続32 シネマウォーズ・再会
そして始まる映画。なけなしの金をはたいて買ったメロンソーダの微炭酸に舌を震わせながらキャラメルポップコーンを頬張る。あれだよね、映画館で食べるポップコーンってすごく美味しいよね。本編前の映画予告を観ている段階で半分食べてしまうくらい。そして映画本編の二時間以上の時間を残り少ない量で凌ぐのが映画あるあるの一つだ。けど今回はそんな失態を犯すわけにはいかない。何しろデートなわけだし、このキャラメルポップコーンSサイズは火祭と二人で食べる分なんだ、火祭が食べる量を考えながら映画の進行に合わせるペース配分が重要となる。一つのジュースを二人で飲むのは無理だが、一つのポップコーンを二人で食べるのは俺の中の浮気境界線ギリギリセーフだ。つーか二人分を買うマネーがない、これに尽きる。帰りの電車賃しか残ってない……。映画終わったらその後どーするんだい、って感じだな。さっきでーとのしおりをチラ見したが映画終わったら高級レストランでディナーを楽しんでこいと書かれてあった。ざけんな、そんな金はもうない。いや最初からねーよ高級レストランに行く金なんて。けどやっぱ食事は行かないとなー……映画観てはいさよならとかダサイことはしたくない。デートの絞めは食事だと勝手に決めつけている俺なわけですから、この偽デートもそういった感じで終わりたいです。うーん、最悪コンビニ行って金下ろそうかな。いやでも貯金している金は大学進学時に使いたいしコンビニで下すと手数料がかかって母さんが口うるさいし……どうしよう。
「ねえ、そろそろ始まるよ」
「あ、そうみたい」
とりあえず後のことは後で考えよう。今は映画を楽しもうではないかー。薄暗かった館内の微かな明かりも消え始め、急激に暗くなる。映画上映始まりの合図だ。小声で話していた他のお客さん達も照明が消えたのに合わせて静かになっていく。真っ暗闇で音一つしない。ちょっとばかし過剰な表現だがこれが映画って感じだなうん。そして目の前のスクリーンに映し出されたのは黒スーツを来た顔がカメラのおっさん。ゲームの戦闘BGMみたいなテンポ良いリズムにノッて何やら小粋なダンスを踊りながら「のーもあえいがどろぼうっ」と叫んでいる。これ観ると映画館に来たなって気持ちになれるよね、はいこれも映画あるある。この役を演じている人ってやっぱ有名な俳優さんなのだろうか? あれくらいだったら俺でも出来る気がするぞ。オーディションがあるなら是非参加してみたい。たぶんオーディションなんてないだろうけど。
「……う」
ここで思わぬ事態が起きた。脳内で黄色信号が発せられる。頭の中の司令部でオペレーターが「緊急事態発生、緊急事態発生!」と叫んでいる感じだ。焦燥感に煽られてさらに全身が強張り、息が詰まりそうになる。あれだな、なんか良い風に言おうと頑張ってみたが無理なので大人しく何が言いたいのか簡潔に述べますと、トイレに行きたいです。ただの尿意が舞い降りただけのこと。人間だもの生理現象だもの、しょうがないよね。けどせめてもうちょいタイミングを計ってほしかったものだ。なーんでもうすぐ映画が始まるこのピンポイントでトイレに行きたいと脳は申告してくるんだよ。俺だって十七年の年月をまともな衣食住のライフサイクルに乗って生活してきたんだ、便意と尿意との戦闘経験は数千を越える。あ、この感じは授業終わりまで耐えれそうとか、この感覚は早急にトイレ宣言して授業を抜けるべきだとか、幾度と修羅場をくぐり抜けてきた経験値ってのがある。その経験と勘が告げている、この尿意は二時間半を耐えれそうにないと。映画予告の数分に加えて色々諸々とあって映画本編実に百四十二分、その間トイレを我慢してスタッフロールを迎えれる自信はない。