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D:\電脳虚界生活>

七号室は家賃を払う

作者: 寺山沈橋
掲載日:2026/10/29

七号室の家賃は、今月も予定通り入金された。


《入金確認》

《一号室:済》

《二号室:済》

《三号室:済》

《四号室:済》

《五号室:済》

《六号室:済》

《七号室:済》


上出来である。

大家の男は軒先に腰掛けたまま、HUDの表示を閉じた。


特に七号室は優秀だ。

ここ十年、一度たりとも滞納したことがない。

洗濯物を抱えた三号室の女が、二階の廊下から顔を出した。


「今月も来たですか? 例の……『七号さん』」

「ああ、来たよ。あんたも見習え」

「ひどーい。わたし、ちゃんと毎月払ってるですよ」

「前回、二日ほど遅れただろう」

「そんなの人間なら誤差です、大目に見てくださいよ」


だから七号室を見習えと言っている。

大家が営む二階建ての貸家には、「六つ」の部屋があった。


一階に三室。二階に三室。

それと玄関脇に大家自身が寝泊まりする管理人室が一つ。


建物は古いが、周辺の相場より一割ほど安くしている。

故に空き室が出ても、すぐに埋まった。


だが、雨が降れば二号室が漏り、風が吹けば五号室の戸が軋む。

冬になると一階の床下から読み取り不能の文字列が染み出し、

梅雨時には共同便所の認証が二人に一人を部外者と誤判定する。


安かろう、悪かろう。それでも満室なら収支はまんざらでもない。

なぜなら『七人目』が払っているからだ。


「ところで七号さんって、どんな人です?」

「知らん。一度も会ったことはない」

「えー、怖くありません?」

「別に。家賃を滞納されるほうが怖いからな」


七号室が現れるのは、決まって演算圧の高い――妖怪(バグ)の出やすい夜だった。

例外はあるが、だいたい二階の廊下、五号室と六号室の間。

普段なら壁しかないところに、いつの間にか戸が一枚増えている。


《七》


墨書き風の表示が浮かび、戸の向こうから人の気配がする。


湯を注ぐ音。咳払い。床を歩く音。

時には夜更けまで、紙を捲るような音も聞こえた。


ただし翌朝になると戸は消える。

壁を叩いても、奥の空間は六号室だ。誰かが住める隙間などあり得ない。


不思議ではあったが、他の住人も、大家自身も、特に困っていなかった。

七号室も特に困っている様子はなかった。

互いに干渉せず、家賃だけは毎月払う。理想的な大家と店子の関係だ。


 ◇


その関係に役所が口を出してきたのは、秋の初めである。


「こんにちは、住居台帳方です」


昼過ぎ。管理人室の前に立っていたのは、鼠色の羽織を着た猫背の役人だった。

手には携帯式の読み取り板。腰には何本もの照合札。

どう見ても楽しい話を持ってきた気配はない。


大家は戸を半分だけ開け、不機嫌そうな顔をした。


「何か?」

「建物台帳の定期照合です。不一致があったので確認を……」

「うちは違法建築じゃないぞ」

「そうではありません」


役人は読み取り板を掲げた。

白い表示が空中に展開する。


《対象建物》

《登録貸室数:六》

《有効賃貸契約:七》

《当月入金:七件》


「貸室数に対し、契約が一部屋分だけ多いですね。

心当たりはありませんか?」

「ある」


役人がほっとした顔をした。


「では、情報を更新するにあたり、未登録区画を確認させてください」

「無理だ」

「なぜです?」

「今は無い」


真顔に戻った役人に、大家は七号室について説明した。


演算圧の高い夜に増えること。

だいたい五号室と六号室の間にあること。

たまに三号室と四号室の間にも出ること。


一度だけ階段の途中に現れ、戸を開けようとした二号室の住人が転げ落ちたこと。

何より、毎月きちんと家賃を払っていること。


役人は途中から一言も口を挟まなくなった。

説明を終えると、長い沈黙が下りた。


「まず、該当の部屋が物理的に存在しないことを理由に、

契約の取消処理を申し立てることは可能です」

「なら、それで」

「ただし」


嫌な接続詞だった。


「七号室の契約は現在も有効です」

「存在しないのに?」

「部屋は存在しませんが、契約は存在しています」


役人が読み取り板を操作する。


《契約状態:有効》

《債務履行:正常》

《滞納履歴:なし》

《貸主異議申立:なし》


最後の一行で、大家は黙った。


「十年近く、あなたは一度も異議を出していませんね」

「払ってくれるからな」

「つまり貸主側は、七号室との賃貸関係を継続的に認めていた」

「認めた覚えはない」

「家賃は?」

「受け取った」

「十年の間、毎月?」

「……」


役人はそれ以上、何も言わなかった。嫌な沈黙だった。


その夜。珍しく演算圧警報が出た。

武装した役人が大通りに配備され、妖怪避けの結界札を街角へ貼って回っている。

町内の灯籠が赤紫に明滅し、大家の建物も廊下の輪郭がわずかに歪み始めた。


《演算圧:上昇》

《住居情報の照合遅延が発生しています》


昼間の役人は、七号室を見るまで報告できないと言い張り、ずっと居座っていた。

