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続34 キルシュブリューテの微笑み

場所は代わってショッピングモールから少し離れた所にある空き地。ショッピングモールがさらに拡大した時に駐車場として使用するために残っている土地なのだろう。寒々としておりこんなところに来る人なんて滅多にいない。そんな殺伐とした空き地に立っているのは俺と火祭と、そして池内君だ。


「そうか、貴様が火祭か……」


先ほどまで泣いていたのが嘘のよう、彼お得意の武士キャラ全開で話しかけてくる。なぜこんなことになったのか、まあ色々とあったわけでして。映画館でのちょっとしたトラブル、なかなかヘビーな事件だった。最終的には火祭が『昇竜烈波』で暴れていた男性を一撃で沈めて事態は無事収拾がついた。そこからは何事もなく映画本編が始まったわけだが、火祭が倒した男性と俺が倒してしまった池内君を放置したままには出来ないので池内君を担いで館内から出てしまったのだ。あんな状態で映画楽しみましょうとはいかないからな。男性の方は劇場スタッフの方がなんとかすると言ってあちらさんで引き取ってくれた。大丈夫かな……と不安になったりしたが、たぶん大丈夫だと思う。火祭の一撃を食らったんだ、その直後でまた暴れようとはしないだろう。男性の方は任せて映画館を出ると池内君が目を覚ました。恐怖で目を赤く腫らしていた彼がその後すぐに言った言葉とは、


「血祭りの火祭、俺と勝負してもらおうか」


となって現在誰にも迷惑がかからない空き地まで来たというわけだ。要するに映画は観れず仕舞いってことだな。映画代がもったいない……。メインイベントは消化不良のまま挙句の果てに池内君にも見つかってしまい、偽デートはこの場合成功したと言っていいのだろうか? うーん、まあ一応ショッピングモール内をブラブラと仲良く歩いたし、確実に知り合いの何人かには目撃されているから火祭に男が出来たという噂が流れるのには十分やっただろう。とりあえずはこの馬鹿を素早く黙らせないとな。池内君はワックスで固めたツンツン頭で堂々としながら腕を組んでいる。まるで喧嘩の強い番長みたいに偉そうだ。さっきまで半泣きだった奴が何を言っているのやら。


「えっと、あなたは誰?」


火祭が不審そうに尋ねる。火祭からしてみれば池内君は「誰だよこいつ」状態なわけでして。池内君が一方的に火祭の噂を知っていて喧嘩を吹っかけているだけで火祭の方は池内君のことなんてこれっぽっちも知らないのだ。キョトン顔して当然である。


「俺か? 俺は流離いの武芸者……とでも言っておこうか」


俺と会った時も同じようなことを言っていたような。にしてもこいつ懲りないなー。あなたさっき散々な目に遭ったのにまだ戦意があるのはすごいっすよ。まあ池内君は俺が気絶させたせいで実際に火祭が男性を一撃で沈めたのを見てないから、こうやって生意気なことを言えるのだろう。なんか面白いな見ていて。


「はあ……」

「最強の道を歩んでいるとよく耳にすることがある。火祭という名のそれは大層強い奴の噂をな」

「……」

「そしてその火祭が貴様だ。ここまで言えば分かるよな。もう一度申そう、血祭りの火祭、俺と勝負しろ」


組んだ腕を解いて火祭に向けて指を突きつける池内君。この野郎……俺が言ったこと忘れたのかよ。火祭に近づこうとするな、と。なのにまたノコノコと弱いくせに出しゃばりやがって。ドヤ顔で決闘を申し込んでいるところ悪いが、お前と火祭を戦わせるつもりはない。火祭が手を出すまでもない、俺がまた相手してやるよぉ。今度はボコボコにしてやるからな!


