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続22 色んな形で二人は繋がっている

いつも『へたれ犬じゃない』読んでくださって本当にありがとうございます。


今回の話はかなり長いです。すいません(汗) 


正門で水川と別れて再び美保梨ちゃん捜索のため自転車を走らせる。俺ってばどんだけ通学路を往復してんだよって話だよね。一日でこんなに走ることなんて滅多にないと思う。いい加減そろそろ見つけたいところだ。なんせ全力疾走のせいで吐き気はするし顔面はエルボーによる強打で腫れるし大声出し過ぎて喉は痛いし自転車漕ぎ過ぎて足はヘロヘロで体はもう限界を迎えようとしている。軋む骨と枯れた喉と奔流する血液、全てが苦痛として満身創痍な全身をさらに痛めつけてくる。いやホントもう体力的にも精神的にも無理ですって。今にも漕ぐのをやめ、叫ぶのをやめ、頑張るのをやめて何もかもシャットダウンしてそのまま地面に倒れ込みたいと何度も思いかけたがその度に、それじゃあ駄目だろと誰か知らんおっさんが活を入れてくる。誰だこのおっさん、なんか知らないけど肩に乗ってずっとエールを送ってくれている。もしかして俺の中の天使か何かですか? だとしたらすげー嫌なんですけど。天使は天使だろ、もっとキューピーな妖精みたいなのがいいです。なんで俺の天使がおっさんモデルなのか今は考える暇もないが、とにかく俺は自分の中で頑固として折れず真っ直ぐ芯をもった意地に支えられてずっとずっとずーっと頑張っている。ただの中途半端な優しさ、偽善にもならない臆病な決意だけなのに、何をこんな全力出して嘔吐寸前まで頑張っているのやら。ホント自分の性分が憎たらしい。ま、そんなこと言っても仕方ないからひたすら走って叫んでやることやってますがね。


「美保梨ちゃ~ん! どこいるのぉ~!?」


探すべき人物の名前をビブラートを出しながら呼ぶ。なんか普通に呼ぶの疲れたからビブラートで呼んでみることにした。……いや、こっちの方が疲れるか。馬鹿だろ俺。にしても一体どこにいるんだ美保梨ちゅあんは。たぶん学校周辺のどこかにいると思うんだけど……なかなか見つからない。俺の後を追って迷子になったらしいが、俺自身あの時は無我夢中で走っていたから後ろの気配なんか気にすることなんてなかったからなー。どこまで美保梨ちゃんがついてきていたのか知るわけがない。こういう時に何か特殊能力的なものがあれば便利だよね。嗅覚を犬並に強化する能力『誇りを嗅ぎ分ける(ドッグポリシーポリス)』とか、対象の姿を水晶に映し出す能力『水晶眼(クリスタルアイ)』とか。……中二っぽい発想だなこれ。高校生にもなって超能力の類いを想像してしまうとか恥ずかしい……。これが俗に言う黒歴史というやつか。べ、別にいいじゃん。なんかカッコイイ能力とか憧れるじゃんか、それが男のロマンってやつだろ。なぁ天使のおっさん! ……おっさんに聞いてどうする。つーか変な妄想をしている時間はないっちゅーに。てことで美保梨ちゃん探し続行。


「美保梨ちゃ~ん、いたら返事して~」

「あ、はい」


いたよ! …………いたの!? なんで!? ちょっとした細い道を抜けた先のすぐ傍に美保梨ちゃんはいた。いつもの可愛らしさ抜群の笑顔でこちらへと駆け寄ってきているではないか。なんと、あっさり見つけてしまった。いや見つけるのにここまで相当苦労したのだけど、なんというか……サラッと出てきたから驚いたよ。しゃぶしゃぶとかで肉をサッと湯通しする感覚で見つけたみたいな。なんだこの超絶分かりにくい例え。突然の出来事に脳もついていけてないようだ。いや、だって、こんな簡単に見つかるとは……。いやだから今まで散々苦労していたのには違いないが、こんな形であっさりと終わるとは思っていなかったってことなんだよオラァ! あれ、俺なんでキレ口調になってるの?


