七号室は家賃を払う
七号室の家賃は、今月も予定通り入金された。
《入金確認》
《一号室:済》
《二号室:済》
《三号室:済》
《四号室:済》
《五号室:済》
《六号室:済》
《七号室:済》
上出来である。
大家の男は軒先に腰掛けたまま、HUDの表示を閉じた。
特に七号室は優秀だ。
ここ十年、一度たりとも滞納したことがない。
洗濯物を抱えた三号室の女が、二階の廊下から顔を出した。
「今月も来たですか? 例の……『七号さん』」
「ああ、来たよ。あんたも見習え」
「ひどーい。わたし、ちゃんと毎月払ってるですよ」
「前回、二日ほど遅れただろう」
「そんなの人間なら誤差です、大目に見てくださいよ」
だから七号室を見習えと言っている。
大家が営む二階建ての貸家には、「六つ」の部屋があった。
一階に三室。二階に三室。
それと玄関脇に大家自身が寝泊まりする管理人室が一つ。
建物は古いが、周辺の相場より一割ほど安くしている。
故に空き室が出ても、すぐに埋まった。
だが、雨が降れば二号室が漏り、風が吹けば五号室の戸が軋む。
冬になると一階の床下から読み取り不能の文字列が染み出し、
梅雨時には共同便所の認証が二人に一人を部外者と誤判定する。
安かろう、悪かろう。それでも満室なら収支はまんざらでもない。
なぜなら『七人目』が払っているからだ。
「ところで七号さんって、どんな人です?」
「知らん。一度も会ったことはない」
「えー、怖くありません?」
「別に。家賃を滞納されるほうが怖いからな」
七号室が現れるのは、決まって演算圧の高い――妖怪の出やすい夜だった。
例外はあるが、だいたい二階の廊下、五号室と六号室の間。
普段なら壁しかないところに、いつの間にか戸が一枚増えている。
《七》
墨書き風の表示が浮かび、戸の向こうから人の気配がする。
湯を注ぐ音。咳払い。床を歩く音。
時には夜更けまで、紙を捲るような音も聞こえた。
ただし翌朝になると戸は消える。
壁を叩いても、奥の空間は六号室だ。誰かが住める隙間などあり得ない。
不思議ではあったが、他の住人も、大家自身も、特に困っていなかった。
七号室も特に困っている様子はなかった。
互いに干渉せず、家賃だけは毎月払う。理想的な大家と店子の関係だ。
◇
その関係に役所が口を出してきたのは、秋の初めである。
「こんにちは、住居台帳方です」
昼過ぎ。管理人室の前に立っていたのは、鼠色の羽織を着た猫背の役人だった。
手には携帯式の読み取り板。腰には何本もの照合札。
どう見ても楽しい話を持ってきた気配はない。
大家は戸を半分だけ開け、不機嫌そうな顔をした。
「何か?」
「建物台帳の定期照合です。不一致があったので確認を……」
「うちは違法建築じゃないぞ」
「そうではありません」
役人は読み取り板を掲げた。
白い表示が空中に展開する。
《対象建物》
《登録貸室数:六》
《有効賃貸契約:七》
《当月入金:七件》
「貸室数に対し、契約が一部屋分だけ多いですね。
心当たりはありませんか?」
「ある」
役人がほっとした顔をした。
「では、情報を更新するにあたり、未登録区画を確認させてください」
「無理だ」
「なぜです?」
「今は無い」
真顔に戻った役人に、大家は七号室について説明した。
演算圧の高い夜に増えること。
だいたい五号室と六号室の間にあること。
たまに三号室と四号室の間にも出ること。
一度だけ階段の途中に現れ、戸を開けようとした二号室の住人が転げ落ちたこと。
何より、毎月きちんと家賃を払っていること。
役人は途中から一言も口を挟まなくなった。
説明を終えると、長い沈黙が下りた。
「まず、該当の部屋が物理的に存在しないことを理由に、
契約の取消処理を申し立てることは可能です」
「なら、それで」
「ただし」
嫌な接続詞だった。
「七号室の契約は現在も有効です」
「存在しないのに?」
「部屋は存在しませんが、契約は存在しています」
役人が読み取り板を操作する。
《契約状態:有効》
《債務履行:正常》
《滞納履歴:なし》
《貸主異議申立:なし》
最後の一行で、大家は黙った。
「十年近く、あなたは一度も異議を出していませんね」
「払ってくれるからな」
「つまり貸主側は、七号室との賃貸関係を継続的に認めていた」
「認めた覚えはない」
「家賃は?」
「受け取った」
「十年の間、毎月?」
「……」
役人はそれ以上、何も言わなかった。嫌な沈黙だった。
その夜。珍しく演算圧警報が出た。
武装した役人が大通りに配備され、妖怪避けの結界札を街角へ貼って回っている。
町内の灯籠が赤紫に明滅し、大家の建物も廊下の輪郭がわずかに歪み始めた。
《演算圧:上昇》
《住居情報の照合遅延が発生しています》
昼間の役人は、七号室を見るまで報告できないと言い張り、ずっと居座っていた。