「ろくに注意も出来なくてしかも俺に負けた程度の奴が随分と生意気なこと言っているみたいだなおい」

「む? 誰だ貴様は」


はあ? なんで俺のこと覚えてないん……あぁ、そっか。そういや今の俺って茶髪だった。うわ、まだ気づかれていなかったのか。確かに俺の存在に気づいていたなら池内君はすぐさま怖気づいた顔して数歩後退するはずだが、今なんて俺の方見てメンチ切ってくるではないか。おうおう上等だコノヤロー、もう一回俺なりの夜天・真空極拳流を叩き込んでやろうか。実戦では放ったことのない新技はまだまだたくさんあるぞ。


「ねぇ、まー君はこの人知っているの?」


隣で火祭が尋ねてきた。知り合いというか、ちょっとした仲ではあるかもね。良い風に言えば拳を交えたことがある、といった感じだな。はぁーあ、もう何だろうね。こうならないよう桜って呼んだり火祭と密着して大人しくさせたり色々と奮闘したというのに、全て意味がなかったのかよ。偽りとはいえせっかくのデートも台無しにされて賠償を求めたいくらいだ。


「まあ、知っているというか。一度戦ったというか……」

「え……」


少しだけ火祭の顔が強張る。というか、なんとなく不穏なオーラを感じた。ん……どうかしましたか?


「何をコソコソと話している。そんなに待っていられるほど俺の気は長くないぞ。ふっ、なんせ俺は貴様の情報を知るためには他人の血で拳を染めてでも知る輩だからな」

「……今の本当?」

「む?」


ヤバイ、本日二回目だ。火祭が怒っていらっしゃる。しかもさっきの映画館の時とは比べ物にならないほどブチギレている……! 隣にいる俺がその気迫に押されて再び尿意を催すんじゃないかってくらい火祭の全身からはとてつもない殺気が溢れている。それはもう大地が震え、大気が弾け、微量な水蒸気が爆ぜるほどに。バトル漫画みたく地面に亀裂が入って小石が宙に浮いている……もしスカウターを装着していたら間違いなくスカウターが弾け飛んでいるぞ。半年以上も火祭とつるんできましたが、こんなにも怒る火祭を見るのは初めてだ。俺が土守家に仕えていて助けに来た時もこんな風に怒ってくれたのかな……なんか泣けてくる。じゃなくて! いやいや池内君が殺されるよ!? でも悪いのは池内君だよなぁ。なぜ火祭がこんなにも怒っているのかと言えば、先ほどの池内君の嘘が原因だ。他人の血で拳を染めたなんたら~、という見栄張りまくりの嘘。そして俺が一度池内君と会ったことがあるという事実、これを聞いた火祭の中で一つの答えが出たのだろう。俺が池内君によってボコされた、と。血祭りの火祭に戻らない、変わるんだ、と決意した火祭はもう暴力を振るわないと誓った(まあ今日普通に殴っちゃいましたが)のだが例外はあると言った。それは俺や春日や水川などのかけがえのない友達に危害が及ぼされた時だそうです。その時は血祭りの火祭に戻ってでも守ってみせると火祭が言ったのを覚えている。つまり、俺をボコした池内君(実際には逆ですけど)が許せないのだろう。メラメラと怒りの灼熱が空き地全体を覆う。優美な長髪は逆立ち、まるで君臨する獅子のようだ。


「あの……火祭?」

「まー君は下がっていて。この人は許せない……」


あぁ、こいつぁもう駄目だ。大人しく池内君の葬儀の準備と黙祷を捧げることに徹した方がいいな。せめて一撃で楽にさせてあげてほしい。池内君には今さらながら同情するよ……。


「ほう、やっと戦う気になったか」


そう言って両手を構える池内君。いやいや気づこうよ! あなたの目の前にいる女性から発せられているとんでもないオーラが見えないのかよっ。はい黙祷ー……安らかに眠れ鉄拳よ。


「では『流浪の鉄拳』参る。いざ尋常に…」

「うるさい」


池内君が名乗る前に火祭は既に走っていた。そしてほんの一瞬で池内君との距離数メートルを簡単に駆け抜けて左の手を上空へと振り上げていた。なんつー速度、俺とは比にならない速さだ。いつも思うが、まず火祭は相手との距離を詰めるのが上手過ぎる。火祭を本気にさせた時点で相手側には瞬き一つすら許されないというのか……。カッコ良く堂々と名乗るなんてとんでもない。可愛い私服姿の女子があり得ないスピードで地面を駆け、手刀を高らかに掲げている。これほどにミスマッチな組み合わせもないと思う。構えた火祭の手刀が静止し、狙いを定めた時になってようやく池内君の顔が青ざめた。遅いよ馬鹿、おい口が空いているぞ。慌てて両手を頭部へ上げてガードしようとした池内君、しかしその体は大きな破裂音と共に吹き飛んでいた。え………今、何が起きた……?