「兎月さーん!」

「だから腹は駄めぐみぃぐぼえばはらぁ!?」


またしても油断していた。最近お馴染みの美保梨ちゃんバズーカが襲ってきたではないか。もう俺のライフはゼロだというのにそんなのお構いナッシングの美保梨ちゃんはフルパワーで突っ込んでくる。疲労感マックスの体に追い打ちをかけるように激しい衝撃が腹を直撃し、内部を破壊する。いやホント……マジ勘弁してください。あなた方姉妹はそこまでして俺に恨みでもあるの? 姉に喉と顔面を肘打ちされ、妹の方には腹に弾丸を食らわされ、いい加減にしないと本気で吐くけどいいかな!? 何回吐き気を催したと思っていやがる! 半分は疲労によるものだけど残り半分は水川姉妹によるイミフな暴力によってだからな。チクショーなんだか泣けてきたよ。


『まあそう言うなって。よくやったよお前は』

「おっさんが喋った!?」

「え?」


幻聴に惑わされた俺のツッコミに美保梨ちゃんがキョトン顔をする。い、いかん。蓄積された痛みで天使のおっさんが具現化しそうになった。落ち着け将也よ、さっきから感情の起伏が激しいぞ。色々と人体に損傷が出たものの美保梨ちゃんを無事見つけることが出来たではないか。それで十分だよ、もう何も考えなくていいって。天使のおっさんお疲れっした。もう帰ってくださいー。……そしてさりげなく叫び声に混じって「めぐみ」と言ってしまった。めぐみ……春日恵……。うーむ、今ふと思ったが俺と春日って付き合ってからも呼び方とか変わってないよな。出会った時と変わらず兎月と春日だもんなぁ。それに慣れたからのもあるし今さら呼び方変えるのもどうかなーって話だよな。


「……兎月さん?」

「へ? ああ、ごめん、ぼーっとしてた」


腹に顔をうずめていた美保梨ちゃんだが、俺がぼんやりしているのが気になったようで上目遣いでこちらを見つめてくる。ここでキュンキュンしちゃうと間違いなくロリコンの疑いがあるが、俺はそんなことにはならないぞぉ。ジェントルマン風の精悍なフェイスで微笑み返す。それを見て嬉しそうに笑う美保梨ちゃん。この子はやっぱ立派だわ。てっきり迷子で泣いていると思ったのに全然動じてない。いつもの美保梨ちゃんだ。俺と水川のいらぬ心配だったな。美保梨ちゃんはしっかりしているから迷子程度のハプニングじゃ泣いたりしないか。たくましいというか神経が図太いというか……総合的に見ると凄過ぎる気もするなぁ……マジでこの子将来とんでもないことになるのではないだろうか。それこそ姉の水川を越えるぐらいの小悪魔女子高生とかに……いやそれは駄目だ! これ以上あんな毒舌な可愛い女の子が増えるのは勘弁してほしい。


「えへへ~」

「ほら、毒舌お姉ちゃんが心配しているから行こう」


そのまま美保梨ちゃんを後ろに乗せて自転車を走らせる。そこは特等席なんだよー、とか大人げないことは言わない。最近は全然乗せてなかったし、最近は一緒に帰ることもなかったし……ぐすん。と、とにかく美保梨ちゃんと一緒に水川の待っている部室へと向かうことに。はぁ、やっと見つかった。これで一安心だな。あくまで一安心だ。俺にはもう一つやることが残っているわけだし、まだ気を抜いてはいけない。ホント……今日は朝、昼、夕方と一日を通して色々なことがあった。その上まだ終わってないなんて、こういう日を濃厚な一日だったと言うのだろうか。決してこってりとんこつラーメンを食べた日のことを濃厚な日とは言わない。そーゆー意味の濃厚じゃない。そしてなぜ俺は急にとんこつラーメンの話をしたんだ? 自分で自分が分からん。


「ところで兎月さん」

「はいはいなんでしょー」


体力ゲージも残り少ないから自転車を漕ぐスピードはいつもの二割減だ。遠くの山へ落ち始めている夕日に目を細めながらゆっくりのんびりと自転車に乗って学校を目指す道中、後ろでしがみつく美保梨ちゃんが何やら質問をしようとしている。この子は元気だなー、自分が迷子になったという自覚はないのか。もしくはその時に不安や焦燥を感じていなかったのかな? 後ろで俺の脇をなでなでしてくるし今の声だって明るい。くすぐったいわ。俺が小学生の頃とか親とはぐれただけでこの世の終わりだと言わんばかりに泣き叫んでいたのに、それと比べると美保梨ちゃんの精神は本当に堅固なものだな。本場のとんこつラーメン店で頼む麺のバリカタぐらい固いと思う。……だから俺はさっきからなんでとんこつラーメンを物差し代わりに物事を説明しているんだよ。安定して自分で自分が分からん。……なんだよ安定して分からんって。もはや日本語として伝わってないだろ。あまりに疲れ過ぎて脳がまともに機能していないみたいだ。


