boy meets girl (蛇足)
***ソーダ***
暑く照る屋上で、空を掬い上げたようなソーダアイスを頬張りながら、この暑さに構わず涼しげに長い髪を靡かせながら本を読む瀬川をチラリと見る。
伏せた目元、睫、唇。
彼女、いや彼瀬川は先日その美しいかんばせで、自分は男だと俺に打ち明けた。
「いや、意味が分からない」とほおける俺に、なんと瀬川は俺の手を握り、奴のスカートの中にそのまま誘導し…。
いや、まあ、ここからは色々察してほしい。
認めざるを得ない現実が奴のスカートの中に隠れていた、とだけ言っておく。
しかし、生物学的に女な俺より女らしい瀬川が、まさか男だなんて。
今だに信じられない。
「なあ」
呼びかけるが、本に夢中な瀬川は少しだって反応しない。
ちぇと呟き、しゃくりと青の冷たさを頬張る。
コイツは何時もこうだ。
本に没頭すると少しだって周りが見えなくなる。
一緒に居るこっちとしては詰まらなすぎて、つい本を恨めしそうに睨んでしまうというのに。
ふーと、溜息をついて空を見上げる。
あー。罪なぐらいに青い空。恨めしいほどに照りつける太陽。
それにしても暑い。
首を伝う汗がうざったい。
教室に戻ろうか、と一瞬思ったが、ついさっきの出来事を思い出してまた気分が萎えた。
『古ちゃんなんで最近瀬川さんとばかり一緒なの』
『古ちゃん止めなよ。瀬川さんの噂知ってるでしょ?』
『良いように引き立て役にされてるんだよ!』
何でだろうな。
女って本当にめんどくさい。
何故、そうまでして一人を炙り出そうとする。
何故、根拠の無い噂を全ての真実で在るかのような顔で語る。
お前たちに瀬川の何が分かるというのか。
そう言ってやりたいのに、結局へらへらと曖昧に笑って誤魔化す俺だって、人のことを言えた義理では無いけれど。
結局、俺は怖くて中途半端な態度しか取れないんだ。
偽りの外見で、心を騙し。
瀬川の味方にもなれず、本性を隠している。
クラスの女子を避難する資格など俺にはありはしないんだ。
鬱々とした気持ちを胸一杯充満させていると、フッと隣の空気が動く気配。
そして、掴まれる腕。
引き寄せられた手元。
瀬川の顔がぐっと近づいて来て、ドキリとする暇もなく俺の手に這う赤い舌にクラリと目眩がした。
下から上に舐めあげられて、不覚にも「ひぁっ」と情けない声が出た。
「なっなにしてんだよ!」
「溶けてたよ」
ばっと手を取り戻して、真っ赤になる顔を自覚しながら問えば、そんな風にしれっと返してくる。
なるほど確かに、舐められた手に握られたアイスは暑さに耐えきれず液状となって俺の手を伝っていたようだ。
考え事をしていて全く気付かなかった、こりゃいかん。
じゃなくて!
「だっ、だからって舐めんなよっ。お、お前卑猥なんだよっいちいち!そういうことは口で言え!てか、さっきまで俺が話しかけても反応しなかったくせに行き成り動くな!心臓に悪い!」
「私だって溶けてるよって言ったよ。だけど古田ってば無反応だしさ」
しかたないでしょ?と首を傾げる瀬川。
うっ。なんでコイツはいちいち可憐なんだ畜生!
こいつは男だ。しっかりしろ!ほだされてなんて無いんだからな断じて!
「で、古田は暗い顔して何を考えてるのかな?」
パタンと本を閉じるのを合図に、瀬川が切り出した。
コイツ、なにげに俺のこと観察してたのか・・・。
「なにも。別に」
「本当に?」
真っ直ぐに俺を見つめる眼。
俺は、この目が嫌いだ。
俺の全てを見透かし、掬い上げる眼。
瀬川のこの眼の前では、俺は否応なしに丸裸にされてしまうんだ。
「ただ」
「うん?」
「ただ。自分が中途半端で、お前みたいに自由になれなくて、情けなくて格好悪くて」
言葉尻がだんだん小さくしぼんで行く。
なんだこれ。俺ちょう格好悪い。
「私みたいに?」
瀬川が珍しく訝しそうに尋ねた。
理解できないというように。
「私が羨ましいの?変だね古田は」
次いで紡がれた、からかうような口調に、ついカッとなってしまった。
「おっ俺は真剣に!」
「私は、自由なんじゃない。ただ、薄情なだけだよ」
カッとなった俺に、静かに言う瀬川。
急速に熱が冷めて行く。
静かに微笑むコイツを俺は薄情などと感じたことなどない。
「私はね、どうでもいいんだ。周りに無関心なんだよ。だから何を言われても、どう思われようが知ったことじゃあない。それが悪意であろうが好意であろうが、ね」
綺麗に微笑みながら、瀬川が言う。
伏し目がちに微笑むその瞳が、どこか達観した冷たさを宿す。
俺には分からない。それは、自由ではないのだろうか。
「悩んで、苦しんでる古田を見ると、私は逆に羨ましくなる」
「は、俺が?」
瀬川の言葉に俺は瞠目した。
瀬川が俺を羨ましい?