「があぁぁ……!?」


声にならない悲鳴を上げる池内君。そんな彼は先ほどまで立っていた場所からかなり離れた位置でぶっ倒れて呼吸困難に陥っている。うん分かるよ、火祭の攻撃を腹部や胸部に受けると全身の空気が吐き出されて息が出来なくなるんだよね、ってあれ? もしかして今、池内君は胸部か腹部に攻撃を受けたのか? というかいつの間に食らったんだ? 間近で見ていた俺ですらその様子全てを把握出来ていない。火祭が走って距離を詰め、左手を大きく振りかぶったところまでは目で捉えた。しかし何も起きないうちに池内君の体が吹き飛び、ああしてうずくまっている。な、何が……。火祭の方を見れば、地面に着地し何事もなかったように池内君を冷徹な目で見下ろしている。うおおおぉぉ、やっぱ本気モードだ!


「げほっ、かぁ……い、痛いよぉ……」


唾を吐き散らし地面に全身を垂れ流して惨めな泣き声を上げる池内君。戦闘開始から十秒も経たないうちに白旗を上げてしまった。やっぱ弱い、というか火祭が強過ぎる。たった一撃で池内君のキャラを崩壊させてしまうとは。いや今のは一撃だったのか? 何を繰り出したんだ? 俺にはそれすら把握出来なかった……。ああー……てことはアレか。こっちが認識出来ない技といえば、アレしかない。なんとまあ、池内君のように自称最強ではなく実際に最強と謳われるだけの腕前といったところですね。見事な一撃でした。


「今のはね、夜天・真空極拳流『流星・黒折鶴』ってまー君が名づけてくれた技なの」


そう、命名したのは俺である。火祭の技がどれもこれもカッコイイので技名をつけてみたいなー、と思って俺が勝手に考えている。……俺も中二っぽいことやっているよなこうして振り返ると。えっと、今の技は『流星・黒折鶴』と言って簡単に説明すると、派手な動作や陽動で相手の注意をそっちの方向へ引きつけ、ガードの甘い無防備な部位へ目にも止まらぬ高速の一撃を叩き込む技だ。攻撃が速いというか、別の方へ意識が向いているからその攻撃に反応することも気づくことも出来ず拳を食らってしまうのだ。流れ星はすぐに消えちゃうくらい速いってイメージだが実際すごく注意して見ることが出来れば意外と目で追えちゃうことがある。それとこの技は似ていると思う。最初の素早い接近も左手を大きく振りかぶったのも全ては陽動、そちらへ注意を向けさせて甘くなった腹部へ一撃お見舞いしたというわけだ。俺自身も左手の方に目がいっていたので右手での攻撃に気づかなかった……。いやぁ、凄いな。火祭ほどの実力者ならば普通に『昇竜烈波』を繰り出すだけで勝てるはずなのになぜ敢えて『流星・黒折鶴』を使ったのか。それは不意打ちを狙うためだったのだろうなぁ。


「げほっ、げほっ……ぐふううぅぅ」


未だ地面で崩れ倒れた状態の池内君。そう、あの技は不意打ちが目的の技だ。普通に攻撃するなら普通に痛いで済むが、不意打ちの一撃はそれ以上にダメージが大きい。鳩尾にパンチが入ると激痛なのと同じ原理だ。肩パンやらビンタも痛いが、鳩尾へのパンチは無慈悲なほど尋常じゃないくらい痛い。ましてや本気の火祭がそこ目がけて拳を打ち込んできたのだ、俺なら一時間は動けないよ。なんか……ドンマイだよ池内君。でも君が変な嘘言うからいけないんだぞ。何が拳を血で染めただよ、お前だた一方的にやられただけじゃん。なのに嘘ついちゃって、ふん自業自得だ。それを差し引いても今の彼の姿は憐れに映る……お供え物を置いてあげたくなる。