いや大丈夫だろ、なんやかんやで我慢出来るって、そう思ったら負けだ。そんな甘ったるい慢心で世の中を歩いていけると思うな。貴様はこの十七年間で何を学んできたんだバカヤロー。今我慢したら確実に映画の途中で最大の波が押し寄せてきて強制退場を余儀なくされるに決まってる。映画のクライマックスでこっちの尿意もクライマックス!とか駄目だから最悪だから。早急に今行くべきだ。幸いまだスクリーンには映画泥棒さんが踊っている、ここからしばらく他の映画の予告が始まるだろう。今のうちにトイレへゴーして済ませれば問題なく映画を楽しめるだろう。無理はするな、限界を見極めるな、そんな危険な賭けに身を投じる必要はない。「俺、この映画終わったらトイレ行くんだ……」みたいな死亡フラグを作らない為にも、今このタイミングで俺は立ち上がった。自身の欲求を満たすために、生理現象と普遍の法則として理解して、何より最大のピンチを生む前に、その一歩を踏みしめるために、この言葉を君に告げるよ―――
「ごめん火祭、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「ふぅ……」
あぁスッキリした。出すもの出して解放されて気分は清々しいね。え、普通に小便だよ。なんだよ、誰か今変なこと考えたんじゃないのか? なあ米太郎、お前がいたら絶対そっちの方で捉えたよな。まあいいや、とにかくトイレに行ってきましたよってことですよ。火祭に断りを入れてそそくさと席を立ち、こうしてトイレを済ませました。その時の描写は誰得、というか下品過ぎて言葉に表せないのでカット。さてさて、とっとと戻ろう。まだ予告編やっているだろうし、これなら余裕で間に合うけどさ、こういうのはマナーってのがある。映画始まってやたらと席を立ったりウロチョロするのは周りのお客さんに迷惑がかかる。「ちっ、んだよぉ目障りなんだよガキが」と小学生の頃に言われた俺のトラウマを舐めちゃいけない、ショック過ぎてその場で漏らすとこだったからな。映画本編が始まるまではセーフだ、と俺自身が勝手に引いたボーダーラインに従って急いで席に戻ろうとしましょう。手を洗って目の前の鏡で一応は髪をチェック。映画館の中とはいえデートなんだ、それなりに身なりを気にかけるのは当然だ。とはいっても今の俺って変装していてカツラ被っているんだよなぁ、髪の毛いじるとかそんなこと意味がない気もする。まあ一応チョイチョイと整えておこう。にしても見事なまでに見た目は違和感ないなー、ヅラをつけているようには見えない。つけている俺自身は違和感だらけだけど。
「……ん?」
「もっとトップを立たせた方が似合っているな」
ふと気になることが出来た。こういったショッピングモールのデカイ施設のトイレって洗面台って鏡が一つの巨大な長方形になっているんだけど、それだと隣に立っている人の姿も映って見えるんだよね。よくあるのがチャラいお兄さんが髪をいじっているのだが、そんな感じで今隣には一人の男性が髪を触ってブツブツ何やら言っている。普通ならスルー、というか存在すら気にかけないのだが今回ちょっとばかしスルー出来ない。そんな奴が隣に立っているのだ。
「こう、武芸者っぽいというか、鉄拳の名にふさわしい」