大家と共に二階の廊下、五号室と六号室の間を凝視している。
「やはり――」
役人が口を開きかけた時だった。
ぱちん、と。
何かが嵌まる音がした。
五号室と六号室の間の壁が半間ほど横へ伸びる。
そこに戸があった。
《七》
役人の口が開きっぱなしになり、大家は腕を組んだ。
「な?」
「……はい」
戸の向こうから、ことことと音がする。
湯でも沸かしているのだろう。
やがて床板が軋み、こちらへ足音が近づいてきた。
ぎょっとした役人が一歩下がる。
戸は開かなかった。
代わりに二人のHUDが同時に鳴った。
《修繕依頼》
《七号室》
《申請内容:床鳴り》
《夜間の移動時に音が響くため、補修を希望します》
「……住んでますね」
「らしいな。修繕依頼なんて初めてだが」
十年住んで、初めての修繕依頼。
なんと優良な店子だろうか。
翌朝になると七号室は消えた。
壁を測ってみたが、やはり五号室と六号室の間に余分な空間はない。
役人は玄関先に座り込み、読み取り板と半刻ほど格闘した。
そして、二つの処理案を出した。
一つは、七号室を異常契約として強制終了すること。
その場合、今後の家賃は入らない。
もう一つは、七号室を正式な貸室として建物台帳に登録すること。
大家は腕を組んだ。
これまで七号室の家賃を他の部屋へ薄く割り振ることで、相場より安い賃料にしていた。
強制終了すれば、次の更新から値上げが必要になる。
夕方、住人を集めて事情を話した。
反応は思ったより薄かった。
一号室の老人が言った。
「追い出したら、うちらの家賃上がるんだろ」
「まあな」
「なら住んでもらおう」
結論は早かった。
翌日、大家は七号室の正式登録申請に印を押した。
「本当にいいんですね?」
役人は念押しした後、手続きを進める。
《住戸登録申請》
《未確定区画:七号室》
《建物内部区画との照合を開始》
読み取り板の上を文字列が流れる。
《貸室一〜六:照合済》
《共用廊下:除外》
《階段:除外》
《便所:除外》
《物置:対象外》
そこで表示が止まった。
《未登録居住可能区画:一件》
そんなものがあっただろうか。大家は首を傾げた。
次の瞬間、役人の顔が妙な形に歪んだ気がした。
…
……
《七号室》
《区画割当:完了》
「終わりました?」
「……ええ」
役人は読み取り板から目を逸らした。
その顔に特に変わりはなかった。
「七号室は、正式な住戸として登録されました」
「そうか」
◇
翌朝。
大家は自室の前で目覚めた。
玄関脇にあるはずの管理人室。
昨日まで《管理人室》と書かれていた札が戸から消え、
代わりに見覚えのある一文字が浮かんでいる。
《七》
「おい」
戸を引いたが、開かない。
HUDに警告が流れた。
《契約者以外による入室要求 → 拒否》
もう一度引く。
《拒否》
蹴る。
《器物損壊警告》
「ふざけるな、俺の部屋だぞ!」
騒ぎを聞きつけ、昨日と同じ猫背の役人が駆けつけてきた。
そして、非常に言い出しにくそうな顔で告げた。
「照合したところ、この建物内に一件だけ未登録の居住可能区画が検出されまして」
「ここは管理人室だ」
「建物台帳では貸室登録はされておらず……」
「だから俺が住んでる!」
「居住者登録もありませんでした」
大家は黙った。
居住者登録は、確かにしていない。
自分の建物だから、そんなものは必要ないと思っていた。
役人が読み取り板を確認しながら首を傾げた。
「ですが現在、**貸室数は七で正常に登録されています。**
その件について近々、担当の者が確認に行く予定だったのですが……」
「昨日来ただろ」
「……私がですか?」
大家は役人を見る。
役人も読み取り板から顔を上げた。嫌な沈黙だった。
「それより俺の寝床がなくなったんだが」
「問題ありません、台帳上は正常なので」
世界で一番腹の立つ正常だった。
その日の夕方。
大家は仕方なく七号室の玄関先に布団を積み上げていた。
すると。戸の隙間から、一枚の札がするりと滑り出てきた。
嫌な予感を覚えながら拾う。
《七号室居住者より、修繕・管理依頼》
《室内に前居住者の私物が多数残されています》
《生活の支障となるため、速やかな撤去をお願いします》
十年前から家賃だけは払い続け、
一度も苦情を言わなかった店子から、二件目の要望だった。
大家は札を握り締め、戸に向かって怒鳴った。
「俺だよ、前居住者!」
この短編では、存在するかどうかも怪しい部屋と、それでも滞りなく続いてしまう契約について取り上げました。
『電脳虚界合戦』本編では、認証や契約、組織の仕組みが人や暮らしを支える一方で、「正しく数えられるもの」だけを現実として扱ってしまう世界を、別の人物たちの視点から描いています。
https://ncode.syosetu.com/n5386mq/