「春日さん……でしたっけ? ちゃんと会えましたか?」

「……」

「兎月さん?」

「天使のおっさん、替え玉ください」

「いや意味が全く分からないですっ」


俺だって分からないよ。なぜ天使のおっさんにとんこつラーメンの替え玉を注文したのか。なぜ……春日のことを後回しにして美保梨ちゃんのことを探したのか。優先順位がおかしいのは重々承知ですよ。さっき水川にも言われました。


「もしかして会ってないんですか?」

「……まぁ、うん」

「もしかして……私を探していたからですか?」

「……まぁ、うん?」


なぜに疑問形だ俺よ。


「そうですか……」


すると美保梨ちゃんはそれっきり黙ってしまった。いつもみたいな明るくて元気な口調はどこへやら、さっきまで執拗に脇を触っていた両手も腰回りに落ち着く。今は振り向けないので後ろの美保梨ちゃんがどんな顔をしているのか知ることは出来ないが、この雰囲気的にどう考えても意気消沈している気がする。あれ、もしや俺と春日に申し訳ないと思っているのかな? いやいや、確かに美保梨ちゃんの愛人発言が爆弾となったのもあるかもしれないが、そこまで気にすることじゃないと思うよ。この子ったら、やっぱ良く出来た子だわ。自分のせいで俺に迷惑をかけたと思ってへこんでいるんだ。小学生なのに、よくもまあそんなところにまで気づけるものだなぁ。リピートするけど俺が小学生の時は迷子になったら泣き叫んで他のこと考える余裕なんてなかったよ。


「ごめんなさい……」


しばらく沈黙が続いた後、美保梨ちゃんが小さな声でそう呟いた。いつもの活気ある声からは想像も出来ない、風の吹く音にも負けそうな消え入る声だった。そんな気にすることじゃないと思うけど。まだ子供だから仕方ないと思うよ。俺が小学生の時は……もう以下略で処理していいよね!


「いやいや、気にしなさんな。美保梨ちゃんが無事で良かったよ」

「え……」

「大切な友達の大切な妹だからさ。俺の方こそごめんね、置いてけぼりにしちゃって」

「……」


それにこれくらいじゃ俺はへこたれませんよ。美保梨ちゃんのやったことなんて大したことじゃありませんって。ある人なんて、いきなり婚約者だとか名乗って俺から主人を奪ったり、その人が事実を隠したせいで俺が退学したこともあるんだからそれに比べたら全然だよ。


「……兎月さん!」

「痛い痛い。何?」


フォローを入れた後も数秒ほど沈黙があったが、次喋った時の口調はいつもの美保梨ちゃんに戻っていた。加えて腹の辺りをグニグニ掴んでくる。くすぐったいしちょっと痛い。なんか……元気になった? 今さっきまで仄暗いブルーなテンションだったのに気づけば元通りだ。そして美保梨ちゃん、あなたは腹を中心に攻撃を仕掛ける傾向があるようだね。普段よくやる人間魚雷も狙いは腹部だし、今だってお腹まわりを抓ってくるし。まあ姉の水川は喉と顔面を狙ってくるからそれよりはマシか。にしても……美保梨ちゃんは急にどうしたのだろうか? 俺、何か変な発言した?


「私……いつか愛人じゃなくて本妻になりますから!」

「……? うん、まあ……頑張れ?」


何やら決意したような気合いの入った声だったが、言葉の意味はよく分からない。愛人じゃなくて本妻? まあ美保梨ちゃんもいつか大人になったら結婚するんじゃないの? あ、そーゆー意味か。つーかだから小学生が愛人とか本妻とか危ない言葉使うんじゃありません!