「まだ意識はあるよね? ちゃんと手加減したからね」


普通の男子生徒をあんなにも吹き飛ばすほどの威力のパンチを出して尚まだ本気ではなかったと? 「私の戦闘力は53万です」ぐらいの絶望じゃないすか。火祭の力は未だ底知れずだな……! それに、意識が飛ばない程度に手加減したということは……


「もう一発、いくから」

「ぅ……」


もうグッタリしている池内君。脱力しきって自分の力では立てそうにもない。なんということでしょう、もう降参を宣告する元気も残っていないのだ。そんな池内君の腕を掴み、持ち上げるようにして無理矢理立たせた火祭。その掴んだ手を離すと自身の全身を捻り、


「『焦がし殺し』!」

「ぐぅ!?」


全身を大きく捻らせ右拳を天へと掲げる。一気に解放するかのように全身が弾けて右手は円を描くようにアッパースイングで池内君の腹をぶち抜いた。夜天・真空極拳流『焦がし殺し』だ。命名はもちろん俺、稽古で食らったこともある。全身をバネのように捻り、拳を振るう時にその全ての捻りを拳へと集約させ、さらには拳自体にも回転をかける。そしてその集約した回転を拳に乗せて相手にぶつけ、その接地部分から発生する摩擦熱とパンチの威力をまるで内部に送り込むかのように拳を相手に捻じり込む技だ。殴るというよりは熱による内部攻撃がメイン。実際のところ摩擦熱なんかそれほど発生するわけもないし内臓へ熱を送り込むなんて漫画じゃあるまいし不可能だと思われた、俺はそう思った。けど食らって実感した、あぁ内臓焼けているなぁと。稽古の時に食らったのなんて絶対に手加減されていた、それで十分な威力だった。その『焦がし殺し』を火祭全力の一撃を食らった池内君の顔は……すげぇブサイクだった。ヤベ、笑いそう。人一人が絶命しかけているというのに不謹慎だぞ俺。思わず吹き出しそうになったが食らった池内君の本人は苦痛に顔を激しく歪ませていた。まあそうだよね、今頃彼の内臓は溶けてしまいそうなくらい熱くなっているのだろう。今度は吹き飛びこそしなかったがさっき以上に深刻なダメージが轟いたのは見ただけで分かる。声にならない悲鳴を上げるどころか、小さく嗚咽を漏らしただけでその後池内君は何も発さず静かに地面へと不時着した。そしてそのまま起き上がることはなかった……。完。


「まー君、行こう」

「え、あれ放って置いていいの?」


ピクリとも動かないんだけど……マジで死んでしまったの!?


「大丈夫だよ、手加減したからそのうち動けるようになるよ」


おぉふ……こちらが見ているだけでどれだけの激痛に耐えているから分かるほど痛烈な技を放ったのに、それでもまだ本気じゃないというのか……!? てっきり全力だと思っていたのに、まだまだ本気ではないと。うん、なるほど。やっぱり火祭ちゃんは強いっすね!


「……ぐぅ」


あ、確かにまだ息はあるみたい。火祭が奏でる重音を二撃もまともにガードすることなく食らった池内君はボロ雑巾のように地面に伏して痙攣している。あまりの衝撃に脳が混乱しているのだろう、神経がイカれてしまったみたいで手足が跳ねるように微弱ながらも変な方向に曲がり動いている……人間じゃない動きしてるぞおい。けど仕方ないよね、君はあの火祭を怒らせたのだから。そう、君が噂で聞いていたあの火祭を。まだ意識は残っているなら最後にもう一度だけ申告しておこうかな。地面に横たわる憐れな池内君の耳元でしゃがみ込んで小さく声を送る。


「だから言っただろ、火祭に近づくなって。俺に負ける程度の奴が火祭に勝てるかよ」

「……ぉ、まえは……誰、だ」


なんとか返事を返してくれた池内君。その目は焦点が定まっておらず、黒目が左右を反復横跳びしている。おいおい大丈夫かよ、バイハザだったら間違いなく変身する前の予兆だぞ。そしてやっぱ俺に気づいていないのか。ちょっぴり寂しいぞ、まあ別にどうでもいいけどね。


