続21 ドヤ顔に決まる見事なエルボーと昔の気持ち
春日がリムジンを召喚するのは予想外だったが俺がやることは何一つ変わらない。萎縮した心臓、背骨、筋肉、それらが再び息をするのを深呼吸に合わせて感じ取り、息を整える。目を閉じれば浮かぶ……春日の悲しげな表情。あんな顔は二度とさせないって誓ったんだけどな……またさせてしまった。最低だな俺って、またグダグダと馬鹿やっているうちに何も出来ずに終わってしまいそうではないか。それじゃ駄目って、何度も何度も警鐘し続けてきただろうが。何度も何度も自分に活を入れてきただろうが。はぁ……いつまでも反省している余地なんかない。とりあえずは春日を追っかけないと。既に走り去って視界からはとうに消えたリムジン、けど行先は分かっている。つーか知らないわけがない。目指すは、春日の家。直接会って、誤解を解いて、そして……またいつもの二人に戻るんだ。
「うっしゃ! なんかやる気出てきた」
目を開いた瞬間には全身の機能が元通りになっていた。久しぶりのハイテンションに侵されて震える両足は地面を抉り蹴って走り出すのを今か今かと心待ちにしている。心臓は落ち着きを取り戻し、渇いた唇をぎゅっと結んでニヤッと緩めて、熱を放出する指先を思いきり握って拳を掲げる。準備オッケー、いつでも発進出来る状態だ。さあ、春日を追いかけようぜ!
「待ってください兎月さん!」
と思ったら美保梨ちゃんのストップコール。先走りした足がもつれて地面に倒れそうになった。スタートダッシュに失敗した配管工のおっさんの気分だ。マンマミーアって口から零れそうだったぞ。ハイテンションを燃焼して狂ったように走ってやるつもりだったのに。なんですか美保梨ちゃん。後ろを振り返れば美保梨ちゃんはキョトンとした顔をして制服の裾を引っ張ってくる。なんか小動物みたいで可愛かったがそんなことは後でゆっくりと思い出せばいいから今は一刻も早く春日の元へ行きたいのですが!? なんですか!?
「今の誰ですか? もしかして兎月さんの彼女さんですか?」
そのとぉーりだ美保梨ちゃん。それを肯定するようにドヤ顔でグーサインを掲げる。すると美保梨ちゃんはガーン!と効果音を添えて目を開いて大声を上げた。うおっ、うるさい。山倉の騒音ボイスの一割程度にうるさい。そんなにびっくりしたのか、美保梨ちゃんは落ち着きを失って俺の腰をぐいぐい引っ張ってくる。ちょ、何をそんな興奮しているんだ?
「それホントですか!? あんな綺麗な人が兎月さんの彼女だなんて……ありえないです!」
「ありえないなんてことはありえない。つーか今の何気にひどい台詞だなおい!」
キザな顔でとあるホムンクルスの名言でも言おうかと思ったけど美保梨ちゃんの毒舌に思わずツッコミを入れてしまった。確かに春日は超がつくほどの美人さんだ。性格に難アリなことは置いて、そんな美少女と俺が付き合っているのがそんな驚きかね。……うん驚きだよね! 学年トップレベルの美少女と極普通な男子が交際しているなんて普通に考えたらありえないよな。犬種で言うならば血統書付きのセレブ犬と雑種のへたれ犬が付き合っているみたいな関係だ。美保梨ちゃんが驚くのも理解出来る、だって釣り合ってない感を俺自身が痛切に感じているのだから。むむっ、俺だってイケメンに生まれたかったさ。それはもう神様にクレーム言うしかないじゃん。けどさ、それでも春日と俺は恋人同士なんだよ。それをありえないだなんて言われちゃあ彼氏の俺としてはショックを隠せないです。
「とにかく、俺は春日を追わないと」
こんなところでダラダラとやっている暇はない。車での移動スピードを嘗めたらあかん。あっという間に家に着いて春日は自分の部屋で泣いているかも……あ、あかん!