大家と共に二階の廊下、五号室と六号室の間を凝視している。


「やはり――」


役人が口を開きかけた時だった。


ぱちん、と。

何かが嵌まる音がした。


五号室と六号室の間の壁が半間ほど横へ伸びる。

そこに戸があった。


《七》


役人の口が開きっぱなしになり、大家は腕を組んだ。


「な?」

「……はい」


戸の向こうから、ことことと音がする。

湯でも沸かしているのだろう。

やがて床板が軋み、こちらへ足音が近づいてきた。


ぎょっとした役人が一歩下がる。


戸は開かなかった。

代わりに二人のHUDが同時に鳴った。


《修繕依頼》

《七号室》

《申請内容:床鳴り》

《夜間の移動時に音が響くため、補修を希望します》


「……住んでますね」

「らしいな。修繕依頼なんて初めてだが」


十年住んで、初めての修繕依頼。

なんと優良な店子だろうか。


翌朝になると七号室は消えた。

壁を測ってみたが、やはり五号室と六号室の間に余分な空間はない。


役人は玄関先に座り込み、読み取り板と半刻ほど格闘した。

そして、二つの処理案を出した。


一つは、七号室を異常契約として強制終了すること。

その場合、今後の家賃は入らない。


もう一つは、七号室を正式な貸室として建物台帳に登録すること。


大家は腕を組んだ。

これまで七号室の家賃を他の部屋へ薄く割り振ることで、相場より安い賃料にしていた。

強制終了すれば、次の更新から値上げが必要になる。


夕方、住人を集めて事情を話した。

反応は思ったより薄かった。

一号室の老人が言った。


「追い出したら、うちらの家賃上がるんだろ」

「まあな」

「なら住んでもらおう」


結論は早かった。

翌日、大家は七号室の正式登録申請に印を押した。


「本当にいいんですね?」

役人は念押しした後、手続きを進める。


《住戸登録申請》

《未確定区画:七号室》

《建物内部区画との照合を開始》


読み取り板の上を文字列が流れる。


《貸室一〜六:照合済》

《共用廊下:除外》

《階段:除外》

《便所:除外》

《物置:対象外》


そこで表示が止まった。


《未登録居住可能区画:一件》


そんなものがあっただろうか。大家は首を傾げた。

次の瞬間、役人の顔が妙な形に歪んだ気がした。


…


……


《七号室》

《区画割当:完了》


「終わりました?」

「……ええ」


役人は読み取り板から目を逸らした。

その顔に特に変わりはなかった。


「七号室は、正式な住戸として登録されました」

「そうか」


 ◇


翌朝。

大家は自室の前で目覚めた。


玄関脇にあるはずの管理人室。

昨日まで《管理人室》と書かれていた札が戸から消え、

代わりに見覚えのある一文字が浮かんでいる。


《七》


「おい」


戸を引いたが、開かない。

HUDに警告が流れた。


《契約者以外による入室要求 → 拒否》


もう一度引く。


《拒否》


蹴る。


《器物損壊警告》


「ふざけるな、俺の部屋だぞ!」


騒ぎを聞きつけ、昨日と同じ猫背の役人が駆けつけてきた。

そして、非常に言い出しにくそうな顔で告げた。


「照合したところ、この建物内に一件だけ未登録の居住可能区画が検出されまして」

「ここは管理人室だ」

「建物台帳では貸室登録はされておらず……」

「だから俺が住んでる!」


「居住者登録もありませんでした」


大家は黙った。

居住者登録は、確かにしていない。

自分の建物だから、そんなものは必要ないと思っていた。


役人が読み取り板を確認しながら首を傾げた。


「ですが現在、**貸室数は七で正常に登録されています。**

その件について近々、担当の者が確認に行く予定だったのですが……」

「昨日来ただろ」

「……私がですか?」


大家は役人を見る。

役人も読み取り板から顔を上げた。嫌な沈黙だった。


「それより俺の寝床がなくなったんだが」

「問題ありません、台帳上は正常なので」


世界で一番腹の立つ正常だった。


その日の夕方。

大家は仕方なく七号室の玄関先に布団を積み上げていた。

すると。戸の隙間から、一枚の札がするりと滑り出てきた。


嫌な予感を覚えながら拾う。


《七号室居住者より、修繕・管理依頼》

《室内に前居住者の私物が多数残されています》

《生活の支障となるため、速やかな撤去をお願いします》


十年前から家賃だけは払い続け、

一度も苦情を言わなかった店子から、二件目の要望だった。


大家は札を握り締め、戸に向かって怒鳴った。


「俺だよ、前居住者!」


この短編では、存在するかどうかも怪しい部屋と、それでも滞りなく続いてしまう契約について取り上げました。


『電脳虚界合戦』本編では、認証や契約、組織の仕組みが人や暮らしを支える一方で、「正しく数えられるもの」だけを現実として扱ってしまう世界を、別の人物たちの視点から描いています。


https://ncode.syosetu.com/n5386mq/

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