「これに懲りたら今度こそ火祭に近づこうと思うなよ池内君。それが君の為でもあるのだから」

「……! だから、い、けうち、じゃな…い……」


途切れ途切れに言葉を紡ぐと池内君は目を閉じて完全に動かなくなった。さよなら鉄拳、君のその拳が誰かに届くことはなかったよ。心の中で十字をきって手を合掌して南無阿弥陀仏。よし、色々と混ざり合わせたからちゃんと魂は天へと還っていっただろう。ここ最近は寒いから早めに目を覚まして帰るんだぞ。そしてもう会うことはないだろう、バイバイ新キャラ。


「待ってよ火祭」


流浪の鉄拳を放置して先に歩いていた火祭へと追いつく。いやぁ、色々とありましたが結局のところ……どうなんだろうね? 今日の目的は火祭に意中の人がいて一緒にデートしてましたよー、と噂を作るために行われたもの。まあ映画観る前に手を繋いだりクレープ屋でのんびりしたりと、かなりアピールしながらデート出来たから恐らく狙い通り成功したのは確かなのだろうけど……デート自体は正直言って失敗だったな。しかし映画館でのハプニングはどうしようもなかったし、たまたま池内君と遭遇してしまったのも運が悪かったと目を伏せるしかあるまい。最後に至っては池内君と決闘して終わりとか虚し過ぎる。はぁ、仕方ないか。


「……まー君」

「ん、どうかした?」


空き地を出ると火祭が立ち止まった。時刻は夕方前、本来ならばまだショッピングモール内で映画を楽しんでいるはずの時間だ。今さらもう一度映画を観ようとはならないし、でーとのしおりに従って再びモール内を散策する気にもなれない。恐らくはこのまま帰ってしまうのだろう。と考えていた矢先だった、火祭は歩を進めるのを止めて立ち止まってしまった。何も言わずただ黙って視線を地面へと落としている。その姿は落ち込んでいるというか、ただ申し訳なさそうに見えた。薄れかけた輪郭が水墨画のようにさらにぼやけて火祭の全身が消えてしまいそうに見えてしまう。……火祭、どうかしたの?


「ごめんね」


そして火祭は一言ポツリと零した。一つの滴が球体の形を帯びたまま下へと落下していき地面に衝突して波紋を生む、そんな感じで火祭の掠れた小さな声は微弱な振動をもって俺の元へと届いた。


「へ? なんで火祭が謝るんだよ」

「……映画館で私が出しゃばって注意したせいでデート台無しになっちゃたから」


あぁ、そのこと。別にあれは仕方ないことだったじゃん。俺だってあんな風に態度が悪い奴は注意するよ。今回はちょっとデートの成功を優先するあまり注意せずに見過ごそうとしてしまったけど。でも、火祭はそういうのが許せない性格だもんね。人一倍正義感が強くて、誰かの為に行動する。すげーことだと思う。それが出来る火祭は立派だって。何を謝る必要があろうか、いーやありません。


「私……もう決めたのに。暴力は振るわない、誰も傷つけないって。それは周りの為でもあり、何よりも自分の為であると決意して……」

「……そうだったな」


そうだ、火祭はもう暴力は振るわないと誓った。むやみに制裁は下さないと、注意して言うこと聞かないからといって暴力で解決はしないと。火祭は決めたんだ、決意したんだ。それは悪い噂を消す為。そして何よりも火祭が傷つかない為に。そう覚悟したんだよな、あの時……火祭が自分と向き合った時。けれど今日、火祭はそれを破ってしまった。あまりに態度が悪い奴だったとはいえ、すぐに暴力で片付けようとしてしまった。


「……私すごく浮かれていた。まー君とデート出来るって、本当のデートじゃないかもしれないけどそれでも一緒にいられるって。それがすごく、すごく嬉しくて舞い上がっちゃうくらい嬉しくて……。それを壊されそうになったから、思わず手を出してしまったの。周りの人に迷惑になるのが許せなかったって気持ちもあるよ、でも……それ以上にまー君と一緒の時間を潰されたくなかった。……だからあんな風に手を出そうとしてしまって……」