『春日?』

『うん』

『今、部屋にいるんでしょ』

『うん』

『俺、部屋の前にいるから』

『うん』

『えっと、話聞いてくれる?』

『うん』


無事に美保梨ちゃんを水川の待つボランティア部の部室へ送り届けて一件落着、とはいかない。とりま姉妹感動の再会を微笑ましく見届けた後、夕日が半分ほど沈んだ紅の空の下を再び自転車で走り抜けた。何往復したか分からんが、一つ分かることは人間走って走って叫んで走って叫ぶと、本当に吐くんだ。いや吐いてないよ? でもマジで限界ギリギリだった。疲れ果てて地に伏せようとしながらも気力で春日家の門にまで辿り着き、インターホンを押したところで今日最大の波が来た。あと少し気力が足りなかったら恋人の家の前で盛大に吐き散らすところだったが男として彼氏として人間として、なんとか我慢出来た。けどまあインターホンに出た春日母の呼びかけに対して「あ、兎月でおぼべえぇえぇ」と返してしまったのは悔やまれる。そこからはなんとか立ち直して春日家の立派なお屋敷へとお邪魔しまーすした。外見も凄ければ中も豪華絢爛っすね~、的な感想はここに来る度にツイートしているので今日は割愛させていただきます。さて、と。てな感じでやっと春日家に到着しまして今は春日の部屋の前で無言のままひたすら突っ立っている。恐らく前川さんから事情を聞いたであろう春日のお母さんは、娘は帰ってきてからずっと部屋から出てこないと言って俺をその娘さんの部屋の前まで案内した後「後はよろしくね」と告げて去ってしまった。……信頼されているのか投げやりにされたのかよく分からんが、春日母は俺に対して詮索するような真似はしなかった。前川さんも軽く会釈するだけで詳しい事情を聞いてこなかったし、うーん……後は俺がなんとかしなさいってことなのだろうか。いやまあもちろん俺のせいなんで俺が精一杯なんとかしますけど。


「えっと……春日、聞こえてる?」


やっとここまで来れた。ふぅ、ここからどうなるのか。多少不安な部分があるが今はこうやって正面から向き合うしかない。ドアを挟んでだけど。つーか部屋の中の春日が俺の方を見ている確証もないから俺が勝手に喋るしかないんだけどね。とりあえず部屋の前に着いてからはノックしてみたけど全っっっく反応がないからメールを送信。するとすぐに返信が返ってきた。そして今やっとドアに向けて一言目を発することが出来たところだ。メールは返信があったが、この問いかけに対しては何の反応もない。……たぶんドアの近くにいると思うんだけどなぁ。気配がないから何とも言えない。そもそも春日は気配を絶つことに長けた人物だ。俺なんかじゃこの部屋の中に春日がいるかどうか分からない。こういう時にも『水晶眼(クリスタルアイ)』の能力が役立つよね。はい、ごめんなさい。今はそんな中二心で遊んでいる暇はないよな。……一刻も早く謝って、誤解を解かないと。


「……あの、ごめんなさい」


……ホントにこれ聞こえているのか? いや諦めるな。ここで退いたら今まで同じだろうが。こうやって一歩進めたんだ。さらに一歩、さらに近づかないでどうする。


「なんか別荘から帰ってきてから全然話せてないけど……。微妙な空気がずっと続いていたけど……俺は全然そんなの気にしてないというか、それもまた俺らなりの歩み方というか、素晴らしいかなーとか」


ああぁぁぁぁ!? グダグダじゃないか俺っ。もっと要領よく喋らないと……う、ううぬぬんんっ。落ち着け将也よ、君なら出来る!


「……さっき、学校の正門のところで会ったよね」


さっきとか言ったが実際のところ相当な時間が経っているけどね。ホントすいません、すぐに来なくて。優先順位を分かっていながら間違えてしまったんです。これも後でしっかり謝らないと。


「えっと、まずは……俺が今日一緒に帰ろうと誘ったのに、それが出来なくてごめん。それと……っ、あー……あの時隣にいた愛人って名乗った小学生だけどさ……」


……ただ俺だけが喋っているけど、これ春日聞いているのか? いや駄目だ、疑ってはいかん。例え聞いていなくても俺は懸命に伝えないと。


「あれ水川の妹でさ、美保梨ちゃんって言うんだ。別に俺は浮気とかそういうことは断じてやってないので安心してください」


というか、今ふと思ったんだけど、春日家ってことは春日父の家でもあるんだよな。……あいつまだ仕事から帰ってきてないけど早いうちになんとかしないと奴が帰ってくる。それはマズイ。あいつは春日母と違って間違いなく俺に事情を吐けと追及してくる。そしたら兎月家並びに俺の命は……ジ・エンド。それはヤバイ、急がないと。


