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番外編 愚か者の見る夢〜元王太子レオンの絶望と泥にまみれた末路〜

「動け、この豚共! 貴様らの掘る魔力石が今日のノルマに達しなければ、夕食の泥水すらないと思え!」


背中に走った鋭い痛みに、私は悲鳴を上げてぬかるんだ地面に倒れ込んだ。

凍りつくような極北の冷気が、薄汚れたボロ布一枚の体を容赦なく刺し貫く。皮膚はひび割れ、かつて美しく手入れされていた金髪は泥とシラミにまみれて固まり、見る影もない。


「ひぃっ、お、お許しを……! すぐに掘ります、掘りますから……っ!」


看守の鞭が再び振り下ろされるのを恐れ、私は血の滲む指先で冷たい岩壁にしがみつき、重いツルハシを振り上げた。

ここは王国の最北端に位置する「死の鉱山」。

重罪人だけが送られ、過労か凍死で命を落とすまで永遠に魔力石を掘り出させられる地獄の底だ。


私がなぜ、一国の第一王子からこのような最底辺の奴隷へと身を落としたのか。

それを考えるたびに、胸の奥がどす黒い後悔と狂気で張り裂けそうになる。


すべては、私の完璧な人生を思い描いていた、あの頃の勘違いから始まっていた。


かつての私は、自分が世界で最も優れ、最も愛されるべき存在だと疑っていなかった。

王国の第一王子として生まれ、次期国王となる運命。誰もが私に傅き、私の機嫌を取る。それが当たり前だった。


だからこそ、私の婚約者としてあてがわれたセリア・ヴァンガードの存在が、不快でたまらなかった。

『聖女』という大層な肩書きこそ持っていたが、あいつの容姿は目を覆うほどに酷かった。パサパサの髪、干からびた肌、目の下に濃い隈を作り、いつも幽霊のようにふらふらと歩いている。華やかな王宮のパーティーでも、隅の方で俯いているだけの陰気な女。


『レオン様、お疲れではありませんか? 私はいつでも、あなたをお支えします』


掠れた声でそう言ってくるセリアを見るたびに、私は虫酸が走る思いだった。

なぜ、この輝かしい私があんな見すぼらしい女を妻にしなければならないのか。あいつが国の大結界を維持しているという話は聞いていたが、そんなものは「聖女として生まれてきたのだから当然の義務」だと思っていた。

むしろ、私という偉大な存在の役に立てることを光栄に思うべきだとすら考えていた。


そんな私の前に現れたのが、ミアだった。


『レオン殿下……っ、お会いできて光栄です。殿下は、私の憧れの英雄なのです』


王都の視察中に出会ったその平民の少女は、驚くほど可憐で、愛らしかった。

彼女の放つ甘い香りを嗅いだ瞬間、私の頭の中に霞がかかったように、強い陶酔感が広がっていった。今にして思えば、あれが上位魔族グラトニーの『魅了の毒香』だったのだ。


だが、当時の私にはそんなことを疑う余地など一切なかった。

ミアと過ごす時間は、私に絶対的な全能感を与えてくれた。彼女は私の言葉のすべてを肯定し、私を歴史に名を残す偉大な賢王だと褒め称えた。

ミアを抱きしめるたびに、私は自分が世界を動かしているような錯覚に陥った。


『殿下。セリア様は、私のような平民が殿下のそばにいるのがお気に召さないようです。この前も、私のドレスを切り裂いて……』


ミアが涙ぐみながらそう告げた時、私の中でセリアに対する嫌悪感は決定的な殺意へと変わった。

あの醜い女が、私の愛する可憐な妖精を虐めている。なんと身の程知らずで、悍ましい悪女か。


『泣かないでくれ、ミア。私が必ず、あの毒婦を追い出して君を正当な地位につけてやろう。君こそが、私の隣に立つべき真の聖女なのだから』


私はミアを安心させるために、彼女の言うことを何でも聞いた。

結界の維持? そんなものは些末な問題だ。ミアが新しい聖女になればすべて解決する。

西側国境の魔力石鉱山や防衛予算を他国(ミアの故郷と言っていた)に譲渡する密約? ミアがそれで喜ぶなら、安いものだ。どうせ私が王になれば、他国などすぐに平伏させられるのだから。