「じゃあ私も連れていってくださいっ。愛人として本妻に挨拶しておきたいです」
「うん、色々とツッコミ入れたいけど全て飲みこんだから安心して!」
だから水川はそんな本妻とか危うい単語を妹に教えるなよ! そして美保梨ちゃんもなんで一緒に来たがるんだよ。愛人が本妻に挨拶に行くとかそんな礼儀正しい喧嘩の売り方は斬新過ぎるって。悪いけど、こっちも急いでいるので美保梨ちゃんを連れていく余裕は微塵もない。制服を掴む小さな小学生らしい手を振りほどいて再びエンジンをかける。随分とタイムロスしたな、早く春日に会いたい……そして仲直りしたい。また一緒に歩くために!
「てことで美保梨ちゃんバイバイ! お姉ちゃんは部室にいると思うよ」
「あっ、待ってください!」
早口でお別れの言葉を告げてアスファルトの地面を蹴る。坂道の傾斜と同じ角度で体が傾き、走るスピードは急激に加速していく。あっという間に転んだら大怪我するレベルの速さになった。今転ぶと次に目が覚めた時は病院だろうなぁ、そうはならないよう気をつけて全力疾走してるけどね。なんか変な日本語になったが気にしなーい。そして後ろから美保梨ちゃんが何やら叫んで後を追っているような気配がするがこれも気にしてはいけない。こう言ったら悪いけどもう美保梨ちゃんに構っている時間はないのです。一秒を惜しんでこうやって坂道をアクセル全開で駆け抜けているんだ。美保梨ちゃんはしっかりしているからそのうち俺を追うのやめて一人で部室に向かって水川に会いに行くだろう。よし、大丈夫そうだ。そう思えて脳は機能を一時停止した。ただ走るだけに集中する、目指すべき場所にいち早く着くため全神経と全エネルギーが集中する、全ては春日に会うために……待っていてね、今向かうから。
「はぁ、はぁ……うっぷ、お、おえええぇぇぇえぇ……」
結果、吐きそうになった。そりゃまあ学校から春日の家までそれなりに距離があるわけで、そこを全力で走ろうものなら道中酸素切れで倒れるだろう。でも頑張った、速度は落ちたけど立ち止まることなく春日家の正面入り口まで走ってきた。死ぬ……つーかゲロりそう。誰かビニール袋持ってきて、本格的に吐けそうだから。ぐぅ……はぁ、あーキツイ! 死ぬかと思った、途中で幾度となく意識が途絶えたけど気力のみで乗り切った。足は疲労困憊、心臓のポンプは過剰に暴れて破裂しそうだ。流水の如く溢れ落ちる汗が視界を塞いで肌に纏わりつく。全体を覆う疲労感に溺れて意識を手放したくなるが、まだまだこれからが本番なんだから気を緩めるわけにはいかない。やっとスタートラインに立ったようなものだからな、さて行きますか。何度も見上げてきた堅牢な門、その奥にそびえ立つ大きな城塞。なんかゴツイ表現になったが何が言いたいのかと言うとものすげーデカイ豪邸が目の前に君臨しているということだ。相変わらず大きい家だよな、ちょっと軽く眩暈が起きるほどだ。さすがは社長さん、あんな救いようのない親バカでも社会的にはお金持ちの超ビックなお方なのだと春日家のお家を見る度に思い知らされる。この豪邸みたいな家の中に春日はいるはず。今頃は自分の部屋でシクシク泣いているかもしれない。……こんな門の外でノロノロと休憩がてら豪邸を眺めている時間はないだろ。よっしゃ、待ってろマイハニー。
『ピロリロリーン』