「あの時、春日は逃げたけど……俺と美保梨ちゃんは決して春日が思っているような愛人ウフンな関係じゃないんだ。最近知り合ったばかりだし、つーか俺はロリコンじゃない」


恋人の部屋、しかも立派なお屋敷で弁明することじゃないけど俺にロリ疑惑があるなら晴らしたい。


「……」


あとは……何を言えばいいんだ? い、一応誤解を解いた、はず、だよね……? ドアの向こうは音一つ聞こえない。防音設備がいいのか春日が無反応なのか。というか防音設備が完璧だったら今までの説得全て聞こえてなくね!? ど、どうしよう……。またメールで説明するか? いや待て、俺の語彙力じゃ事情を上手く文章に出来る自信がない。それに長文を打つのもどうかと思う。やっぱこういうのは口で伝えるのが一番だ。でも春日の部屋が防音だと……


「……あ」


その時、携帯が震えた。これまで散々バッドなタイミングで鳴りやがった携帯。でも俺と春日をメールという形で繋いでくれた存在でもある。そんな赤い糸が小気味よく振動していつも聞いてきた携帯独自のメロディを奏でる。サブ画面に表示される電話マークと……春日恵の文字。それをこの目で確認した瞬間、手の感覚は消えて携帯の振動も感じられなくなった。それだけじゃない、呼吸も止まって音も消えて、自分を取り囲む全ての何もかもが無音となって存在が消えた。感じられるのは……自分の鼓動と………無重力の空間に佇む目の前の無機質なドアの奥の……そこから聞こえるもう一つの鼓動。


「……もしもし?」


この空間に自分を含めた二つの存在があると分かった時には手が勝手に電子機器を耳元へ持ってきた。ハッと意識が現実世界に帰ってきた瞬間だった……振動していた携帯は止まり、代わりに自分の心臓と肌と声が震えるのが分かる。掠れるような声しか出せないくせに手だけは必死になってこの赤い糸を握りしめていた。


『……兎月』


やっと聞けた……春日の声。いつも通りの……いやまあ最近はろくに声も聞けてなかったから何とも言えないが、それでも……いつも通りの無感情で無表情で無口な……そんな春日が喋っているんだなって思えた。そうだ、これだよ。あぁー、ヤバイ……名前呼んでもらえただけで意識が飛びそうだった。疲労感が主な原因だろうけどトドメはこの春日ボイスだ。全身の力が抜けてその場に座り込んでしまう。情けねぇ……でも幸せだ。やっと……やっと安心出来た。はぁあぁぁぁあっぁああああ、この声を聞くために頑張ってきたんだよな。ヤベ、まだ何も解決してないってのに口元が緩んでしまう。


「うん、俺だよ」

『……』


今度は無言だ。さっきまでドアに向かって喋っていた時には感じることの出来なかった春日の無視。どちらにしても無音なのには変わりないが、それでも春日の無言は違う。ちゃんとそこにいるって思える。電話という形で二人がちゃんと繋がっているって実感出来る。


「さっきまで部屋の前で演説していたけど聞こえてた?」

『……うん』


そりゃ良かった。安心して力が抜けたせいで立つことが出来ないのでドアにもたれかかる。うーん、今思うとこの扉の向こうに春日がいるんだよな。そしてこの向こうは春日の部屋なんだよな……ご、ごほんごほん! ちょっとデヘヘな妄想をしてしまったが気を取り直して携帯に耳を傾ける。


「なんで逃げたの?」

『……浮気かと思った』


やっぱそう捉えたのね。美保梨ちゃんの愛人発言がマズかったか。


「いやいや美保梨ちゃんどう見ても小学生じゃん。俺が小学生に手を出すと思ったの?」

『……』

「ちょ、その無言は怖いんですけど!?」


だ、大丈夫だって! いくら俺がヘタレ野郎でも小学生に発情することはありません。再三言うけど俺はロリコンじゃないんで。そこだけは激しくプッシュするんで!


