悪夢
遠くからピアノの音がする。
誰が弾いているんだろう?
閉じていた目をゆっくり開くと、自分がニガーマウンテンの頂上にいるのがわかった。
あの時と同じように草の波がそよいで、風が僕の頬をなでている。
気持ちの良さに、僕は寝転んだ。
眼には眩しい太陽の光が差し込んできた。
薄く眼を閉じると、空を見上げていた僕の顔に黒い人影が見えた。
影に視線を移す。
彼だ!
僕はびっくりして急いで体を起こした。
息を荒くして夢から覚めると、ベットの横にはおじいちゃんが居眠りをしていた。
「ああ……ジム、眼が覚めたのか?まだ熱があるから、薬を飲んでもう一眠りするといい」
そう言うと、おじいちゃんは僕の口の中にスプーンに入れた薬を流し込んだ。
また夢の中に戻るのは怖かったけれど、薬が有無を言わさず僕を夢の中に戻していった。
僕はニガーマウンテンの頂上に座っていた。
横には黒人少年が静かに座っている。
怖い気持ちが強くて、僕は体を強張らせるしかなかった。
「お願い、怖がらないで……」
悲しい声で彼がそう言った。
僕は怖くて彼を見ることができなかったけれど、僕の横からは鼻をすする音が聞こえていた。
彼は泣いている。
少しだけ視線を彼の方向に動かしてみた。
彼の眼からは、涙の粒が次から次から溢れている。
「僕はどんなに学校で意地悪をされようとも、ピアノがある限り何も負けない自信があったんだ。なのに、僕からピアノを……、二度と僕がピアノを弾けない様に奴らはしたんだ!」
彼の悲しみと怒りが、あまりに激しくて怖かった。
「お願い!探しておくれよ!僕の両手を!!」
彼はそう言うと僕の両肩を激しく揺さぶった。
怖くて顔を動かせない僕の視界の片隅に、両手首から先のない彼の腕が見えた。
「うわーっ、うわーっ!」
僕は叫んだ。
狂ったように叫び続けた。
「ジム!ジム!大丈夫か?」
おじいちゃんが僕の肩を揺さぶっていた。
「おじいちゃん!怖いよ、怖いよーっ」
僕はおじいちゃんに抱きついて思い切り声を出して泣いた。
「どうした?怖い夢を見たのか?熱がある時は悪夢を見ることが多いからな」
おじいちゃんは優しく僕の額に手を置いた。
「まだ熱が少しあるな。もう少し眠るか?」
僕は夢の中に再び戻るのが怖かった。
「おじいちゃん、夢の中にニガーマウンテンの子がでてくるんだ。僕、眠るのが怖いよ……」
おじいちゃんは深いため息をついた。
「ジム、あの子は悪い子じゃないよ。あの子は、とっても頑張り屋だったんだ。いじめっ子たちがあの子に嫌がらせをしてたのを知っていたから、おじいちゃんは見つける度に奴らを叱ったんだけどな。あの頃は、この町はまだまだ有色人種には冷たかったから……。おじいちゃんのようにあの子を助ける大人たちは、本当に少なかったんだ。それでもあの子は、負けずに毎日学校に来ていたよ。いじめっ子たちが、彼の才能を奪うまでは……」
おじいちゃんの顔が沈んでいるように見えた。
これ以上はおじいちゃんに聞くのは酷だと感じて、僕は再びベッドに横になった。
眼を閉じて夢の中に入ると、ピアノの音が遠くから聞こえてくる。
そして黒人少年が僕に「探して!」と叫んで訴えてくる。
何度夢を見ても同じ繰り返しだった。
同じビデオを何回も巻き戻して繰り返し見ているようだった。
いつもでも続く同じ夢をなんとかしないと、僕の頭はどうにかなってしまいそうだ。
熱のせいで体力がなくなっている僕に、どうするべきか考える力はなかった。
ニガーマウンテンのことを調べるのを止めようと思っていたのに、僕は一体どうしたらこの終わらない夢を止めることができるんだろう。
熱をだして寝込んだ三日間、僕は何度も夢の中であの少年と会わなければならなかった。
そして、僕の耳には何度も「両手を探してくれ!」という言葉が擦り付けられた。