そう、鉄拳だ。いや違う、池内君だ。うん、あれだな、色々とツッコミたくなったがまず一言最初に心の中でシャウトさせてもらえますか。お前かよっ!? よし、とりあえず落ち着こう将也よ。冷静にこの状況を整理してみようぜ。トイレに来ましたよ、ちょっと身だしなみ整えていくか、あれ隣に同じように髪の毛いじっている人がいる、あっ池内君だ……こんな感じか。………もぉ~、マジでなんなのお前!? 勘弁してくれよ、なんでこんなところでお前と再会せなあかんのだ。いや待てよ、池内君……俺に気づいていない? これは俺の変装が知り合いにも通用すると実証されたようなもの、やったね。まあ池内君とは一度しか会ってないから俺の顔をしっかり覚えていないって点も考慮してのことだが。茶髪な俺のことなんて気にかける様子もなく池内君は鞄から取り出したワックスを使って髪の毛をセットしようとしている。なんか知らんけどワックスをベターと大量に取って短い頭に塗りたくって髪のトップをツンツンにしている……ダセェ! 何よりダサイのはワックス持参して公衆トイレで堂々とセットしていることだ、ちょっとやめて見ているこっちが恥ずかしいって。なんだよそのワックスの取る量、明らかにその短髪に対して多過ぎるだろオーバーキルだって。髪の毛テカテカになってるぞ! もっと上手い具合にスタイリングするなら別にトイレでセットしてもいいけどさ……池内君、それはあんまりだよ。つーか髪の毛短い方なのだからワックスそんないらないって。あと武芸者っぽい髪型って何だよ。武芸者がワックス使うかよ、そこから間違っているだろ。はぁ、なんつー残念な奴なんだ……。
「さて、そろそろ上映時間だな。そろそろ行こう」
独り言えげつないっすねー、と内心呟いていた俺に思わぬニュースが隣から飛び込んできた。は……こいつ何言ってんの? 上映……それって映画のことだよな。そっかー、ここのって映画館すぐ横のトイレだから利用者は基本的に映画館に用事がある人が大半だろう、てことは池内君もその一人ってことで……はぁ? マジかよ、こいつも来るの!? いやいやいやー、それはないよ。さすがにそれはないって。映画館でジュース買う時にサイズがS、R、Lの三種類で「おいおいRって何だよ、真ん中ってMじゃないの?」と戸惑ってRの読み方が分からずにLを注文してとんでもない大きさのアメリカンサイズが出てきた中学二年の俺くらいないって。いや駄目だって、なんでこいつと今日に限って会わなくちゃならないんだ……って待てよ。まさかだよな、さすがのさすがにそれはないだろー。俺達と池内君が同じ映画を観るだなんてそんな偶然があるわけがない。他にも上映されている映画はあるんだ、そうそう被るわけ
「『世界の中心で踊る相棒SPと賢者の石』か……楽しみだな」
「最悪だな!」
「む?」
ぐあ……しまった、思わず声に出てしまった。ツンツンヘアーを作っていた池内君の手が止まり、こちらを見てくる。ヤバイ、めっちゃ見られてる……っ。こいつ普通に人に絡んでくるタイプの人間だからなぁ……この前会った時も俺が火祭と同じ高校の生徒ってだけで喧嘩口調で話しかけてきたし。今こいつと絡みたくないし何より俺の正体がバレるのは良くない。フォローしろ茶髪の俺よ!
「っ、ま、マジヤベーわぁ、もぅ映画始まる時間じゃね? マジガチでヤバイんですけどぉ~。マジぃそご」
「……」
俺なりのギャル男風な口調と風貌を設定しそれを実行。我ながら酷い演技だと思うが、これでなんとか凌ぐしかない……。よ、よしこのまま逃げよう! 池内君も俺の言葉を聞いて「確かにもう時間がないな」って顔してるっぽいし、急ぐフリしてこの場からエスケープだ。踵を返して即刻トイレから脱出、ポケットに入れておいたチケットの半券を入口前で待ち構えているお姉さんに押しつけるように見せて素早く入場。……池内君と同じ映画かよ。くそっ、てことは火祭と池内君が同じ空間にいることになるじゃないか。もし会ったりしたら偽デートの騒ぎじゃなくなる。なんとしても池内君に火祭を会わせるわけにはいかない。ま、まあさすがなさすがのさすがに大丈夫でしょーよ。いくら同じスクリーンだからって席は何十席とあるわけだし、そんな俺達とあいつが近くになるとかありえないって。……そうであってほしい。




