ヘレナの母親から得たヒント
学校が終わりのベルを告げた。
僕は誰にも見つからないように注意しながら、昼間ヘレナと話したベンチに来た。
もし誰かに見つかってしまったら、僕は女の子と一緒に帰ることでからかわれる絶好の獲物にされてしまう。
きっとヘレナはそういうことは気にしないと思うけれど、僕は未だにいじめられっ子だから、何か行動する時は他の子に見つからないように注意を払うのが日常になってたんだ。
少し遅れてヘレナが来て、「さあ、行こう」と歩き始めた。
彼女家は、町の中央の店がある場所から東側の外れに位置している。
大きな道路から外れてしまっている店なのに、お客さんは来るのだろうか。
僕は早足のヘレナを追いかけながら、そんなことを考えてたんだ。
民家や店がなくなった通りに入ると、ヘレナの家があった。
表には以前みたのと同じように手の形をした看板があったが、町の東側には人があまり来ることもないので、久しぶりに見た看板は懐かしく思えた。
「ただいま」とヘレナが店のドアを開けて中に入ったので、僕も彼女の後ろに続いた。
店の中に入るのは初めてだった。
店の中は薄暗く、木の板を通しただけの棚には効能が書かれた透明な液体の入ったビンがたくさん並んでいた。
他にも何に使うのかわからないような石鹸や乾燥したたくさんの花びらなどが所狭しと置かれていた。
「おや、珍しいね?ヘレナ、とうとうボーイフレンドでもできたのかい?」
奥に続く部屋の仕切りにある赤いカーテン越しから、ヘレナのママが顔を出した。
「やだっ、ママ。そんなんじゃないわよ。彼は、クラスメートのジム」
ボーイフレンドと言われて、僕は少し顔を赤くしながら挨拶をした。
「こんにちは、調べたいことがあって話をしに来ました」
ヘレナが大人びた口調で言った。
「ママ、からかっちゃだめよ。ジムは先生のところの孫なんだから……」
ヘレナの母親は数分宙を見て考えたようだった。
「ああっ、そうなの?あんた先生のお孫さんだったんだ。んで、一体何を調べているの?家に来るぐらいだから……、何かみんなが話さないような事だね?」
ニガーマウンテンの話をしても大丈夫なのか不安に思った。
他の大人たちは誰一人として、ニガーマウンテンの話しは嫌がるからだった。
僕はヘレナの顔を見つめた。
「ジム、うちに来るお客さんはみんな言いにくいことでもママに話しをするのよ。なぜなら、ママは科学では説明のつかない事を説明していくのが仕事なんだから」
そういうと僕の顔を見て、促すように頷いた。
「僕、ニガーマウンテンの唄が本当なのかを確かめに、昨日一人で山に行ったんだ……」
ヘレナの母親は目を大きく見開いてひどく驚いていた。
「一体なんだって、よりによってあの山に行くのさ。まあ、確かに興味をそそるような唄ではあるけどさ。それで?」
僕が山に行ったことよりも起こった出来事の方に興味を持っているのか、僕が「行ってはいけない場所に行った」ことについては、二人ともどうでもいいという反応の仕方が同じというのもあって、僕は安心して話を続けることにした。
「僕が山から下りる時に後ろを振り返ったら、黒人の男の子が立ってた。とてもとても悲しそうだったんだ。一体何が彼にあったの?どうしてあんなおかしな唄があるの?」
ヘレナの母親は、赤いカーテンで仕切られた奥の部屋に行くように指差した。
「今日は予約のお客さんもいないから、ジムの貸切にしよう」
部屋の中に入ると、部屋の真ん中には赤いテーブルクロスがかけられた丸いテーブルがあった。
テーブルの上にはタロットカードが乗っていて、僕とヘレナを母親の向いに座るように言った。
そして、とてもいい匂いがする紅茶とクッキーを僕とヘレナの前に用意してくれた。
町の人たちが「きちがいの店」というけれど、きちがいの店を経営しているヘレナの母親に、僕はどこにも「きちがい」と言われるような要素を感じることができなかった。
それよりも、町の床屋のおやじが夫婦喧嘩をする度に奥さんを殴ることの方がよっぽど「きちがい」だと思った。
ヘレナの母親はタロットカードをパラパラと動かしながら、話しを始めた。
「私の子どもの頃ね、確かに学校には黒人の男の子が一人だけいたよ。同じ学年じゃなかったから詳しいことはわからないんだけど、ピアノがすごく上手だったのは知ってるよ。ほら、ここってすごい田舎でしょ?楽器ができるだけでもすごいことなのさ、でもね、彼はただ弾けるっていうだけじゃなかったんだよ。噂を耳にしたことあるんだけど、都会の方から有名な先生が彼のピアノの評判を聞いて、幾度か学校に尋ねてきたことがある程だったよ。本当に才能があった子だったみたいよ」
僕はニガーマウンテンの唄を思い出し、「だから、遠くでピアノが聞こえたらって唄にあるのか……」と呟いた。
「それがね、とある出来事があって学校で大騒ぎになったのさ」
ヘレナの母親は大きなため息をついた。
「あの当時、黒人っていうのは町で一家族だけ。学校にはその男の子だけさ。それだけでも彼には必然と注意が集まるだろ?その上に特別な才能があるってなったら、妬みや嫉妬という悪い悪魔の心をもった子どもからしたら、まさに標的さ」
その話しを聞いて、いじめっ子たちが僕にする仕打ちを思い出していた。
「それでも彼は強い子だったよ。学校で毎年皆勤賞をもらっていたから、彼の心の中には何か救いがあったんだろうね。彼の才能が……、彼の救いの全てだったのかもなあ。それなのに、ピアノが弾けなくなるような事故があったらしくてね、それから数日して亡くなったという話は私の母親から聞いてるよ」
そこまでの話しだけだと、ニガーマウンテンに怪しげな唄がある理由が僕にはまだわからなかった。
もっと詳しく調べるには、やっぱり古い新聞を読んでみる必要があるのかも知れないと思った僕は、「その時期はいつくらいなんですか?」と尋ねた。
「七十年代の前半ぐらいだったかな、その頃だとあんたのおじいちゃんが先生として学校にいたはずだよ」
ヘレナの母親が僕にいくつかヒントをくれたおかげで、僕は自分で少し調べることができると思い、「ありがとうございます」といって壁の時計を見て帰る仕草を始めた。
ヘレナは僕の役に立てたように感じたのか、微笑みを作り僕に頷いてみせた。
僕は席を立ち、ヘレナに「さよなら」の意味で右手を上げて挨拶すると、ヘレナのママが僕を呼び止めた。
「ああ、町の不思議を調べたい気持ちもわからなくはないんだけどさ、好奇心ってヤツは時に大事なものを奪い去ることがあるっていうことを忘れないでおくんだよ。こんなことは言いたくはないんだけど、タロットで見るとあんたの近い未来に死の影がでてるんだよね……」
「死の影」という言葉を聞いて、僕の心臓はズキンと鈍い痛みを感じた。
「はい」と小さな返事をして、僕はヘレナの店を出た。
予期せぬ言葉に、僕の心臓は高鳴り、もう調べるのは止めようと思ったんだ。
家に向う足どりはなぜか宙に浮いたような感覚で、自分の体が熱を帯びているような気がした。
家に着いてドアを開け「ただいま」と言い、部屋に行こうとした時にはもう体がうまく動かなくなっていて、そのまま倒れこんでしまった。
「ジム!」
おじいちゃんが僕の元に駆け寄って顔を覗き込んでいる光景を最後に、僕はそのまま意識を失ってしまった。