不尽暴力を受けている今の俺に安息の時間は部屋で一人ゲームしている時だけなんだ。早くゲームしたい。故に日下部のボディーガードをしている暇はない。大体暗いとはいえまだ七時じゃないか。深夜タイムなら多少心配するけどまだ街歩く人も多い、あなたなら痴漢にグヘヘされてもすぐに大声で助けを求められる度胸があるから大丈夫だよ。元偽カレはそう思いました。
「あばよ」
「いいから来なさい!」
「ぐえっ」
澄まし顔で踵を返そうとしたら首元を思いきり掴まれた。し、絞まる。呼吸一時停止が人体にどれだけ多大なダメージを与えるか知らないのか。割とガチで人生終了の扉が見えるからな。一瞬死地に陥ったがなんとか息を吸いこんで呼吸と意識を回復させる。何しやがるテメー、の意味を込めた睨みを後ろの奴へと向ける為に振り返れば日下部がムスッとした面持ちで睨み返していた。睨みカウンターか、なんでお前も不機嫌そうなんだよ。……その目は幾度か見た記憶がある。高飛車で自分が世界の中心にいると思っている典型的自己中主義者、自由気ままで自分の現時点での気持ちで他人を振り回す。何度振り回されてきたことやら。こうやってこちらが嫌だと言っても強引に押し切る、それがこの日下部冬華だ。そりゃ全力で拒否すれば逃げ切ることは出来るだろう。『とんずら』のアビリティを習得しているからな。だが今日逃げたとしてもまたバイトで会う。その時が怖い。まず一通り俺をボコした後、店長さんに嘘泣きしてあーだこーだ言いつけるに決まっている。ここで逃げるのは得策じゃないな。はぁ……分かったよ、送ればいいんだろ送れば。
「お前の家どっちだっけ?」
「将也とは逆の方向だね」
「そーかい」
諦めて日下部と並んで駅へと向かう。こいつの最寄り駅まで行って家の近くまで送ってそこからまた電車乗って……うへぇ面倒だな。街に襲う凶悪なドラゴンを退治する為にドラゴンの棲む孤島に行きたいけど船を出す為の許可証をもらうべく東の都で開催されるオークションで船長の欲しがっているワイバーンの聖指輪を入手しなくてはならない、とかRPGみたいにメンドイ。でもあれがゲームの醍醐味だよなぁ。色々と遠回りをしながら目的の為に頑張るのが楽しいよね。迷宮ダンジョンを抜けた時なんて快感だ。……あぁ、ゲームしたい。
「ねえどこかご飯でも食べていこーよ」
「行かねぇよ。帰ってママのご飯食べるから」
きっと今日はハンバーグかな。急いで帰って家族団欒したいものだ。というかただ送ってほしいだけじゃなかったのかよ。
「えー、じゃあカラオケ行こうよ」
「嫌」
この断り方は春日の真似だ。シンプルな断り方でありながら優秀な拒絶性能を誇る。これを言われると何も言い返せなくなるのだ、俺は。
「何よ、全然ノリ良くないじゃん。将也つまんない」
「はいはい、ごめんね」
「……」
淡々と会話をしながら歩いていく。日下部と一緒にご飯行くなんて春日にバレたらどうするんだ。ただでさえ春日は最近日下部のせいでピリピリしているというのに。電車が来るのを待つ数分の間も一応辺りを警戒しておく。この時間この周辺に春日がいるとは到底思えないが何が起こるか分からないこの世の中、火祭や水川と遊んだ帰りの春日がいるかもしれない。もし遭遇したら速攻で言い訳をする準備をしておかなくては。いや実は今日バイト入って今帰りなんだけど日下部を家まで送っていく途中でさ! これを噛まずに言う必要がある。頑張れマイ滑舌。そんな思いで電車へと乗り込む。
「……なんか将也さ、私に冷たくない?」
またしてもムスッと機嫌悪そうにツンと突っ張るように声を小さく荒げる日下部。どことなく目が悲しげに見えるのは気のせいだ。
「別に。こんなもんだろ」
「中学の時はもっと優しかったじゃん……」
中学の時のことなんてよく覚えているな。部活と昼休みサッカーぐらいしか思い出が浮かばないねぇ。というかやけに日下部が色々と話しかけてくる。アッサリと別れを告げたサバサバ系のくせして今はなんとなく儚げでしおらしい。どうしたよさっきから、変に絡んできたかと思えば声に張りがなく、こちらが逆に心配しそうになりかけてしまいかけてしまう。バイトの休憩中も突然泣き出すし、あなた高校生になってから情緒不安定になりましたの?