インターホンを押そうと人差し指をピンと真っ直ぐ伸ばしたところで制服のポケットで携帯がメロディと共にブルブルと振動した。だから俺ぇ、いい加減にしようぜ。まーたマナーモードにしてなかったのかよ、この前担任にバレそうになったばかりじゃないか。にしてもこれまた絶妙なバッドタイミングで携帯も鳴りやがる。もっと空気を呼んでほしいものだな、と携帯のディスプレイに表示される登録名者に文句をぶつけてやりたい。インターホンに一直線に向かっていたはずの指先は折れ曲がって未だ震える文明の利器の方へUターンした。
「……水川から?」
メールの送り主は小悪魔女子高生日本代表に最も近いと俺が勝手に太鼓判を押している水川からだった。さらに驚くことにこのメールが届く前から着信が何通も来ているではないか。全部水川だ。走っていて電話に気づかなかったのは仕方ないと一人勝手に言い訳した後に水川へコールする。うーん、俺に用でもあるのかな。水川から電話が来るなんて珍しい、それも何度もかけてくるなんて……何か問題でも起きたのだろうか。膨れ上がった心情の中に不安な予感が少しだけ侵入してきた。もちろん少しだけ、やっぱ春日のことでいっぱいなんだよ。
『あっ、兎月!?』
いつもよりも数段階ほど甲高い声が矢の如く耳を貫通していった。漫画でよく見るような携帯を耳から遠ざけるようなアクションをする暇もなかった……耳が痛い。耳元で騒ぐ水川の様子が尋常ではないことはよーく分かった。対価として片耳を犠牲にした情報としてはちと少ない気もするが、まあとにかく落ち着いてください水川さん。
『何か返事ぐらいしなさいよ!』
「ちょ、うるさい。え、何? 新手のテロか何か?」
『兎月! アンタ美保梨を知らない?』
皮肉なツッコミを入れてみたが通用しなかったようで、水川の絶叫はまだまだ続く。これ以上はホントに鼓膜が破れてしまいそ…ん? 今……なんて言った?
「美保梨ちゃんが……どうかしたの?」
さっきまで一緒にいた人物の名前だ。春日を追うために、振り払って置いていってしまった美保梨ちゃん。あの後は一人で水川に会いに行ったのだろうと決めこんでしまったけど……。なんだ……この嫌な予感は………。急激に全身の汗がひいていくのが分かる。ま、まさか……
『……美保梨が迷子になった』
「なっ……!」
水川の言葉を聞いていく度に嫌な予感と不安が体を蝕んでいく。全力疾走で疲れた心臓が激しく鼓動していたのとは全く関係なしに心臓はまた徐々に心音を上げて震えだす。美保梨ちゃんが……
「ま、迷子!?」
『ちょ、兎月うるさい!』
思わず声を荒げてしまったのは申し訳ないと思うが水川だって負けず大声だからおあいこでしょ。とかツッコミ入れたかったけどそんな余地なんてない。一体何が何やら……。
『さっき美保梨から電話が来て、夢中になって走っていたら迷子になった、って。今自分がどこにいるか分からない……と言ったところで通話が切れたの。たぶん携帯のバッテリーが切れたんだと思う』
「そんな……」
『兎月を追っていたって言っていたから兎月が何か知らないかと思って……』
「……っ」
俺のせいだ。俺が美保梨ちゃんを置き去りにしてしまったから。きっと美保梨ちゃんは俺の後を追って迷子になったのだろう。いくら美保梨ちゃんが高スペックだからといってもさすがに小学生の運動能力で高校生に足で追いつくのは厳しいものがある。それでも懸命に後を追って……そしたら道を間違えて……あまり来たことのない土地だから迷子になって当然だ。くそっ、俺のせいで美保梨ちゃんが……。こうしちゃいられない。俺のせいで美保梨ちゃんが迷子になってしまったんだ、他の誰でもない俺の責任で。よく出来た子だと思うよ美保梨ちゃんは。でもまだ小学生だ。迷子になったら誰だって不安になるに決まっている。今頃もしかしたら一人どこかで泣いているかもしれん。なら探しに行かなくてどうする。そう思った瞬間に全身は一瞬だけ冷えてすぐにまた熱を帯びてきた。俺が行かなくて誰が行くってんだバカヤロー。