『……馬鹿』

「そんな怒らないでよ。ごめんって」

『……来るの遅い』

「それについてもマジでごめんなさい。実は……」


美保梨ちゃんが迷子になったことを説明する。いやぁ、それにしても電話ってイイネ! 出会った当初は俺のことなんか徹底的に無視していた春日だがこうやって付き合い始めてからはある程度の反応を示してくれるようになった。おかげで電話でもスムーズに楽しく会話が出来る。多少の無言もあるがそれが春日らしいってことでご愛嬌。


『……そうだったんだ』

「うん。だから来るのが遅れました。すんません」

『別にいいよ』

「そっか」


そういや……今って春日は俺と直接話せるのかなぁ? 昼休みの時はメールで会話出来たけど直接話しかけると逃げられた。でも放課後の時は春日から話しかけてきて……その直後ってことを考えると俺達っていつもみたいに普通な恋人の関係に戻れたの? こればっかりは直接会って確認しないとな。俺自身はいつでもウェルカム状態、いつだって春日を抱きしめる準備万端だが問題は彼女の方にありまして。別荘でのイチャイチャ以来まともに接してない。照れ隠しのようだが、それも今回の事件をきっかけに解消されるといいんだけどな……。


『……兎月』

「ん、何?」

『……』


……うん?


『なんでもない……』

「そっか」

『……そ』


なんだろう、今の間は。何かを聞きたかったような歯切れの悪い「なんでもない」は。なんでもなくないぞ。俺だってこれでも春日の彼氏をやっているんだ、彼女の機微たる変化だって気づける。それはまあ数か月ほど下僕をやってきて常に春日の傍にいたからこそあまり見えない春日の微妙な変化に気づけるようになったんだけどね。


「あ、そうそう。なんか美保梨ちゃんがいつか愛人じゃなくて本妻になるって言ってさー。小学生がそんなアダルトなワード言っちゃ駄目だよなー」

『……』

「ん……春日?」

『……馬鹿』


………え、えぇー……? さすがに今のは分からん。彼氏だけど全てを把握しているわけじゃないから今の春日の馬鹿発言がどういう意味で言ったのか理解出来ない。別に会話としては普通だったはず。春日の気に障ることを言った覚えはないけど……何か不満なことでもあった?


「か、春日?」

『……』

「あの……」

『……美保梨ちゃん』

「……?」


……美保梨ちゃん。うん、それがどうかしましたか?


『名前で呼んでる。……ちゃん付けで呼んでる』

「……へ?」


いや……美保梨ちゃんは美保梨ちゃんだもん。名前で呼んでるというか名前で呼ばないと。水川妹って呼ぶのも失礼だし、小さくて可愛いからちゃん付けで呼んでいるって感じなんだけど。それの一体何が不満だと言うんだ……?


『……名前で呼んでる』


それを繰り返し言う春日。…………もしや、春日も名字じゃなくて名前で呼んでほしいとか? さっき自分でも考えたけど俺達って付き合う前と付き合った後で呼び方が変わってない。兎月、春日と。俺がずっと美保梨ちゃん美保梨ちゃんと言っていたから……春日も下の名前で呼んでほしくなったってことか? だとしたら……


『……馬鹿』


すげー可愛い。心臓は走り過ぎたせいでもう動けないはずなのに再びまたエンジンがかかったようにバクバクと脈打ちだした。うおぉぉい、落ち着け俺の心の臓よ! 春日が超可愛いからって興奮するのはやめろ、これ以上暴れるとマジで破裂するよ!? 






………名前で呼ぶ、か……。


「あー……」

『……』

「……恵」

『っ!?』


意外とすんなり言えた……けどすげー恥ずかしい。ちゃんと発音出来た自信はないけど一応は、恵……と言えたはずだ。うおぉ、恥ずかしい。とんでもなく恥ずかしい! だって出会った日から今日までずっと春日と呼んでいたのを今さらになって下の名前で呼ぶとか……照れ臭くて心臓捻じ曲がりそうなくらい恥ずかしいです。め、恵……ぐふっ、心の中で復唱しても照れちゃうよ。呼び捨てで良かったのかな……? 恵さん、とか恵ちゃん、なんて感じで……どちらにしろ結果は一緒か。つまりは新しい呼称になるわけだから、呼ぶ方の俺は変な感覚だし呼ばれた方の春日だって驚いてい…


『~~っ!』

「痛い!?」


耳元で何か呻く音が聞こえたかなと思ったら、いきなり背中に激痛が走った。それと同時にドアが悲鳴を上げる。痛っ~……超痛い! え、何? 何なの? 今何が起きたんですか!? ドアは閉まっている……でも確かに背中には蹴られたような痛みがあるし……あれ? もしかして、向こうで春日がドアを蹴ってその衝撃が俺の背中にぶつかったのか? だとしたら恐怖なんですけど……ドア伝いに蹴りを入れてくるなんて武道の達人レベルの神業だよ。慌ててドアから距離を開ける。次来るとしたらドアを貫通しての衝撃波だと相場は決まっている。こちとら文字通り満身創痍なんだ、これ以上のダメージは食らいたくない。すると、