「たくさんのことに悩んで、苦しんで。それだけ真剣だってことでしょ?」
「え?」
「常識とかさ、色んなことに悩んでる古田って可愛い。私は好きだな」
「なっ」
かわいいって言ったコイツ!自分より可愛いコイツに可愛いって言われた!
にっこりと言われても騙されねぇ!
「うれしくねぇよ!だって」
「だって、男だから、でしょう?」
「う、うん」
先に言われて思わず頷く。
瀬川よ。なんか距離が近くなってるのですが・・・。
「古田はさ。なんで私の隣にいてくれるの?」
「なんでって」
じりじりと近づいてくる瀬川。
「たくさん常識に囚われて、女のふりをしながら、なんで私の隣にいてくれるの?」
「そ、そりゃ」
ずるずると後ずさる俺。
「ね、私はね。周りなんてどうでも良いけど、古田だけは違うんだよ。君には無関心になれない。ねぇ。どういう意味か分かる?」
「まっ待て!ちょっ近、瀬川、お前!男なんだろ!」
俺だって、こんななりでも一応心は男なんだ!
「うん。でも古田、私に見とれるでしょ」
にっこりとそれはもう至近距離で破壊力抜群の笑顔。俺はついに言葉を無くした。
ああ、もう。
ぎゅっと眼を瞑る。
すぐに訪れる唇にちゅ、と軽い感触。
手に持ったアイスが、もう限界とばかりにベショっと音を立てて、アスファルトに崩れ落ちるのを聞いた。
「ふふ。端から見たら私たち百合かな?」
おでこ同士をくっつけたまま、瀬川が甘く笑う。
くそっなんだもう。こっち見るなよ!
俺、絶対真っ赤で涙目。
「馬鹿。お前男なんだろ」
俺は、最後の足掻きとばかりに恨めしげに瀬川を睨んだ。
「うん。生物学的に私は男で君は女。なあんにも問題ない。ね?」
問題ありまくりだ。
そう言いたいのに、コイツが余りにも甘やかに笑って俺の名前を呼ぶから。
俺の中のモラルや常識や葛藤なんて全部吹き飛ばすコイツに、俺は確かに惹かれていることを認めざるを得ない。
しょうがないから。
とりあえず、今は全てを無視して、もう一度目を閉じよう。
きっと、コイツの前じゃ俺の常識なんて、崩れたアイスと一緒なんだ。
もう一度訪れた唇は、先ほどよりも長く、焼け付くように熱く、夏の温度に溶けて俺の心を奪い去って行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
***焦燥***
俺は今、途轍もなく悩んでいる。
言わば、これは俺というアイデンティティに関わる問題だ。
非常に深刻かつ、繊細で…
「なに、頭なんか抱えて」
「ひっっ」
真剣かつ深刻に思考の海に身をゆだねていた俺の耳に馴染みのよいアルトの声。
しかも、背後から俺の耳に直接吹き込むように囁かれたもんだから、たまったもんじゃない。
瀬川要
途轍もなく可憐な容姿の、男。
「ひっ、て。失礼極まりない反応ね、それ」
耳を押さえつつ、そろりと振り返った俺に瀬川は笑った。
相変わらずの妖艶さで。
赤い唇が弧を、描く。
ゴクリと無意識に喉が鳴った。
どうしても、意識してしまう。
思い出すのは、焼けつくような熱さと、ソーダの味。
コイツはどういうつもりで、俺に…。
「なあ、聞いてもいいか」
思いの外、俺の声は真剣に響いたせいか瀬川が首を傾げる。
「うん?」
その可憐な様子を見ていたら、自分の意思が崩れそうなので、俺は咄嗟に下を向いた。
意を決するように膝の上に置いた手をぎゅっと握る。
「お、お前は」
「うん」
「お前は、男を振る!」
「…うん」
あ、ちょっと嫌そうな顔をしたな。
「その、理由は、自分が男だからと言う」
お前は。
「お前は、男だと言うくせに、何故」
ああ、今日も暑いな。
じわりとかいた汗に、言葉とは違うところでそう思った。
焼けつくようにあつい。
「何故、女の格好をするんだ?」
ずっと感じていた疑問だ。
俺の身体は女だ。
それに違和感を感じるけれど、俺は女の格好をする。
それは、そうすることが俺の見かけ上の自然を作り上げているからだ。
だったら瀬川は?
