この町にある あの山
僕の名前はジム。
アメリカ南部の州の小さな田舎町に住んでいる。
おじいちゃんが二十代の頃にバージニアでおばあちゃんと結婚して、教師としてここに移り住んだことが始まりで、僕ら家族はこの町に根付いている。
お父さんはここで生まれ、ここに住んでいたお母さんと結婚した。
僕ら三世代の家族は幸せに暮らしていたんだ。
だけど、昨年おばあちゃんが死んで、続いてお父さんとお母さんが離婚して、今はおじいちゃんとお父さんと僕がこの町で一緒に暮らしているんだ。
お母さんがいないのは寂しいけれど、それでも家族みんな協力しあって仲良く暮らしている。
何よりも嬉しいのは、大好きなおじいちゃんが、仕事で忙しいお父さんに代わってなるべく僕との時間を作ってくれることだった。学校が終わって家に帰ると、おじいちゃんはいつも畑仕事やら牛の世話をしている。そして、僕を呼んでは一緒に作業をしながら、今日の学校での出来事やら昔話を二人で楽しむんだ。
僕の知らない昔の出来事や僕が行ったことがないような場所の話しをたくさんしてくれる。
それは僕の好きな時間の一つなんだ。
以前、おじいちゃんに「なんでみんながあの山のことをみんながニガーマウンテンと呼ぶの?」と聞いたことがあったんだ。おじいちゃんは、「う~ん、まあ悲しい出来事があったからなぁ…」といったまま口を閉ざしてしまった。お父さんにしても同じで、適当な返事をして決して「あの山」についての問いに答える大人はこの町には誰一人いない。
誰もが口にしない過去が、僕の興味を大きく膨らませていくだけだった。
そもそも、なんであの山の名前の由来が気になったかというと、学校で僕をいじめる子どもたちが意地悪なことを言うからなんだ。
先生がいないランチの時間になると、言いがかりをつけて何かと嫌がらせをしてくるいじめっ子がいる。彼らは、僕の洋服の襟足を掴んで、「弱虫ジムをニガーマウンテンの天辺にある木に縛り付けてやる」とみんなの前でからかうんだ。
僕がいかに弱い存在であるかをみんなに見せ付けているだけなんだ。
その証拠に、彼らが僕を小突いたり、ランチのプレートをひっくり返したりはするけれど、本当に僕をニガーマウンテンに連れて行ったり、天辺にある木に縛り付けたりなんてことはしないのだから。
ニガーマウンテンに行く子どもなんて誰もいやしない。
子どもが口にする唄でさえ、行こうと思う気持ちなんか留まらせてしまう。
この町に住む人々はあの山の何かを恐れている。
強気に見えるいじめっ子たちでさえもあの山にいかないのは、何かを怖がってるからなんだと僕は思っている。
「あの山には白人は行ってはいけない」って歌はいうんだけど、僕の住む町では有色人種はおろか、黒人なんて見たことない。
おじいちゃんが前に、「この町に住んでいた黒人は、ちょうどお父さんと同じ世代の子どもとその両親の一家族が最後だ」って言ってた。
唄の中で「白人は行っちゃいけない」って言うけれど、この町には白人しかいないのだから、「誰一人あの山には行くな」ということを唄は意味しているんだろう。
いじめっ子たちは僕にしつこく言うものだから、いつかあの山の天辺に本当に木があるのかを確かめてみようと思っていた。
唄の秘密を確かめられたら、僕はいじめっ子たちよりも強くなれるような気がしていたんだ。
それに好奇心は、僕の成長と共にがどんどん大きく膨らんでいて、行動を起こす日を待つばかりになっていたんだ。
そう、僕はフィフスグレイド(日本でいう小学校五年生)なんだから、もうあの山に一人で行く体力さえも十分にもっているのだから。