私はヴァンガード公爵を呼び出し、セリアを切り捨てる計画を持ちかけた。

驚くべきことに、公爵も私と全く同じようにミアの魅了にかかっていた。いや、彼らは元々セリアを道具としか見ておらず、権力と金に目が眩んでいたからこそ、魔族の甘言にやすやすと乗ったのだ。


『殿下の仰る通りです。あのような出来損ないは我が公爵家の恥。ミア様のようなお方こそ、殿下の婚約者にふさわしい』


公爵と私は固い握手を交わし、国庫の金を横領してミアの背後にある組織へ横流しした。

それを「国を豊かにするための賢明な投資」だと信じ込んでいたのだから、滑稽としか言いようがない。


そして迎えた建国記念パーティー。

私は全貴族の前で、セリアに婚約破棄を突きつけた。

衛兵に引きずられていくセリアの絶望に満ちた顔を見た時、私の胸は圧倒的な優越感とカタルシスで満たされた。


(見たか! これが私に逆らった愚か者の末路だ! 私は今、正義の鉄槌を下し、愛する女を守り抜いた本物の英雄となったのだ!)


その夜、私はミアと極上のワインで乾杯し、自分の輝かしい未来を微塵も疑っていなかった。

国境に魔獣が現れ始めているという報告など、ただのノイズでしかなかった。ミアが祈れば解決する。私はそう本気で信じていた。


すべてが崩れ去ったのは、あの大聖堂での結婚の儀式の日だ。


大聖堂の扉が吹き飛び、土煙の中から現れたあの女の姿を、私は一生忘れることができないだろう。


夜空の星を溶かし込んだような黄金の髪。透き通るような肌。そして、隣国の竜帝ルファス・ドラグニルにエスコートされ、女神のように微笑むセリア。


『ええ、罪人を裁きに来ました』


冷徹に響いたその声と共に空中に投影されたのは、私が公爵と交わした国売りと横領の証拠。そして、ミアの正体が上位魔族グラトニーであることを示す決定的な映像だった。


その瞬間、ミアの放っていた魅了の毒香が、圧倒的な恐怖によって完全に打ち払われた。

頭の中の霞が晴れ、現実が刃となって私の脳天に突き刺さった。


(私は、なんてことを……っ!)