「とにかく水川は学校周辺を探してみて。俺も来た道戻って探してみる」
『え、ちょ兎月待っ…』
ピッと通話を終了。こうしちゃおれん、急いで来た道を戻って探さないと。そうだなぁ、さすがにもう一度走るのはキツイから一旦家に帰って自転車取ってくるか。よし、そうとなればまずは家に向かおう。そう思って春日家の門を背に走り出そうとしたところで、心の端がチクリと痛みだした。……ここまで来て何もせずに帰るのか。あとはインターホンを押して家の中に入って春日に会う。それが俺のここへ来た目的だった。誤解を解くため、春日と仲直りするため。そのためだけに満身創痍になりながら絶えず走ってきたのに……今頃悲しんでいるはずの春日を一刻も早く安心させてあげたいと思って想って……ここまでずっと春日のことだけを考えてきたのに……なのに何もせずここから立ち去ろうとしている自分がいる。春日じゃなくて美保梨ちゃんの方へ行こうとしている。そりゃ確かに美保梨ちゃんのことは心配だけど、俺はその他どんなことよりも最優先でやるべきことがあるじゃないか。目の前にあるのに……。こう言っちゃあ悪いけど美保梨ちゃんのことは水川に任せてもいいじゃん。きっと学校近辺の道のどこかで迷子になっているだけだからそのうち見つかるだろう。なら美保梨ちゃんのことは放っておいて俺はこのまま当初の目的通り春日に会いに行けばいい。あと一歩で春日家だ、あと一手でインターホンを押せる。あと少しで……二人は元通りになれるんだ。何より春日は今頃自分の部屋で泣いているかもしれない。それが嫌だから一分一秒を惜しんで頑張って走ってきたんだ。それなのに俺は……美保梨ちゃんの方へ行こうとしている。頭の中では分かっている、俺にとってどちらが大事なのか。そんなの圧倒的に春日だ。俺にとって春日のことが何よりも最優先。そのはずなんだけどなぁ……どーして俺はその春日から背を向けて走り出そうとしているのだろうか。分かっているつもりでも分かっていない、それが俺の本質でありヘタレである。……春日と付き合う前からずっとそうだ。やるべきこと、向かうべき場所があるというのに俺ときたらそれを後回しにして目の前のことをどうにかしようと必死になってしまう。春日を追うべきなのに目の前で泣き崩れた火祭を抱きしめたあの時と一緒だ……。ホント、何も変わってないぞ俺。最近出会ったばかりの美保梨ちゃんと生涯ずっと傍にいるって誓った春日、どっちが大切なんだって話だ。そんなの即答しちゃう速さで春日が大切に決まってる。なのに、俺は春日を後回しにして美保梨ちゃんの方へと向かおうとしている。ははっ、馬鹿じゃねーの? 思考と行動が一致してないって。でも……それが俺らしさなのかも。なんてカッコイイこと言っているつもりだけど要するに優柔不断で中途半端な優しさしか出せないヘタレ野郎ってことだよ。さて、と。んじゃ行きますか。……ごめんね春日。もうちょっとだけ待っていて。今にもインターホンに届きそうな手をゆっくりと下げて思いきり握りしめる。あと一歩のところ、その一歩で踵を返して再び走り出す。まずは美保梨ちゃんからだ。
「はぁ、はぁ……うっぷ、お、おえええぇぇぇえぇ……」