「……あ」

「……」


突然の蹴りに悲痛な叫びを上げたドアが今度は小さく軋む音と共にゆっくりと開いた。そこに立っていたのは……かす…じゃなくて、恵だった。俺以上に顔を真っ赤にしている。いや赤というか紅蓮色だな……それくらい顔を真っ赤に染めた恵ちゃんは口をギュッ~と閉じてプルプルと震えているではないか。あのサラサラな髪の毛先は意志を持っているかのように荒々しく宙を旋回している。え、えぇー? も、もしかして怒っている? 俺がいきなり下の名前で呼んだからキレましたか!? あれっれー? 俺の読みだとてっきり名前で呼んでほしいのかと思いましたが……違った感じ?


「ち、違うんだ。これは……」











慌てて弁明しようと口をパクパクしたが……その口はさらにパクパクすることになる。心臓は完全に爆発した。意識なんて天使のおっさんに連れられて空へと飛んでいってしまった。恐らく今俺ってこの人と同じくらい顔が真っ赤なんだろうな……その自信がある。ずっと握り続けていた携帯は指先から零れるようにすり抜けて床へと落ちる。けど音は聞こえない。何も聞こえない。またしても辺りは無音の無空間へ変貌する。その中で確かに感じることの出来る二つの鼓動、二つの存在。それは……さっきはドアを隔てて存在していたのに……今はその二つは重なり合って、お互いの鼓動を伝え合っている。


「……か、春日?」

「~~っ」


春日が抱きついてきた。何も言えぬまま、体も動かせぬまま、ただただ春日が接近して俺に抱きついてくるスローモーション映像を見続けることしか出来なかった。二人だけの世界、その中で春日の温もりを全身で受け止めた時には顔は大量の熱を放出するくらい真っ赤になってしまった。え……えっ? か、春日さん? だ、だだだだ抱きついてきたけど……え、えぇ!?


「……兎月ぃ」

「春日……」


そして俺も春日を抱きしめる。温もりをしっかりと確認するように、自分の鼓動を春日に伝えるように、二人の気持ちは一緒だってことをお互いに知らせるために、俺と春日はただただ抱きしめ合った。


「なんつーか、こうやるの久しぶりだよな」

「……うん」

「ずっと気まずい感じだったからな」

「……うん」

「また元みたいに戻れるよね」

「うん」

「春日……」

「……」


無言で脇腹を抓られた。痛い、割とガチで悲鳴が出るくらい痛い。美保梨ちゃんがやってきた軽い抓りとは次元が違う。美保梨ちゃんよ、これが本当の抓りというやつだ。いててて、春日の抓りを受けるのも久しぶりだな。つーかなんでいきなり抓ってきて………あー、うん。そゆことね。……俺も恥ずかしいんだぞ?


「……恵」

「っ……うん」


抱きつく春日の耳元で優しく囁くと抓る力を弱めて春日は弱々しく鳴いた。これでやっと……二人は元の関係に戻れたのかな。最初はただ気まずいって理由で少しだけ距離が離れただけなのに気づけば話しかけにくい空気になっていた。そんな中、美保梨ちゃんの疑わしい発言のせいでさらに俺達の仲は悪化して、もう駄目なところまで行きそうだった。でもこうやって抱きしめ合うだけで俺達は元通りに戻れた。話せないのが何だ、こうして寄り添うだけで全て解決しちゃうんだから全然問題ない。あぁ……なんかもう……幸せだなぁ。こうして春日と一緒にいられて……本当に俺は幸せだ。もう離さない、この人を絶対に離さない。ずっとずっと傍に居続けたい。俺はそう思うよ。……恵もそう思っているよね? ……そんな気がする。だって俺達は今お互いの気持ちを伝え合っているんだ。恵の気持ち……分かるよ。だから……


「ただいまー! ママ、恵ー! パパが帰ってきたよ!」


だから……玄関の方から春日父の声が聞こえたから慌てて春日を抱きしめたまま部屋の中へ逃げ込んだ。あ、の、野郎ぉ……!


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