自分が永遠の愛を誓おうとしていた女が、国を滅ぼそうとする醜悪な魔族だった。

自分が「偉大な王の采配」と信じてやっていたことが、ただの国家反逆の売国行為だった。

そして、自分が「醜い偽聖女」と見下して追放した女こそが、この国を命懸けで守っていた真の聖女であり、隣国の覇王が狂信的なまでに愛する絶世の美女だったのだ。


ミアが正体を現し、大聖堂が地獄絵図と化す中、私は這いつくばってセリアにすがりついた。


『セリア、悪かった! 私が間違っていた! だが、私がやったことはすべてあの魔族に操られていたからで、私の本心じゃないんだ! 頼む、助けてくれぇっ!』


心からの叫びだった。

私がいなければ、この国は成り立たない。私は第一王子なのだ。一度の過ちくらい、許されて当然だろう。セリアは昔から私に尽くしてくれた、優しい女なのだから。


だが、私を見下ろすセリアの瞳には、かつての温もりは一滴も残っていなかった。


『あなた方にはもう、私の一滴の魔力も、一秒の感情も消費する価値がありません』


汚物を見るような極寒の瞳。

その完全なる拒絶の言葉を突きつけられた瞬間、私の心の中で何かが決定的に壊れる音がした。


父である国王から王籍を剥奪され、衛兵に引きずられていく私の耳に、最後に届いたのは、竜帝ルファスがセリアに永遠の愛を誓うプロポーズの言葉だった。


私が手放したものは、ただの婚約者ではなかった。

絶対的な魔力、比類なき美貌、そして大陸最強の帝国の後ろ盾。

もし私がセリアを正しく愛し、彼女を大切にしていれば、私はルファスと同じようにあの女神を独占し、世界で最も力のある王として歴史に名を残せていたはずなのだ。


すべてを失った。私自身の、果てしない傲慢さと愚かさのせいで。


「おい、何を休んでいる! 貴様は口を動かす前に手を動かせ!」


背中に鋭い激痛が走り、私は過去の回想から現実へと引き戻された。

看守の蹴りが脇腹にクリーンヒットし、私は泥水の中に顔から突っ込んだ。口の中に、鉄の味と泥のジャリジャリとした感触が広がる。


「あぐっ……! す、すみません……!」

「さっさと掘れ、この廃品王子が!」


看守は私に唾を吐き捨てて去っていった。

体を起こそうとした私の隣から、しゃがれた怒声が飛んできた。


「貴様のせいだぞ、レオン! 貴様があの魔族の女にたぶらかされなければ、我が公爵家がこんな目に遭うことはなかったのだ!」

「そうだ! お前がセリアを追放するなどと馬鹿なことを言い出したからだろうが!」


私を睨みつけているのは、かつてのヴァンガード公爵と、その長男だった。

彼らもまた、爵位と財産をすべて剥奪され、この死の鉱山へと送られてきていた。かつては豪奢な服を着て踏ん反り返っていた彼らも、今では骨と皮だけになり、狂ったような目で私を責め立てている。

公爵夫人に至っては、この過酷な環境に耐えきれず、数日前に発狂して息を引き取った。


「ふざけるな! 貴様らだってノリノリで私に協力しただろうが! 自分の娘を売り飛ばして国庫の金を横領したのは貴様らの方だぞ!」

「なんだと!? そもそもお前が第一王子としての責任を果たしていれば……っ!」


私たちは泥だらけのまま掴み合い、醜く転げ回った。

かつて国の頂点に立っていた者たちが、今や最底辺の奴隷として、責任をなすりつけ合いながら泥をすする日々。これ以上の惨めな地獄がどこにあるというのか。


争う力すらなくなり、私たちは荒い息を吐きながら仰向けに倒れ込んだ。

極北の灰色の空から、冷たい雪が舞い落ちてくる。


その時、近くで休憩していた看守たちの話し声が、風に乗って私の耳に届いた。


「おい、聞いたか? ドラグニル帝国で、新しい皇后陛下の戴冠式があったらしいぞ」

「ああ、あのセリア様だろう? ルファス皇帝陛下の溺愛ぶりは凄まじいらしいな。国中の富を集めて、星の光を織り込んだドレスを贈ったとか」

「元はうちの国の公爵令嬢だったって話だが、あのバカ王子が魔族に騙されて追放したんだってな。おかげで大結界の魔力は帝国に恩恵をもたらして、今年の帝国の農作物は過去最高の豊作らしいぜ」

「バカ王子様々だな。まぁ、そのおかげで俺たちもこうして魔力石を掘る仕事があるわけだが」


看守たちの笑い声が、私の耳の奥でガンガンと響いた。


セリア。私の、かつての婚約者。

今や彼女は、世界で最も強大な帝国の皇后として、最高の栄華と極上の愛に包まれている。

彼女の放つ神聖魔力は帝国を潤し、彼女の微笑み一つで皇帝ルファスは他国を従える。

すべての人々が彼女を讃え、女神として崇拝しているのだ。


それに引き換え、私はどうだ。


「あ……あああ……」


喉の奥から、言葉にならない嗚咽が漏れた。

凍りついた泥に顔を押し当てながら、私はとめどなく涙を流した。


寒い。痛い。ひもじい。

どうしてこんなことになってしまったのだ。

私は王になるはずだった。歴史に名を残す、偉大な英雄になるはずだったのに。


「セリア……セリアァァァァッ……!」


私は虚空に向かって、届くはずのない名前を叫び続けた。


私が彼女を蔑ろにした十年間。

彼女が血を吐く思いで国を守っていたことに気づき、ほんの少しでも優しくしていれば。

魔族の甘い言葉に耳を貸さず、彼女の価値を正しく理解していれば。


そうすれば、今頃私は、あの美しい女神を隣に立たせ、温かい王宮のベッドで幸福な朝を迎えていたはずなのだ。


「私が間違っていた……許してくれ……ここから出してくれぇっ……!」


泣き叫ぶ私の背中に、再び看守の容赦ない鞭が叩き込まれた。

激痛に身をよじりながら、私はつるはしを握り直す。


ここには救いなどない。希望もない。

セリアが最高の幸福の中で微笑む一方で、私は自分が犯した取り返しのつかない罪と愚かさを永遠に呪いながら、死ぬまで泥の中で石を掘り続けるしかない。


それが、真実の愛と恩義を裏切り、自らの傲慢さに溺れた愚か者に相応しい、絶対的な絶望という名の末路だった。

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