とりあえず自宅に戻って自転車を引っ張り出してきた。そんで来た道を逆走、つまりは通常の登校ルートを自転車で走っただけなのだが、まあ色々とやってきましたよ。自転車を漕ぎながら大声で美保梨ちゃんの名前を呼んだり、道周辺の路地裏とかちょっとした分かれ道に寄って大声を出して、そりゃ恥なんてものは捨てて全力で捜査しました。おかげで学校に戻ってきた時にはまた吐きそうになっていた。しっかりしろ俺、まだ美保梨ちゃんは見つかってないんだ。てことはまだまだ探さないといけないってこと、もっと声を張り上げてさらに広範囲で探すしかあるまいよ。それこそ吐く覚悟でやらないと。……いや吐くのは駄目だろやっぱ。美保梨ちゃんだって嘔吐する野郎に見つけてほしくはないだろうし春日だって吐き散らした後の奴に来てほしくないって。なら吐く寸前まで頑張ろう、うん。
「兎月っ」
お、この声は、
「マミーじゃないか」
「マミー言うな!」
「耳元で叫ぶなよ!」
ぐあっ、またしても鼓膜に深刻なダメージがぁ。わざとだろ水川ぁ。すぐ隣で鉄板のツッコミを入れてきたのは水川。美保梨ちゃんのお姉ちゃんだ。……その様子だと美保梨ちゃんはまだ見つかってないみたいだな。不安げな表情を浮かべる水川、自分の妹が迷子って聞いたら焦るのは当然だよね。俺だったら森の中に入って毛むくじゃらのモンスターに「今すぐ猫バス呼べやぁ!」と叫ぶね。
「で、美保梨ちゃんはまだ見つかってないんだな」
「うん。あの子……今頃、きっとどこかで泣いてるわ」
おいおいその台詞言われても俺は猫バス呼べないって。とにかくまだまだ探すしかないでしょ。きっとこの辺にいるはずだから。大丈夫だよ、と水川の肩を優しく叩く。水川は「うん……」と俯きながら答えてくれた。心配なのは分かるよ、でも美保梨ちゃんはしっかりしているし、たくましいから大丈夫だって。ここ最近ずっとタックルを食らい続けた俺が保障します。早く見つけたいのは俺も一緒だよ。よしっ、今度は違う道を探してみるか。
「水川は部室で待っていなよ。もしかしたら美保梨ちゃんが自力でここまで戻ってくるからもしれないし」
「と、兎月は?」
「俺は地道に探すよ。見つけたらすぐに電話する。んじゃ」
そう言って再び自転車に乗ってレッツゴーのはずだった。が、水川がいきなり、
「待って!」
と叫んで俺の首にジャンピングエルボーを決めてきやがった。ぐぼあぁぁ!? マジで痛いいいいぃぃ! あまりの痛みに悶え苦しむ喉、そして吐き気がカムバック! うぷっ、何しやがる水川! そう言いたいが首が痛くて喋れない。くそぅ、とりあえず水川を睨みつける。そんなアクティブな攻撃が出来るとは思ってなかったよ。フッ、やるじゃないか。
「兎月……さっきまでどこにいたの?」
「へ……」
「電話で美保梨から聞いたよ」
何を?
「恵のこと追っていたんでしょ」
「へ? あ、ああ、うん」
「……恵に会った?」
「いや、まだ」
そう言うと水川は黙りこんでさらに俯いてしまった。ん? どしたの? 俯いていて水川の表情はよく見えない。だから視線を下げて下から覗きこもうとしたら……
「この馬鹿兎月っ」
「ぐはぁ!?」
またしてもエルボーを食らってしまった。今度は顔面に。ううおおぉぉ、鼻が折れた! ……かもしれない。とにかくそれぐらいの激痛が顔面を襲ってきた! なんだよ水川さん! 不意打ちはあんまりだよ。つーかエルボーばっかりかよ、もっと技のバリエーションを見せてほしいねっ。さっきからやたらバイオレンスだな、妹が迷子だからって俺に当たらないでほしいっす。……そう文句を言うつもりだった。けど、水川の申し訳なさそうな表情を見てしまって何も言えなくなった。え……どうしてそんな顔をしているのさ?