奴は、自分が男だと言う。
男に告白されるのもうんざりと顔をしかめる。
普通の男の心が有るじゃないかと思うのに、瀬川は可憐な女子の外見と言葉遣いで俺を翻弄する。
正直、意味が分からない。
ミーンミンミン
ミーンミンミン
気まずい沈黙を蝉が活気づけるように鳴いた。
夏の焦燥は、暑さ以外にもそこ彼処に潜んでいる。
じりじりと命を削るように、誰も彼もが必死になる。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
瀬川を見る時は何時でも緊張する。
その理由は、初めのころのように見透かされていると感じるからだろうか。
それとも、今は違う理由が混じっているのか。
暑さで眩むこの頭ではうまく判断できない。
「なんで、気になる?」
瀬川は、俺の混乱なんてちっとも理解していない様子でそう言って薄く笑った。
酷薄そうなその笑みにぞくりとしながら、それを誤魔化すように俺は言う。
「俺が聞いてるんだ。質問で返すな」
「なら答えてくれたら、答えるわ」
なんと、たちが悪いことに、コイツは全力で可憐に小首を傾げて俺に言う。
こ、こいつ絶対分かっててやってる。
そんで、それに絆される自分もどうかしてる。
「だって」
「うん」
「だって、お前がそんななりで、男だと言うから」
「うん」
「俺は、こんななりだけど、男なんだ。なのに俺は」
「男の私に、見惚れる自分が許せない?」
瀬川と話していると、俺は何時も一杯一杯になって、意味分からない心の中を全部吐露してしまう。
「そうじゃない。いや、それも、あるかもだけど。俺は。俺だって、もしお前が股に一物あったって、もしお前が女なんだって言うなら、それなら」
もし、お前の心がその可憐な外見に見合うものを持つならば、俺は少しだけ腑に落ちる。
この、気持ちに折り合いを付けることが出来る。
この、気持ち?
嗚呼、頭が混乱してきた。
何を言ってるんだ俺は。
俺は--。
「私を好きだって認められるのに?」
瀬川の言葉にはっと瞬いた。
好き?
その言葉に意識を持っていかれるより先に瀬川が言葉を繋ぐ。
「分かるよ古田。自分の男の部分が擦り減ってしまいそうで怖いんでしょう」
煩わしげに髪をかきあげて、瀬川は俺を流し見る。
その仕草は、どことなく瀬川を“美少女”には見せなかった。
「古田にとって“私”を好きになるのと、“僕”を好きになるとじゃ大いに違う」
瀬川の口から初めて聞いた“僕”は不思議なくらい違和感を抱かせなかった。
俺はそれに、たじろぎ、あからさまなくらい動揺する。
それを分かっているくせに、瀬川の掌がゆっくりと俺の頬に伸びてくる。
--捕まる。
コイツは何時だって俺を逃がさない。
「ねぇ。古田。今だけだよ」
「え」
外気の暑さをものともしないそのひんやりとした手が俺の頬を撫でる。
人に言うとあまり理解されないのだけど、と瀬川は切り出した。
「私はね古田。不安定で脆いものの上に成り立つ美しさが好きなんだよ。どうしたって“その時”にしか感じられない刹那的で一過性なものが好きなんだ」
そう言って、瀬川は目を細める。
愛しむように、手を俺の頬に滑らす。
「…言ってる意味が分からない」
ぼんやりと呟くと、瀬川がくすっと噴出して「鈍感」と言った。
それに少しカチンときた俺は、ムッと瀬川を睨んだ。
そうすると、余計に愉快そうに笑われる。
「ふふ。言ったでしょ。答えてくれたら答えるよって」
「…それは、お前が女の格好をしている理由?」
「それもある」
なら、ますます意味が分からないじゃないか。
「意味が分からない。それもあるなら、他にあるってことだろ」
「あら、古田にしては賢いのね」
そう言った瀬川は、すっかり“美少女”の外見を取り戻していて、俺は腹立たしいことを言われたような気がするのに何も言い返せないでいた。
如何やら俺は、ショックを受けているらしい。
自覚する前に言われた恋と。
瀬川の「今だけだよ」という言葉に。
なあ瀬川、刹那的で一過性のものは、それは美しいかもしれない。
でも、俺は寂しいようにも思うよ。
焦げる夏が、じわりじわりと心を急く。
夏は、じりじりと命を削るように、誰も彼もが焦燥に駆られる。