「……」

「本当……私、何も変わってないよね……。これじゃあ昔と同じだよ」


火祭……。










あのさ、それは間違ってるから。


「同じではないだろ」

「……まー君?」

「そんなわけない、火祭は絶対に変われた。それはずっと傍にいた俺が知っている。確かに今日は思わず暴れちゃったかもしれない。でもそんなのたった一回じゃん!」


そうだ、ほんの出来心でやってしまったと思えばいいんだよ。禁煙しようってなってはい成功しましたー、とか簡単に出来る人なんていないだろ。それと一緒だ、禁断症状で人を殴ったってことにすればいい。


「火祭にとって暴力を振るうことが周りや自分自身を傷つけることになるのかもしれない、それでまた周りから恐がられるかもしれない、ああ、もしかしたら映画館で火祭のことを見て恐がった人がいるかもしれない! けどそれがどうした! そんなのは知ったこっちゃない」


暴力は振るわない、そう誓った。けどそれを今日破ってしまった。だからもうお終いってか? そんなわけないだろ、その程度で火祭の評判が一気にガラリと変わってたまるものか。


「ちょっと制裁加えたのが何だ、注意して何が悪い! 俺だって火祭とのデートで浮かれまくっていたさ。それを邪魔されたら普通に嫌だろ、その邪魔した奴に当たりたくなるわ。それは当然だ! そしてさらに火祭は周りの人のことも考えて行動したんだよな。それはすごいことだよ。火祭は俺のこと優しい奴だって言ってくれたけど俺からすれば火祭だって十分に優し過ぎる奴だと思う。それこそただの友達思いなんかじゃなくてかげかえのない優しさだ。そんな火祭を俺が本当に尊敬する」


一発殴ってしまった、はいそれで私はやっぱり駄目だった。それは違う。んなわけない、おかしい。火祭は変われたんだ、あの頃とは違う、そう全然違う! たまたま今日は思わず手が出ちゃっただけで、それはまあ見なかったことにしようよ。たった一回の失敗でこれまでの火祭の全てが否定されるなんて間違っている。


「火祭は何も悪いことをしてないよ。それなのにそんな悲しげな顔をしないでよ。」

「……まー君」

「別に俺は気にしてないよ。そんな深く考えないでいいって。ドンマイドンマイ。言葉で言うと軽く聞こえるかもしれないけどさ、俺は本当にそう思っているから。だから火祭が謝ることはない、ほら笑顔で行こうぜ。あっ、ちょっとコンビニ寄っていい? 買い物じゃないけど」


映画は観れなかったわけだし、そのまま帰るわけにはいかないよな~。


「……うん、そうだね。本当に……まー君は変わってない。あの時会った時からずっと変わってないよ。初めて会った時も私に対して同じこと言っていた……ずっと変わらず、ずっと優しくしてくれた」

「そうだっけ?」

「ずっと傍で笑い続けてくれたまー君………もう、どうしようもないくらい……」


俯く火祭の言葉を最後まで聞き取ることは出来なかった。それは火祭の声量がやけに小さいせいか、またはいきなり抱きつかれたせいで俺の耳が機能停止になったせいか。あれ……な、なんでまた抱きついてきたの? 全身をこちらへ委ねるように、覆いかぶさる形で火祭は抱きついてきた。おぉぉ、なんか色々と接触部分が多いよこれ!? ごめん春日、本当にごめん! 口元がニヤついてしまう駄目な彼氏でごめんなさい!


「……やっぱりこの人だなぁ」

「へ、へ?」

「なんでもな~い」


そう言って火祭はすぐに離れてしまった。決して名残惜しいとか思ってはいけない、絶対に駄目ぇ! と、というか今のは何だったの……? ある意味心臓に悪いのですが……う、浮気じゃないよね!?


「それじゃあ行こうか」

「うん、まー君っ」


さてと、それじゃあ行きましょうかね。色々と濃厚な日だったけど、それでも今日はまだ終わっていない。いーや、これからが本番だと思ってもいいだろう。ここからは何も周りも気にしない、ただ火祭とダラダラしながらのんびりとデートしていこうではないか。火祭……やっぱ笑顔が一番似合っているよ。


「ありがとう、まー君。いつか必ず振り向かせてみせるからね」


小悪魔が見え隠れしたものの、その笑顔はやっぱり火祭らしい最高に眩しくて綺麗な微笑みだった。


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