「あのさ、俺ら予行練習として仮交際していたとはいえ一応付き合っていただろ? そして別れた。世間一般的に言えば俺らの関係は元恋人同士になる。あんな一方的にフラれた相手に対してフランクに会話出来る程俺の心は大きくないし大人じゃない」
高校生になるまでに恋愛を体験してみたい、恋人同士ってのはどんなものなのか、それを知りたいと言った日下部はたまたま都合の良い俺を実験的交際相手として選んだ。断ると泣かれたのでこちらに拒否権はなく、流されるままに付き合うことに。普通に遊んでなんとなく過ごした後、卒業式の時にサラッと別れを告げられた。こちらの意見など一切聞いてもらえずに。散々振り回された挙句、ポイ捨てされた気分だ。そんな奴相手に楽しくお喋り出来るかよ。大人な奴や、こういう経験に慣れている本当のリア充君からすれば別にどうってことないだろうけど生憎ワタクシ恋愛経験値は人並み以下なんでね。フラれたことを未だ引きずってはいないが根には持っている。日下部にツンツン当たるのは当然だ。はっ、将也ってば子供だねぇもっと大人になって寛大な対応をしなよ、とどこかの米野郎が偉そうに言いそうだな。拗ねた子供みたいな態度で悪かったな。だがこうしないと当時舐めた苦汁が胃から逆流しそうなんだよ。
「……昔のことでしょ」
「そうさ、昔のことだ。そして今だ。俺は俺で新しい恋人を見つけたし、お前も見つけようとしている。お互い新しい環境で次の出会いを見つけましょ、お前が卒業式の時言った通りになっていて良かったな」
所詮こいつは中学時代の時に彼氏がいたというステータスが欲しかったに過ぎない。中学で得た経験、知識を高校という大舞台で活かす為に擬似的交際をしただけ。だからこその卒業式時の台詞だ、哀愁も悲しみもなくアッサリと別れた。現在はどうやら彼氏がいないようだけどきっと頑張っているんだろ。中学時代に比べて綺麗になったし、モテまくって今なんて寄ってくる男子の仲から選び放題なのだろう。逆ハーレムっすねすごいっすね~。
「確かにあの時の私はそう言ったけど、でも……」
「ちょ、今さら申し訳ない気持ちになってもらっても困るって。再三言ったけど俺は俺で日下部には感謝しているからさ」
日下部と一緒に遊んだ経験が春日と良い具合に話せたことに多少なりと繋がっていると思うし。やっぱ経験って大事、皆も職場体験やインターンシップは積極的に参加しよう。……何の話だ。
「違う。そうじゃなくて」
「はいはいお話は終わり。ほらここまで来れば変質者百人も現れないだろ」
話しているうちに電車も降りてある程度歩いた。まだ夜も浅い時間帯なだけあって通行者はそこそこ多く、住宅街の方も明るい。ここまで送ればもう大丈夫でしょう。では俺は帰ります。帰ってゲームする。その前に母さんの作ったご飯食べる。
「じゃあな日下部、今日はバイトお疲れ」
次もしバイトで一緒になったら冤罪だけは勘弁ね。店長さんどう考えても日下部に味方してるっぽいから。恐らくあの人の中で、日下部>俺>池内君といった順位で信頼している節がある。え、池内君が下にいるって? あはは、あいつだけには勝っているつもりだよ~。さてさて、バイト代も入るし来週は春日と一緒にどこか遊び行ってみようかな。またお金不足に陥るけどそこは我慢しましょう。
「待って将也」
「ん?」
まだ何か言いたいことでもあるのか? さっきはちょっとキツく当たってしまったけど本当はそんなに怒ってないよ。中学時代の黒歴史なんて今時誰だって抱えているさ。だから別に気にしてな
「私ともう一回付き合ってよ」
…………は?
は…………な、何を言っているの日下部さん? い、今、何ておっしゃいましたか? 聞き間違いじゃなければあなた今……
「高校生になれば彼氏なんて簡単に出来ると思っていた。良い人なんてたくさんいてテキトーに付き合えればいいって思ってた。でも違うの」
日下部……? ち、ちょっと待てって。何を言いだしているんだよ。言い返そうにも言葉が出てこない。状況を飲み込んでいくにつれて徐々に心臓が痙攣していくように落ち着きを失っていく。手足は震えて発汗作用が止まらない。真冬の外気に触れた汗が音もなく頬を伝い落ちていく。今、何が起きているんだ……!? 日下部は何を言っているんだ。じょ、冗談だよな。またそうやって俺のことを振り回そうとしているんだろ? やめろよ、あはは。
「この一年と十ヶ月の間、彼氏なんて一人も出来なかった。誰一人として良い人なんて出会えなかった。……将也以上に良い人なんていなかったんだよ」
ぉ……おいおい、何を言っているんだよ日下部。な、何だよその真面目な口調。あの頃のお前らしくないぞ。中学の付き合う時なんて偉そうに上から目線で付き合えって命令してきたお前が……そんなお前がどうして、今は真剣な眼差しでこちらを見つめているんだよ……。今目の前に立っているのは本当にあの日下部冬華なのか? あいつはもっと高飛車で自己中な奴だぞ。こんなクソ真面目に何かを語る奴じゃない。そう、だった、はず。そ、そうだろ。典型的自己中主義者、それが日下部冬華だ。一年と十ヶ月前のお前は少なくてもそうだったじゃないか。いや再会した最近も変わってなかったじゃんか。それが今、ここになって急に……
「やっぱり私には将也しかいない。将也じゃないと駄目なの。だから」
しっかりとこちらを見据えて、息を大きく吸い込んだ日下部。次言う言葉を、銃口を向けられた気分で俺は何も構えず抵抗も出来ずただただ待ち続けるしかなかった。
「彼氏のフリじゃなく、本当の意味で私と付き合いなさい」
冬空の下、中学時代とは比べ物にならない、本気の色を灯した日下部の目が俺を捉えて離さなかった。