「なんで……なんで恵のこと放っておいて美保梨探すことを優先したのよ」
「なんで、と言われましても……」
それは俺だって聞きたい。知らないっすよ、なんか色々とゴチャゴチャ考えはしたけど最終的な結論として俺は目の前の困った人を見捨てることは出来ない! と中途半端な偽善チックな優しさが滲み出たせいでしょうね。水川、俺と付き合い長いから分かるでしょ? 俺がどんだけ優柔不断のヘタレ野郎かってこと。春日と付き合う前とかずーっとグダグダやっていたのと同じやつですよ。
「恵のことが大事じゃないの!?」
「おぉい、なんてこと言うんだい。春日が大事じゃないわけがないだろ」
「じゃあなんで……」
いやいやだからそう言われましても……
「うーん……春日が大事だからって、それが美保梨ちゃんを探さなくてもいい理由にはならないだろ。それに美保梨ちゃんのことは心配になってしまったんだし仕方ないって」
「……それで恵が悲しむことになっても?」
「うっ、それ言われるとキツイな。……でもまあ、うん。そうなっても、やっぱ美保梨ちゃんを無視出来ないよ。春日にはまた後で会いに行くから。今は美保梨ちゃん捜索に集中しないと」
「……」
あれ、れ? やっぱ今の発言って彼氏として失格かな? ちょっとドヤ顔で持論を展開してみたら水川は黙りこくってしまった。この馬鹿兎月っ、と怒りそうでこっちは戦々恐々だ。三連続でエルボーを食らうのは勘弁してほしいところ。沈黙したまま動かない水川、ここでまた下から顔を覗き見ようものなら強烈な肘が襲ってくるのは分かっている。馬鹿な俺だってそのくらいの学習能力はありますよー。てことでいつどこから攻撃が来てもいいように両手をシールドのように構えて防御に徹する。さあいつでもかかってくるがいい。
「うん……そうだよね」
しかし、パッと顔を上げた水川の表情は俺の予想とは大きく違うものだった。
「それでこそ兎月だよ。だから私は……そんな兎月のことが……」
ニッコリと優しく微笑む水川。その笑顔は、いつも見てきた小悪魔チックな裏のある微笑みでなく、心の底から湧き出たような嬉しそうな笑顔だった。俺を真っ直ぐ見つめて淡く消え入りそうな声で俺の名を呼ぶ。こんなこと言ったらいけないけど、水川ってそんな風に笑うことが出来たんだね。いや、そら出来るよな。水川だって普通に女の子だし。いつも俺に対しては何やら小馬鹿にしたようなニヤニヤとした顔ばっかりだったから、この不意打ちでの満面のスマイルはドキッとしちゃうものがある。いかん、俺には春日がいるというのに、これじゃあ浮気じゃないか。ん……? あれ、
「つーか、俺のことが……何だって?」
「っ、なんでもない!」
とろーん、とした屈託のない眩しい笑顔だったのが一瞬で怒り顔になった。頬を赤らめて水川は我に返ったように俺の顔面にエルボーをぶち込んできた。くそ! 油断していたよコンチクショー! 水川の笑顔に気が緩んでしまっており、防御の構えが甘くなっていたところを狙われた。三発目はこれまたナイスな威力で俺の顔を破壊する。ぐううぅ、このバイオレンス悪魔め! さては俺を油断させるためにわざと全力で微笑んできたんだな。そこを狙ってエルボーを……なかなかやるじゃないか水川姉さぁん。おかげでまた気持ちが引き締まったよ。これでまた美保梨ちゃん探しを頑張れそうだ。
「あー、痛い……。はいはい、じゃあ俺はまた美保梨ちゃん探しに行くわ」
「う、うん……」
「ん? なんでまだ顔が赤いのさ?」
また俺をハメるつもりか。いくら俺が馬鹿だからって四発目を受ける気はないですから。今度はもう騙されないぞ!
「う、うるさい! いいから早く探しに行ってよ」
「へいへい」
「返事は一回でいいの!」
「Hye」
さて、急がないと。美保梨ちゃんも心配だし、春日も心配だ。未だ頬を赤らめてこちらを睨む水川に手を振って自転車のペダルを思いきり踏みつける。自分自身のエンジンもかけるつもりで、気持ちを加速させながら自転車の速度も上げていく。顔面は激痛でヒリヒリするがまあ我慢するしかない。美保梨ちゃんどこにいるんだろうなー……。
「……ホント、兎月って鈍感だなぁ。……ま、だから好きじゃなくなったんだけどね」
漕ぎだす前に、水川が何か小声で言ったみたいだが、どーせ俺悪口に違いないから聞かないことにした。




